邂逅vol 13 2012/6/1

暮らしの中の旅日記 Ⅰ

写真/文 田原あゆみ

松本クラフトフェア

工芸の五月

企画展が終了した後、3日間で一気に返品と片付けを勢いで終わらせて、「クラフトフェアまつもと」へ行ってきました。

信州は沖縄とは全く違う自然の景色が広がっている。
尾根には雪が残ったままの遠くにそびえ立つ山脈、近くの山、山山山。
ぐるりと囲まれたところに、こじんまりとした街、松本がある。

松本は散策するのにちょうどいいサイズの街だ。
市内には水路があって、清涼な水が流れ続けている。
どこで水辺を覗いても、五月の光に水面は輝き、透き通った水が柔らかそうに見えるのは、水の粒子が細やかだからか。
手を伸ばして触ってみたくなるような水、その水と松本の空気はとても似ている。

そしてこの小さな街に、それはもうたくさんの人人人。
クラフトフェアを目指して、作り手も、買い手も、使い手も、料理人も食いしん坊さんたちも、いろいろいろいろ。

意外にも強い陽射しの下を、眩しそうに目を細めた人が、列をなしてあがたの森へと大行進。
あがたの森の前、赤信号で並ぶ人、作り手の店先に並ぶ人、あがたの森は活気で溢れていた。

溢れてはいるが、思い出すととてもさわやかで、静かなのが不思議だ。
五月晴れの高い空と、信州の山々が松本の街全体を包んで、喧噪を吸い取ってくれたのか。
それとも私の頭の中自体が、あの空気で洗われたのかもしれない。

空気は淡く、そよぐ風は強い陽射しを和らげて、「工芸の五月」は真っ盛りだったのです。

松本クラフトフェア
何かのイベントを目指して旅をしたのは、もしかしたら今回が初めてかもしれない。
一度タイの象祭りをみたい!とスリン目指して出かけたことがあるが、混雑への懸念とタイトなスケジュールから行くのをあきらめてしまった。
大好きな象がたくさんいるのに、である。
しかもチケットまでふいにして、私は静かな田舎への旅を選んだのだった。

私の今までの旅は、“混雑を避ける”という私の常識をもとに成り立っていたのだった。
混雑の中で出会うたくさんの象よりは、田舎にひっそりといる一頭の象でいいや、と私の観念は私の行動全般を誘導していたのだ。
今回の旅で私は、その固定された私の観念からも自由になった。
パターンが変わった、というささやかな喜び。

以前「空間の移動、すなわち“旅”自体が人の脳に一番の刺激を与える」ということを聞いたことがある。
脳は安定を好むので、長距離の移動によって出来た環境の変化を検出すると、今までのデーターを一新し、環境にあった身体へと誘う発令を出すのに集中する。
そこに一種の余白が出来るのかもしれない。

そうして私たちは、旅に出てリセットをしたり、新たな展望を見たいと思ったり、実際にそれを得たりするのだ。
もちろん期待した結果は出ることも出ないこともあるが、殆どの人が旅に憧れを持っているのはその所以だろう。
ムーミンに自己投影をして、スナフキンに憧れるのはその原風景なのではないか。

今回私は、「来ませんか?」とある人に言われたことがきっかけで、「そういえばいつか行ってみたいと思っていたな」と思い、
「何をしにいこうかな?」と考えて、「行ってみたかったクラフトフェアに行ってみて、行きたかった白骨温泉でリセットしよう」という理由をこしらえた。

ただ行ってみたかったという理由なので、いいもの見つけるぞ~とか、いい作家さんと出会うぞ~という気張りは全く無く、仕事始まって以来の過密スケジュールの嵐をひとまずかき分けて、着いた松本。

このスカッと出来た空白に、私は気持ちよく歩を進めたのでした。

松本クラフトフェア

5月の信州は緑が萌えている。
あがたの森の木は、とてもユニークな枝振りでしばらく見入ってしまう。
こんなところでどうして曲がるんだろうか・・・・と。
青々と伸びやかに枝葉を伸ばし、訪れる人々に陰を提供してくれている。

松本クラフトフェア

旧制松本高等学校の遺構をそのまま図書館に。
江戸時代、各地から集められた匠たちがたくさん居住する城下町として栄えた松本。
昭和初期には、柳宗悦の唱えた「民芸運動」に共感した人たちによって、木工、染織を始め、活発な工芸品製作がこの地でおこなわれ、こうした工芸と地域との長い関わりが礎となって「クラフトフェアまつもと」が生まれたのだそうだ。

この図書館があることがとてもうらやましい。
通いたくなるたたずまい。

松本クラフトフェア

旅する本屋
「暮らしの手帖」の編集長、松浦弥太郎さんが代表のCOW BOOKS
旅する本屋があがたの森の入り口に出店していました。

セレクトされた本のタイトルや装丁を眺めていると、小さな旅がいっぱい詰まっているようだ。

松本クラフトフェア

人はなぜものを作るのだろうか?
必要な生活道具だけではなく、暮らしの中での心のよりどころのようなものも、私たちは求めているのだ。

日常の暮らしの中で起こる小さな旅、そこへいざなう象徴を。

木彫りの羊を見て、まるで生きているようだと感じた。

面白いことに、時に実写生のあまりに強いものには入り込む余地がなく、作り手の技術だけが誇らしげに見えてしまうことがある。
が、抽象性というのは、見る人が入り込む余地が余すところにあり、間口が広く、答えも出口も無いもので、深遠さが感じられる。

羊さんもうさぎさんたちも、木の彫刻なのだと分かってはいても、生きているぬくもりが伝わってくる。

この小さな木彫りの動物たちの後ろに見える景色は、きっと人によっていろいろで、この小さなサイズを超えて広がるだろう。

松本クラフトフェア

光に魅せられた人、水を捉えたいと思う人がガラスを形成するのだろうか?

松本クラフトフェア

やさしい光が、形になった。

松本クラフトフェア

冷たいはずの金属も、スプーンやフォークという形に収まるとぬくもりを感じる。

この人が作った形のせいなのか。

松本クラフトフェア

家という小宇宙。
空想の中から溢れた生活。

この人は一体どんな家に住んでいるのだろう?
どんな暮らしをしているのだろうか。

松本クラフトフェア

どんな人の生活の中にこのうつわたちは旅立ってゆくのだろうか?
うつわたちに、どんな時間が染み込んでゆくのだろうか。

光の下でまっさらなうつわたちが、静かに待っている。
最初は名前が無いようなぺたんとした肌も、使い込まれてゆくうちにその暮らしの表情が刻まれてゆく。
大切にされたものには、ある種の深い輝きが宿る。

人の数だけ暮らしがある。
毎日という旅の中で、様々な道具たちが一緒に暮らしている。

よく西洋を旅する友人に、西洋文化圏の暮らしと、日本人の暮らしと、どちらにゆたかさを感じるか?
という質問をした。

「向こうの人は余暇や、旅や、家族で過ごす時間を充分にとるようにしている。それはとてもゆたかだなあ、と思う。けれど、日本人はせわしいといわれる日常の中で、暮らしの道具を大切にしたり、ちょっとした季節の変化に心を留めたりする、それもとてもゆたかだなあ、と感じる。それぞれのゆたかさがあるんだね」

と、友人が答えた言葉が、じわーっと心を満たした。
そんなことを思いながら、クラフトフェアをぶらぶらと歩いた。

松本クラフトフェア

原毛のうつくしさ。
そのうつくしさを知れば知るほど、感じれば感じるほど、作り手は謙虚になるのかもしれない。

松本クラフトフェア

27日の夕方に松本を出て、白骨温泉へ出発。
途中で出会った、神々しい木。

写真に納まりきれないほどの輝き。
こんな時に、自分の技術のつたなさに舌打ち。
自然の奥深さには畏怖の念を。

白骨温泉はよかった。
あまりによかったので、写真を撮るのを忘れてしまいました。
白濁したぬるめの温泉は、炭酸を含んでいるので肌に泡が着いてきます。
ゆるゆると、身体を湯船に預けて、なんにも考えないでただただ感覚的に過ごした2日間。

インターネットもつながらず、携帯も圏外になりがちな山の中。
海に囲まれた沖縄から、全く違う山の国へ。

きっと私の脳みそは、かなりの状況の変化に適応すべく大忙しだったに違いない。
なので、帰って来た今も、私は未だに余白の中にいるようだ。

松本クラフトフェア

大木に咲いた白藤のようなうつくしい花が、至る所に満開。
空に伸び上がった枝からこぼれた、可憐な花房。

アカシアの花を初めて見た。
あたりには気高くてやさしい香りが漂っていた。

松本クラフトフェア

アカシアのハチミツのことが急に宝物の様に思えて来た。
だってこんなに素敵な木の花の蜜なんですから。

松本クラフトフェア

ニリンソウの白い花。
上高地にて。

写真は撮れなかったけれど、山道では野生のニホンザルに出会った。
つかの間の出会い。
わっさわっさと山肌を駆け上がっていった彼と一瞬目が合って、その力強さが流れ込んで来た。

そして最終日には、山道の脇の出っ張りにニホンカモシカがこちらを見ながら、草をもぐもぐと食べていた。
圧倒的な存在感。
そしてなんて可憐な目をしているのだろう。
自分が運転している車が、何だかとても暴力的にも感じられた。
私は、一瞬であの可憐な命を奪うことも出来るんだ、と。
けれど彼らから感じる生命力は逞しく、強烈で、それは私に力さえ与えてくれる。

私たちの生活のそばで、ニホンカモシカが生きている。
そんな世界がまだ私たちの世界には残っているのだ。

私たちの生活は、彼らの生活の場にものすごい変化を強いているのだろう。
今度は私たちが変わる時なのだ。

使い捨てから再生のサイクルへ、大量生産の10点から、大事に使う一点へ。
スタイルから、心がこもった内容へ。

私たち人は、自然をいじることが出来る。
壊すことも出来るし、再生し、共生することも出来るだろう。

ものを作る時、やはり私たちは自然に触わる。
その時にどんなものを作るのか、何を込めるのか、逆に何を込めずに形作るのか。

そうして作り手の生活という旅の中から生まれた暮らしの道具たち。

その道具たちもまた旅をして、誰かのもとへと届くだろう。

使い手はまた、暮らしという船の中で道具と一緒に旅をする。
私たち人は、移動してもしなくても、思いを馳せて旅をする。

道具の来た道、作り手の暮らし、今、昨日、明日、過去や未来へと。

松本クラフトフェア

松本の路地裏の花。
小さな古いお家の女主人が、きっと手塩にかけて育てた薔薇の花。
私たちが写真を撮っているのを横目に見ながら、にやりと笑って奥へ引っ込んでしまった。

さて今回は、私の実際の移動の旅と、頭の中の旅をとりとめもなく記事にしたためました。

Shoka:は新たな展開へ向けてリセット期間です。
今回の旅の空白が、じわじわと染みて来た頃リニュアルした空間で再会しましょう。
再会するまでは、私の旅の記録と記憶を隔週でお届けします。

短いのも、長いのも。
毎日の生活の中で素敵な旅を。

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邂逅vol Ⅻ 2012/5/17

ハーモニーが聴こえる

文・写真   田原あゆみ三谷龍二さん・安藤雅信さん・皆川明さんのトークイベント

いつもとても不思議な感覚になるのだけれど、ずっと心待ちにしていた事も必ずその日がやって来て、そして必ず過ぎていってしまう。
当たり前のことだけれど、なぜかいつも新鮮に不思議に感じる。
昨日はあんなに待ち遠しかったのに、今朝はもう思い出になってしまっている。

あの大切な時間は、目の前からは消えてしまったけれど、「明日」という未来に多くの種をまいてくれた。
何かが生まれる原動力があの晩生まれて、わくわくの波紋と一緒にこの南の島にどんどん広がっている。

それは、場を共有した人達だけで終わる事のない何か。
あの場で生まれた一つのメロディが、胸に満ちて溢れ出て、それぞれの歌や、口笛となって方々に散らばってゆく。
そんな景色が見えてくる。

そうして、その友人や仲間たちにもそのメロディは広がってゆく。
静かにゆっくりと。

今日の雨音のむこうに、様々な個性を持った音色で奏でられるメロディが小さく波を打って聴こえてくるようだ。

それはもしかしたら「田原さん、3人のコラボレーションを沖縄でしませんか?」と、問いかけて来た皆川さんが吹き始めた口笛から始まったのかもしれない。

いつか、あの日に生まれたメロディが一つの軸となって、様々な個性と混じり合い、常にうつくしいハーモニーが流れ続ける土地になる。
そんな事を夢見てみる。

5月11日(金)にスタートした NO BORDER, GOOD SENSE に合わせて、三谷龍二さん・安藤雅信さん・皆川明さんのトークイベントをRoguiiにて開催しました。

人生のちょうど真ん中あたりの年齢にいる3人の作り手のバックグランドや、普段の仕事への思い、そして作り手にとどまらず、使い手としての視点も織り交ぜながら語られたストーリーのもたらした感動は、3人の中心で渦を巻き、会場全体をやさしく包んでいきました。

三谷龍二さん・安藤雅信さん・皆川明さんのトークイベント

南の島沖縄を、許される時間のぎりぎりまで楽しんだ3人は、ほんのり日に焼けています。
そして、ついビーチサンダルのまま会場に来てしまったという皆川さんの挨拶で、リラックスした空気はあっという間に会場に伝わって、和やかな楽しい空気が満ちたのです。

「NO BORDER, GOOD SENSE というタイトルにした理由」

「僕たちセンスいいでしょ、と、言いたかった訳ではありませんよ」
恥ずかしそうに笑いながら、皆川さんは話してくれました。

「タイトルを付ける時にNO BORDERという言葉がまず決まった時には既に、木と土と布という全く違うジャンルで仕事をしている3人が、境界線を越えたところでものづくりをしたらどうなるんだろう、というわくわくは感じていました。
そのあとに続く言葉を考えているうちに浮かんだのが、GOOD SENSEという言葉です。
生活を基盤にするという観点から、僕たち3人はものづくりをしています。
なので、選んでくれている人というのは、作り手の生活の感覚にある意味共感しているのだと思うのです。

そこで一度引っかかるけれども、ものを作るという側の人間が、GOOD SENSEだと言える気概がないことはおかしいことなので、ここは一つ言い切ってしまおうと思った訳です。
選ぶ人と作り手との間にある、共感、それをGOOD SENSEという言葉で表現したかったのです」

笑顔でゆっくりと話す皆川さんのリズムと、タイトルに込めた思いを聴いて、聞き手と語り手のあいだの最後の壁も溶け、場は一気に一つになったのでした。

三谷龍二さんの言葉

「NO BORDER という言葉を考えた時に、ジャンルという観点でものごとを見ると、確かに様々な境界線が見えてくるのかもしれません。
けれども、僕の場合「生活」という視点で見てみると、そこには境界線というのはないのかな、と思います。
絵を描く事も、料理をする事も、仕事をする事も、すべては僕という人間の感覚やリズムをもとにしています。

生活の中の実感を軸にすると、様々な縛りは解けてゆくのではないでしょうか」

三谷龍二さん・安藤雅信さん・皆川明さんのトークイベント

三谷さんの視点は、生活の中の実感が軸になっている。
食べることが好きで、その時に使ううつわがどんなものであったらもっとその時間を楽しむ事が出来るのだろう、と、うつわの形や、持ち手や、納まり具合などのディティールに執着する。

と、同時に、そんな事よりもおいしく楽しく、それが一番だ、という開放感も持ち合わせている。
三谷さんは、「実感」という感覚を意識する事でものづくり全体を、生活という視点から俯瞰することが出来るのだ。

三谷龍二さん・安藤雅信さん・皆川明さんのトークイベント
三谷龍二さん・安藤雅信さん・皆川明さんのトークイベント

山桜の四方皿(上)小さな豆皿とスプーン

荏胡麻油や紅花油で時々お手入れをしながら使うと、何ともいえない艶と深みが出てくる。
手に取って嗅いでみると、ほんのりと桜の香りがする。
手でうつわの表面をなでながら、何を盛ろうかと思い描くのも至福の時間。

全体をとらわれないところから見る事が出来るから、三谷さんの作るうつわは料理を盛るだけではなく、集まる人のしあわせな時間も一緒に盛りつけてくれるのだろう。

もちろん、うつわやカトラリーのサイズの大小は関係無く、穏やかなぬくもりで包み込んでくれる。

三谷龍二さん・安藤雅信さん・皆川明さんのトークイベント

三谷さんが自宅で使っている木のうつわを料理会用にお借りして、小島さんの料理を盛りつけています。
何十年も使い続けて来た木の肌は、とてもいい感じになっています。
きっと楽しい時間も一緒に記憶しているからなのでしょうか。
時に新しいものよりも、使っているものの方に愛着がわくのも、この深いたたずまいを目にするとうなづけます。

「木の良さは触れて使ってみないと伝わらないけれど、当時木工といえば家具などの大きなものしかなかった。
僕がうつわを作り始めたのは、テーブルは買えないけれど、スプーンなら気軽に買える、そんな事がベースにあった。
うつわやカトラリーなら毎日触れることが出来るし、木の良さが伝わるだろうと」

料理をする事や、食べる事の他にも、音楽、旅、散歩、人と会う事、などなど生活にまつわる様々なことを三谷さんは心から楽しんでいるように感じる。
興味があることに対してフットワークが軽いのだそう。
そして、三谷さんはいい聞き手でもあり、観察者でもある事を今回の交流の中で知った。
好奇心と実感に重きを置いている三谷さんは、生活の探究者なのだ。

安藤雅信さんの言葉

「今回の3人での企画展のオファーを聞いた時に、ジャンルが違う仕事をしている3人ではあるけれど、以前から互いの生活感覚には似たものを感じていた。なのでジャンルの境界線に対する違和感は全く感じなかった」

と、安藤さんはにっこりと笑った。
3人の間に流れている空気は心地よい。
信頼感と、尊敬がベースになっていて、皆お互いの事が大好きだということが優しいまなざしから溢れている。
そんなやさしい関係に、聴き手の私たちは照らされている。

若い時に憧れていた西洋美術。
「それを学ぶために入った美大は西洋アカデミズムを教えるところで、日本人にとって美術とは何かを学ぶところではなかった」

三谷龍二さん・安藤雅信さん・皆川明さんのトークイベント

体制を反体制側から見て、その壁を壊すところからアプローチを始めた様に見える安藤さんの仕事。
けれど、そのアンチテーゼは、安藤さんが日本人としての精神性という大地にこそ自分は根を張ることが出来るのだ、という事に気づいたからこそ発する事が出来たのだろう。

それは、若い頃に自分の表現の軸を求めて旅をし、仏教に出会い、外に感じていた様々なカオスは自分が生み出していたものであるという事に気づき、「空」という感覚を体験したことが大きいのだろう。
外から見た日本文化、そしてその中で日本人である自分自身の表現がどうあるべきか、安藤さんは感覚で捉えたそのことを探究して形にし、その美学を伝える事に力を注いで来た。

明治以降失われてゆく一方であった、日本という土地の育んで来た美意識。
そこに光を当てて、現代の生活様式にあった変化をふまえて日常生活の中に再構築する事。

安藤さんの仕事には細かいところにまで厳しい一貫性を求める知的な鋭さと、冒険が好きで、食べる事も、音楽も好き、五感で感じる事がたまらなく好きだという無邪気な感覚が同時に存在している様に見える。

その相反するような二つの面が自然に溶け合うことが出来るのは、やはり自分の感覚を信頼し軸を見つけた人のしなやかさなのだろう。

西洋美術に多大な影響を受けながら、生活様式というものは環境から生まれる事、そしてその環境で人は精神性を育んでいる事に気づいた安藤さんは、様々な経緯からそれまで遠ざけていた陶芸の世界へ表現の場を決めた。
当時の日本人の生活様式の変化を敏感に感じ取り、食習慣が変わる事はうつわの使い方が変わる事だと着目した。

鉢や椀をたくさん使って食事をしていたそれまでのスタイルは、西洋の食文化が日常生活に溶け込んで来た事で崩れ始め、これからは大きめの皿一枚が様々な役目を果たす事になるだろうと踏んだのだ。
その時には、うつわの世界に希望を感じたのだという。
うつくしいいい皿を、普遍的な形で作りたい、そう安藤さんは思った。

「いい皿を一枚持っていたら、それを使っていろいろな料理を楽しむことが出来る。自分がそれまで見て来た、うつくしいと感じる形を陶器で作ってゆこうと決めた」

三谷龍二さん・安藤雅信さん・皆川明さんのトークイベント三谷龍二さん・安藤雅信さん・皆川明さんのトークイベント

彫刻家でもある安藤さんのうつわは、それだけでも独特の存在感がある。うつわがまるで、土を彫った彫刻に見えるのは私だけではないだろう。

けれど、料理を盛った時に素材が生き生きと映え、食材とうつわが一つの絵の様に完成するのだ。

「そして、作り手としてだけではなく、使い手の文化を大事にして来た日本人の感性を伝えたいと、日本人の生活様式の中に在る美学を肌で感じる事の出来る場を作ろうと思い、ギャルリ百草という空間を作った。
美術館のミニチュアであるギャラリーではなく、自分にとって理想のギャラリーを作りたいと思ったから」

オランダ皿、イタリア皿などの洋皿を写し、自分の形に落とし込んで作る事もしている安藤さん。
西洋のスタイルを受け入れながら、しかしそこに静かな調和を感じるのは、彼の仕事の根源にある普遍的な美への憧憬がぶれていないからなのだろう。

日常の中の美を愛でる心の中にこそ、日本人としての精神性があると安藤さんは言う。
それを現代の生活の中に復興させたいという思いが原動力になっているからこそ、作陶・作り手を育む場作り・ギャルリ百草での企画展の運営などの精力的な活動が出来るのだろう。

今ここで耳を澄まして、百草の空間や、安藤さんの作品を思うとき、聴こえてくるものがある。
それは、経年変化とともに生まれる美を愛でる、静かな賛美歌のようなもの。

皆川明さんの言葉

皆川さんが話しだすと、時間と空間の質が変わる。
ゆっくり訥々と語られる言の葉に、私たちはなぜか釘付けになる。

安藤さんは、そのことを、
「問いかけた質問に、すべて即答で、しかも全く思いもしなかった意外な答えが返ってくる。それがぽーんと腑に落ちる内容。それがおもしろくってたまらない」
と、目をきらきらさせて言う。

三谷龍二さん・安藤雅信さん・皆川明さんのトークイベント

20代の頃からその仕事ぶりに憧れ、尊敬して来た三谷さんと安藤さんと一緒に仕事ができる事が、ただただうれしいという皆川さん。

皆川さんの俯瞰する範囲は、空間・時間ともにとても広い。
そして自身のその感覚を信頼しているから、ひらめきがまずあって、それにあと付けをする様に仕事を進めてゆく事も多いのだという。

今回の企画展も、そうだった。
私にオファーしてくれた時のこと。
そう、2011年の1月の終わり。
皆川さんと対面したのはまだ2度めだった。

「田原さん、沖縄で、三谷さんと、安藤さんと僕のコラボレーション展をしませんか?」
と、言ったその時点では、まだ三谷さんも安藤さんも、そんな企画がある事を全く知らなかったという。

「沖縄だったら、みんな行きたいんじゃないかと思って、そしたら実現するかな、と」
ふふふと笑い、つられて会場のみんなも笑ってしまう。

皆川さんにはもともと、この沖縄で3人が集まっているこの景色が見えて、そしてこの会場の空気や一体感までも最初から感じていたのではないだろうか。
そんな不思議な能力がありそうな人なのである。

直感力と、俯瞰力、そして現実との間にある隙間を埋める実行能力を併せ持つ皆川さんは、まるで時代の笛吹きのようだ。

こちらへ、こちらへと笛を吹いてやって来て、その音色に共感する私たちを誘導する。
誘導している先の世界が彼には見えていて、私たちはその世界の光とぬくもりを感じて心が躍る、身体が動く。
その列に参加する人数がどんどん増えてゆくのを感じる。

三谷龍二さん・安藤雅信さん・皆川明さんのトークイベント

丁寧に時間をかけて描いてくれるサイン。
今目の前にあることに気持ちを注ぎ、ただ流れていってしまうかもしれない時間を止めて、本質的で意味のある出会いへと時間を変容させる。

「どうして、そんなに時間をかけて丁寧にサインをするのですか?」

そう尋ねられて、皆川さんは答えた。

「さらさらと描いたら20秒で描く事も出来るけれど、ただ流れていってしまう20秒よりも、意味のある2分の方を大事にしたいと思うんです」

三谷龍二さん・安藤雅信さん・皆川明さんのトークイベント

その誠実さがしあわせな空間を生み出す。

三谷龍二さん・安藤雅信さん・皆川明さんのトークイベント

皆川さんがサインをしている間、周りには何とも言えないやさしい空気が充満していた。

「何かを作る時、ディティールにこだわる執着と、そんなものはどうでもいいんだと開放的になる無頓着。そのどちらも僕は大切だと思うんです。自分の感覚に一貫した軸を持っていたら、その軸を中心にして右の執着と、左の無頓着に大きく振れていいんです。
軸がないと、単に二面性があるというところで終わるのですが、軸を持つ事で中心が出来る。
そうするとある一貫性を持っているので、右と左に触れる大きさが、そのままものづくりの力になるのだと思います。

そしてそれが『生きる力』にもつながると思うんです」

皆川さんがプロローグの笛を吹き始めたことで始まった今回の企画展は、その言葉で締められた。
そして、この言葉こそ、三谷さんの話した、ものを作る「実感」という軸の事であり、安藤さんが語った「普遍的な美」という話しの核にあるものなのだと私は思います。
3人が奏でた協奏曲がすばらしいハーモニーとなったような瞬間でした。

そのことを言葉で説明をしようとすると、それはそれは深い考察と、史実や、この3方の研究など、言葉がたくさんいるのかもしれません。
けれど、「生きる力」という言葉の中に、すべては集約されているように全身で感じる事が出来たのです。

生きる実感を軸にする事、それはとてもしあわせなこと。
その感覚をGOOD SENSEだと自分で感じることが出来る。
そんな人が社会の中で、自分の音楽を奏でたら、自分の歌を口ずさみ始めたら。

きっと年を重ねる事も、生きる事自体も楽しくなる。
そんな仲間が増えてゆく、それを思うと、南の小さな島から始まった音楽が、一人一人の中でメロディとなって広がってゆき、いつしかうつくしいハーモニーとなって私たちの暮らしを包んでいる。

そんな事を思い描きながら、そんな世界を感じながらこの記事をまとめています。

Shoka:の空間では3氏の作品と、コラボレーションしたしあわせな道具たちが、私たちを迎えてくれます。

三谷龍二さん・安藤雅信さん・皆川明さんのトークイベント

三谷さんの山桜のリム皿を、皆川さんデザインの海のチェックが包んでくれる、お皿のセット。
携帯して外へ持ってゆけます。
家族や友人達と、ピクニックへ。

三谷龍二さん・安藤雅信さん・皆川明さんのトークイベント

三谷さんの手にすっぽりと収まるやさしいカップ。
ミナ ペルホネンのケースがついています。
コーヒーもお茶も、ワインだっていいのです。

三谷龍二さん・安藤雅信さん・皆川明さんのトークイベント

安藤さんの器に皆川さんが絵付けをした大皿。
とてもバランスの良い、力強い作品です。

そして、ミナ ペルホネンの服たちは、着る人を無条件でしあわせにしてくれる楽しい服。

三谷龍二さん・安藤雅信さん・皆川明さんのトークイベント

三谷龍二さん・安藤雅信さん・皆川明さんのトークイベント

初めてミナの服を着たかわいい2人。
どんどん笑顔が広がって。

「いい仕事をして、買える様になりたいです」
仕事のことや、自分が考えているこれからの事、いろいろと話しながらどんどん顔がきりりとしてゆくのが、見ていて眩しかったです。

女性にとって、自分に合った服を着る事は大切な自己表現。
ミナの服は乙女心を呼び覚ましてくれます。
年齢や、今までの観念から自由になるような、そんな開放感を感じて、みんなでにっこり。

三谷龍二さん・安藤雅信さん・皆川明さんのトークイベント

安藤さんの焼いた陶板に皆川さんが絵を描いた「旅に行く日に」

3氏も、沖縄での時間がとても楽しかったそうです。
「3人の仕事に関する感性が、和音となって響いたような時間でした。また沖縄へ来たいです」と。
そうして、この楽しい仕事は、2年後に続く事になったのです。

三谷さん・安藤さん・皆川さんの生きる力に溢れた、楽しい空間はあと4日間。
まだみていない方も、もう一度触れたい方も、Shoka:へどうぞ。

今週の日曜日までです。

5月20日(日)まで
NO BORDER, GOOD SENSE

Shoka:
098 932 0791

12:30~19:00

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邂逅vol Ⅺ 2012/5/3

文 田原あゆみ

写真 三谷龍二さん・ミナ ペルホネン提供ミナ ペルホネン

世の中はたくさんの「もの」で溢れている。
用を満たすという最低限のものから、無用ではあるけれどうつくしいもの、用も美しさをも兼ね備えたものまで。
意識の多様性がものとして表現されて、この世の中にどんどん生み出されている。

私はシンプルに生きたいと思っている。
けれども同時に、本当にいいものと巡り会いたい、それを使ってみたい、もちたいと欲してもいる。

いいものとは「うつくしいもの」。
では、「うつくしいもの」とは、なんなのだろうか?
この世の中に無数の価値感がある様に、「うつくしいもの」という定義もまた多様性に満ちている。

一体、私が「うつくしい」と感じるものはどういうものなのだろうか。

最近、ただ単にフォルムがきれいとか、色のバランスがいいとか、きめの細かい肌の具合がうつくしいとか、表面的な事ではなくてもっと感覚的なところへすっと入ってくるものに惹かれるようになった。
いや、もしかすると、ずっとそうやってものを選んで来たのかもしれない。
もちろんたくさん失敗もしたし、時間とともに色があせてゆくものも、逆にどんどん好きになってゆくものもある。

今の私が、うつくしいと思い、手にしたい、使いたいと思うものは、

「心に灯がともる」もの。

うれしくなったり、楽しくなったり、触れている人達の表情がぱっと明るくなるようなもの。
それは言葉にはならなくても、生きているって良いな、そんな感覚が静かに身体に広がってゆくようなもの。

自分自身の愉しみのために使いたくなるもの。
誰かと一緒に楽しみを分かち合いたく選ぶもの。

ミナ ペルホネン

ミナ ペルホネンのpiece,のバッヂたち。
ミナ ペルホネンのテキスタイルの端切れは、最後まで命を吹き込まれて私たちのもとに届く。

このバッヂをつける人は、どんな人なのだろう。
バッヂやブローチをつける人は、自分を楽しませ、自分が会う人の目をも楽しませる事のできる人なのかもしれない。

こんなバッヂをつけたら、楽しさと一緒に元気が伝染してゆくだろう。

ミナ ペルホネン

ギャルリ百草での展示の様子。

なんてしあわせな気持ちにしてくれるのだろう。
作り手がテキスタイルに愛情をもち、最後まで生かす事を考えている事、そのことが私たちの胸まで届くのだ。

東京と京都の2カ所にあるpiece,はミナ ペルホネンのかけら(ピース)を集めたショップ。
洋服を仕立てたオリジナルテキスタイルの残り布をパッチワークして、手作業により様々なものを生み出している。
今回のShoka:での企画展にもpiece,の製品がやってきます。

たくさん作って、たくさん捨てる。
そのような事が当たり前のだった時代に育った私たちは、あの頃、ものと同じように、自分が大切な存在だとはなかなか気がつけなかった。
だから、こんなに大切に作られ、最後まで命を吹き込まれるものがある事、そのような仕事をしている人達がいる事が、ただただ、うれしい。

そのような仕事の存在を知ると、私たちは、楽しさや喜びを注ぎ合える仲間としてここに生きているんだ、と、思える。

ミナ ペルホネン

ミナ ペルホネンの布をベッドに、出番を待っている三谷さんのスプーンとフォークたち。
木のカトラリーや器は、たまに植物性のオイルで磨くと深みとつやが出てくる。
楽しかった時間が木に記憶されて染み込み、かけがえのない生活道具となってゆく。

ミナ ペルホネン

使い終わったら思い出も一緒に布で包み込んで。
やさしい木肌が手になじむ。
暖かくて美味しいものを注いでゆくと、私たちの気持ちも一緒に充たされてゆくようなカップだ。
普段使いにもいいし、ピクニックにもって行くのに軽さがとてもいい。

漆で仕上げたやさしい器。

ミナ ペルホネン

カップと同じ様に拭き漆で仕上げた木のお皿。
みていると、懐かしい気持ちになる。
触れて、なでて、この上に何をのせようか?

黄色い卵焼きと、赤いトマトを挟んだシンプルなサンドウイッチ。
マスタードをたくさんぬって。

それともきれいな色をちりばめたちらし寿司?

ミナ ペルホネン

シンプルにバタートースト。

たまらなくなって、私は今フライパンの上でシナモントーストを温めている。
深入りのコーヒーも挽かなくちゃ。

器をみて、食べ物が浮かんでくる楽しさ。
健全で、健康な証。
三谷さんの木の器たちには、食べる楽しみと、使う楽しみが最初からこもっている。

きっと作り手の三谷さんが、それをうんと楽しんでいるのだろう。

ミナ ペルホネン

木のスプーンや、ホーンのスプーンを使う様になってから、私は金属のスプーンをあまり使わなくなってしまった。
木肌やホーンの滑らかさと、ぬくもりは私たちの肌にとてもやさしいので、食事がもっとおいしく感じるのだ。
元々私たちは、木やタケで作られたお箸で食べ物を口に運んで来た。
その感触とぬくもりと同じものが木のスプーンにはある。
木は金属よりもずっと、私たちの身体に近いような存在だ。

木のフォークが欲しくて、私はずっと三谷さんの作品が来るのを待って来た。
使う日がとても楽しみだ。

ミナ ペルホネン

ピクニックセットのひとつ。
中には上の写真の皿や、フォークやカップが収まっている。
これは松本にある10cmで展示されたもの。

Shoka:には一体どのようなピクニックセットがやってくるのだろうか?

ミナ ペルホネン

10cmでの展示風景。
皆川さんがデザインした、ちょうちょの羽のような形のお皿は2枚で一セット。裏はカットボードにもなる。

ちょうちょのお皿が二つ、それから丸いお皿二枚とフォークが二つ、木のカップ二つをミナ ペルホネンのバッグに入れたら、それがピクニックセットになる。
バッグの名前は緑色のが「山のチェック」、青いものが「海のチェック」。

何だかとてもHappyなセットだ。
使い続けて、年をとっておばあちゃんおじいちゃんになった時に、一体どれだけの楽しい時間をこの器たちと一緒に作っているのだろうか?
海や、山へ出かけて、みんなで分け合っていただく楽しさ。
それを布でくるんで、バッグに入れて、気軽に持ち運べる身軽さ。

この写真一枚をみていても、青空やそこに浮かぶ雲、風が運んでくるいろいろなもの、水しぶきと陽のきらめきが見えるようだ。
誰かのハナウタも聴こえてくる。

ミナ ペルホネン

このザッハトルテは誰かが食べてくれたのであろうか?
とてもおいしそう。
カップにはミルクティーを。
いや、シナモンチャイかな。
深入りのコーヒーをブラックで、の方がザッハトルテと合うかしら?

やはりいろいろと描いてしまう。
あとで聴いてみたら、この写真は、皆川さんが三谷さんの作品をザッハトルテに見立ててディスプレイしたのだそうです。
だから全体がとてもおいしそうに見えるのですね。

日々の暮らしの「食」に関わる道具たちは、生きる事に一番近いものたちに違いない。
その道具たちがちゃんと、食欲を刺激してくれるのはうれしく、楽しいことだ。
このお皿も、私も健康だ!と歌いたくなる。

ミナ ペルホネン

安藤さんが自分の中にある、うつくしいラインを捉えて彫りだす。
足す事も、引く事も出来ないようなシンプルなライン。
そこに絵付けをするというのだから、一体どのようなことになるのか、私には全く創造することが出来なかった。
皆川さんもきっと、腹を据えてとりかかったに違いない。

でき上がった写真を見ると、なるほどなるほど、お互いが引き立つというのはこういう事なのかと感じ入る。
ひとつの世界になっていることがすばらしい。

お互いの仕事に敬意があるからこその調和。

ミナ ペルホネン

安藤さんが器を作って、そこに皆川さんが絵付けをした椀。
これは・・・

風邪で臥せっているとき、誰かがこの器におかゆを容れてもって来たら、もう、私はすぐに病人をやめるに違いない。
もちろんおかゆは食べたいが、食べなくても気力がよみがえってくるだろう。
要するに私はこの器が欲しい。

しかし、きっともう誰かの手に渡っているのだろう。
なぜならこの写真はギャルリ百草で先日行われた「作りの回生Ⅱ」で展示されたものだから。

見たかった。

けれども、しかし、こんな器を人が作ることが出来るという事が嬉しい。

人が作るものはこのようななものであって欲しいと思う。

ミナ ペルホネン

最初に投げかけた質問。

「うつくしいもの」とはなんだろう?

誰かの心に灯をともすようなもの。

「うつしくあろう」「うつくしく生きよう」というところへ向かうきっかけとなる、
そのうつくしいものを作る人の、心の在り方がうつくしい。
その在り方から生まれたものごとが、「うつくしいもの」。

そんなうつくしいものたちが、またShoka:へやって来ます。

私の自宅を改装してShoka:が始まってから一年。
数えるのが苦手な私が、やはり日数のカウントを間違えて入れてしまった過密スケジュール。
次から次へと、行われた展示会にみなさんも私たちと同じく息が切れかけていたかもしれません。

5月11日からスタートする
NO BORDER, GOOD SENSE

この企画展がある意味ひとつのサイクルの終わりです。
始まってから一年とは思えない、分厚い時間を過ごしてきました。
そのお陰で、うつくしいものに触れ、それを作っているたくさんのぬくもりある方達に出会ってきました。

個人的にも社会的にも多くの出来事があった一年でしたが、こんな時代だからこそ、今ここにある豊かさを見逃したくない、多くの人と分かち合いたいと思っています。

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mina

NO BORDER, GOOD SENSE

三谷龍二 木工デザイナー

安藤雅信 陶作家

皆川明 ミナペルホネンデザイナー

場所や時間やジャンルを超えて、一緒にもの作りをしたわくわくが形になりました
「すきな時に、すきなところで、すきな人達と一緒に作ったもの」
友人達とピクニックに行きたくなるような、楽しい世界が初夏の沖縄に集まります

2012年5月11日(金)~20(日)12:00~19:30
*初日のみShoka:は18:00にてクローズいたします*

コラボレーションのうつわたち/三谷龍二の木の器/安藤雅信の陶器/ミナペルホネン 雑貨とランドリーの服

この企画展のあとShoka:は常設に向けてしばらくお休みとなります。
8月から、作り手も使い手も楽しく交流する場として、Shoka:はオープンいたします。
より楽しい場となるようチームShoka:でイメージを膨らましているところです。

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NO BORDER, GOOD SENSE 初日のトークイベントのご案内
NO BORDER, GOOD SENSE

ON BORDER

三谷龍二+安藤雅信+皆川明 トークイベント

2012年5月11日(金)18:30~

企画展「NO BORDER, GOOD SENSE」の開催にあわせて、トークイベントを開催します。自分の感覚を軸に仕事を確立している3氏が、時間や空間の境界線を越えて、コラボレーションをした今回の仕事。その制作を終えて、それぞれが自分のBORDERに立ち返って、今回の仕事を振り返る時間。
ものをつくるという事、それぞれが大事にしている事など、聴きたい事は山ほどあります。今回はミナ ペルホネンの皆川さんがインタビュアーになって、話し会を進めてゆくそうです。私たちもとても楽しみにしています。

日時: 2012年5月11日(金)
開場: 17:30
講演: 18:30~20:00

<完全予約制>
定員に達し次第閉め切らせていただきます
*当日のみShoka:は18:00にてクローズいたします*

会場:  Roguii
参加費:1ドリンク、軽食付き1500円

予約方法(必ず5/11のトークイベントの予約と明記ください)
1 全員のお名前
2 人数
3 メールアドレス
4 携帯番号
5 車の台数(駐車場スペースに限りがございますので、乗り合わせのご協力をお願いいたします)
6 住所(Shoka:からイベントの案内が欲しい方のみ記入をどうぞ)

shoka.asako@gmail.com  関根までメールでご予約ください。
◯Shoka:の展示期間中はお子様連れも大歓迎ですが、今回はお話に集中していただきたいことから大人のみのご参加とさせていただきます。ご理解のほどお願い申し上げます。
◯当日は立ち見の可能性もございます。予めご了承ください。
◯先着順で定員に達ししだい、締め切りとさせていただきます。
◯ご予約のメールをいただきましたら、こちらから返信をもちまして予約完了といたします。

*4月7日発売のミセス5月号180p~189pに特集が載っています*
*CASA BRUTUS 5月号にも3氏のコラボレーションの記事が掲載されています*

※ たくさんのお申し込みをありがとうございました。こちらのトークイベントは定員に達しましたので、ただいまキャンセル待ちにて受付させていただいております。楽しみにされていた方は大変申し訳ございませんが、ご理解のほどよろしくお願い申し上げます。 

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邂逅vol Ⅸ 2012/4/12

「NO BORDER, GOOD SENSE」仕事場を訪ねてⅢ「四番目の葉」  ミナ ペルホネンデザイナー 皆川明

2012.04.12

写真 田中景子 ミナ ペルホネン テキスタイルデザイナー
文 四葉の写真  田原あゆみ
NO BORDER, GOOD SENSE

皆川さんはデザイナーという職業をしているが、私が持っていたその職業に対する概念に収まらない人だ。
一人の人間の中に、一体どれだけの才能と可能性が眠っているのだろうか。
皆川さんの仕事に触れるたびに、私はそのことを感じてわくわくする。

陸上競技の選手を目指していた学生時代、ジャージしか着た事のない青年が、怪我をしたことからその道を断念、ヨーロッパへの旅に出た。
そこで出会った数々のもの達。特に北欧では、日用品のデザインが時代に左右されないものになっていて、人々が大切に使っている事を肌で感じ、そこに本質的な豊かさを感じ共感した。
また、同じ旅の途中、偶然が重なりパリコレでアルバイトをすることになった。
その時に初めて触れたファッションの世界に新鮮さと感動を覚え、その世界に関わる事を一生の仕事にしようと決める。
決めてやり続けたら、不器用な自分でも10年後にはある程度縫える様になるのではないだろうか、苦手な事だから飽きないのではないだろうか、と。

それから16年で、現在の様々な年代から支持されるブランド、ミナ ペルホネンとなった。

今ではもう、あまりにも有名になったエピソードだ。

その合間には、様々なストーリーが隠れている。

文化服装学院の夜間部に通い、留年もしたこと。
なかなか服が縫えなくて、卒業までに一着しか提出出来なかったこと。
テキスタイルからオリジナルで作るブランド“ミナ”を設立し、スタートしてから創業期の3年間は、昼までは魚河岸で70kg前後もあるようなマグロを解体し、そのあとから服を縫ったという。

皆川さんの現在に到るまでのストーリーの中には、ええ!?、と驚くようなエピソードが溢れていて、書き出したら何冊も本が書けそうだ。
そして多くの人は、謙虚で誠実な人柄がそのまま伝わってくる彼の語り口に耳を傾けながら、彼の中にある静かな情熱を感じてどんどん惹き付けられてゆく。

意外性というのは人間にとって一番魅力的な事なのではないだろうか。

詳しくは下記のリンク先からどうぞ。
皆川明トークイベント 前編 後編

そして、話を聴いた人達は、
あきらめないその意思の強さはどこから来るのだろう?
どうしてそんなに視野が広いのだろうか?
その審美眼はどのような環境で育ったのか?
どうしてそんなにぶれないのか?
どうしてそんなに、簡潔に答えられるのだろう?
なぜ、言葉が胸にすっと入ってくるのだろうか?

と、たくさんの疑問を皆川さんへ問いかけたくなってくる。
人はやはり意外性に引き込まれるのだ。

そうやって様々な人が皆川明という人に魅了されてゆく。
それと同時に、何だか嬉しくなって親近感を覚え、応援したくもなってくる。

もちろん多くのデザイナーに対して感じるようなあこがれや、尊敬の念も感じているのだが、それを越えるものを彼は持っている。
この人と一緒にやりたいと思わせる何か、人が応援したくなるような何か、そんな天性的な魅力に溢れているのだ。

NO BORDER, GOOD SENSE

人が自分自身を知るためには、机に座って辞書をひいても、インターネットで検索をしても見つからない。
本をたくさん読んでも、好みや独自の感動の源は分かるが、いざ社会の中での自分というものははっきりとはつかめない。

仕事を通して、社会の中で多くの人と関わったり、実体験を重ねていって、徐々に自分のことが見えてくるのだと思う。
特に、誰かに与えられた仕事をするときより、自分が責任を持ってやりたいと思っている仕事をした時にそれは顕著に現れてくるものだ。

やりたいと思っている事をやり始めると、そこには様々な雑務が発生する。
時には、誰かのサポートを得なければ出来ない事も多々ある。
けれどもすべては自分が表現したい事に向かってゆく過程の一部なので、苦手だと思っていた事も時間をかけて工夫してゆくと以外と出来るようになってくる。
そして、そこにまつわる様々なことを出し惜しみせずにやってみると、自分の中に潜んでいた才能が表れてくる。

その才能は時に思いがけないものであったり、以前からやりたいと思ってなかなか出来なかった事が、目的を持ったとたん発揮されることもある。
そうして社会の中で自分の姿が客観的に見えてくると、他者と違うところこそが、自分の才能なのだという事がはっきりと自覚出来るようになってくる。

それが自分にしか出来ない事につながっていたり、自分が社会と分かち合えるギフトなのだと気づくことが出来たら、それはとてもしあわせなことだ。
そのギフトを分かち合えばあうほど、その行為はまわりまわって自分自身の存在意義に豊かな栄養を与え、自己実現という喜びにつながってゆくから。

自分の喜びを知っている人こそが、周りをしあわせにすることが出来るのだ。

NO BORDER, GOOD SENSE

しあわせという言葉はみんなが知っていて、なかなかその実感を持続する事は難しい。

皆川さんから聴いた「四方良し」の話。
売り手よし(ショップに限らず売る人)、買い手よし(お客様)、作り手よし(製造者)、社会よし
その四カ所のどこにいる人達も「よし」と思っている所を、意識しながらものごと進めてゆくというミナ ペルホネンの仕事。

誰かが無理をするのではなく、関わるみんなが喜びを感じ、やりがいを感じている状態が崩れない様にバランスをとるのだという。

とても心に残った在り方だ。

私が一番最初に着たミナの服は「sometimes lucky」というクローバーが刺繍されたブラウス。
そのシリーズは最後に、ひとつだけ四枚目の葉っぱを手刺繍してから仕上げてある。
なのでどこかに四葉のクローバーがあり、それを見つける楽しさと、そのストーリーを一緒に着る喜びがある。

四葉のクローバーの中心にある茎を軸に、四つに広がった葉っぱたち。
その葉っぱに、自分の仕事と関わりのある人達を乗せて、その全員の喜びややりがいのバランスをとることを意識したとき、何が必要で何がいらないのかが感覚的に見えてくる。
そうしてバランスをとったところにしあわせという感覚があるのだろう。

そしてその四つをあわせる事を、「しあわせ」というのかもしれない。

皆川さんは四葉のクローバーを探すのが驚くほど早い。

NO BORDER, GOOD SENSE

「そして他人と違う個性を自分の中に見つけたとき、四番目の葉は、
その人の中にも存在するような気がする。」

文化出版社「皆川明の旅のかけら」より抜粋

ミナ ペルホネンの服や雑貨や、表現するものすべてに触れると、多くの人がにっこりとしてしまうだろう。
四番目の葉っぱを見つけることが出来た人という他にも、その理由はあると思う。

それは、皆川さんが始めた当初からいつも100年先をみていた事に起因する。
100年続く仕事を目指した時に、自分をスターターと位置づけ、その役割を全うしようと決めたこと。

そうやって時間軸を広げて見える景色の中には、いまバトンを持っているという責任と、それをいつか手放すという自由さを同時に感じることが出来るはずだ。
そして、常に100年先を見ながら、今出来る事は何か?と客観視する事で、プロセスの中の一部として必要なことが見えてくる。
特別な事を成し遂げる、というのでは無く、まるで日常のような仕事。
短いスパンで何かをしようとすると、それは時に特別なことになってしまう。
特別なことをしようとすると、どうしても力が入り、結果を期待してしまうのが人間だ。
時に期待というのは人を裏切ることもあるが、プロセスの一部だとみることが出来た時、人はぶれることが少ないのではないだろうか。

「常に100年先を見る」ということを決めているから、ミナ ペルホネンのものづくりには日常を楽しむような軽やかさと、ハーモニーが聴こえてくるのかもしれない。

NO BORDER, GOOD SENSE

紙に描かれたラインが形になってゆく行程。
飛び立つ日を、静かにじっと待っているさなぎたちにも見える。

自分自身の軸を確認しながら、長いスパンの中の今という時間や、時代とハーモニーを奏でる様に作る服。
ぼんやりとしていたイメージや形がどんどんはっきりとして来て、ある時ぴたりと一本のラインになる。
そうして生まれて来たものは、なるべくしてなった確信に満ちていて、感動が生まれるのだという。
創造の核がしっかりとしたものには力がある。

その力というのは、自然の中の軽やかな風のような力。
その服を着て、外に出て、風に吹かれて歩きたくなるような、進行させる力。
そんな風なら、いつでも吹いていて欲しい。

NO BORDER, GOOD SENSE

NO BORDER , GOOD SENSE

5月11日(金)から10日間の企画展のタイトル。
木工デザイナーの三谷龍二氏・陶作家の安藤雅信氏・ミナ ペルホネン デザイナーの皆川明氏の3人のコラボレーションによる初めての企画展。

NO BORDER, GOOD SENSE 仕事場を訪ねてⅠ 「静けさに耳を澄ます」陶作家 安藤雅信

「NO BORDER, GOOD SENSE」仕事場を訪ねてⅡ 「大人の愉しみ」

この企画展は、皆川さんと2回目に会った時に、「安藤さん、三谷さんと、ミナ ペルホネンのコラボ展を沖縄でやってみませんか?」と提案してもらったのがきっかけで開催することになった。
何度か3人でコラボ展をやったことがあるのだと思っていたら、後で三谷さんに尋ねてみたら初めてだということが分かり驚いた。
しかもその時、後の二人はそのことを全く知らされてもいなかったという。

ゆっくりと言葉を選びながら話す人だが、直感が働いた時の行動と決断は早いようだ。

皆川さんは、安藤雅信さんや、三谷龍二さんの仕事ぶりをみていて、いつか一緒に仕事をしてみたいと思っていたという。
この三人の共通点は、自分の感覚に根ざしているという事。
自分の感覚に耳を澄まして、あらゆる可能性の中の明確な一本のラインを見つけ、ものづくりをしているという事。

その三人が、お互いの境界線を越えてものづくりをした今回の企画展で一体どのような世界に触れることが出来るのか。
私もとても楽しみだ。

元々オープンで、いいと感じるものをどんどん取り入れながら、独自の文化を作って来た沖縄の文化。
その沖縄でこのような企画展を開催出来る事に、必然性と大きな喜びを感じています。
みなさんもShoka:でこの交流を楽しんでください。

*4月7日に発売の文化出版社「ミセス 5月号」に今回の企画展とShoka:のことが載っています。
よかったら読んでみてください。

NO BORDER, GOOD SENSE

皆川明 ミナ ペルホネン デザイナー

1995年に自身のファッションブランド「minä(2003年よりminä perhonen)」を設立。オリジナルデザインの生地による服作りを進め、国内外の生地産地と連携して素材や技術の開発に注力する。デンマーク kvadrat社、英リバティ社をはじめとするテキスタイルメーカーにもデザインを提供。国内外で様々な展覧会が開催されている。2011年には2012年5月にオープンする東京スカイツリーの制服も手がけ話題となる。

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直近のShoka:でのイベント情報

NO BORDER, GOOD SENSE

「2年ぶりですね mon Sakata展」

4月20日(金)~29日(日)
初日には坂田敏子さん在廊予定
12:30~19:00
※初日はトークイベントを開催のため、18:00までの営業となります。

素材を手でしっかりと味わってから作られるmon Sakataの服。
逆さまにしたり、重ねたり、自由な着こなしが自分流に楽しめる。
洗ってくたくたになってからがまた気持ちがいい。
自由な発想、自由な着こなし。
ニットは8年前に買って、一番のお気に入りの麻のニットを
坂田さんがリバイバルで作ってくれました。
本当にいい形です!
ちなみに上の写真のパンツは「gagaパンツ」という名前だそうです。
2年ぶりのmon Sakataが楽しみです。

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「2年ぶりですね mon Sakata展」にあわせ、坂田敏子さんのトークイベントを開催します

「手の力 感覚を立体に」

4月20日(金)18:00~19:30まで 完全予約制 参加費300円(送迎代のみ)
(初日のみShoka:はトークイベントのため18:00にてクローズいたします)

坂田敏子さんのデザインは触感から始まります。
素材を触って、手と目で存分に味わってからその素材がどのような形になるといいのか、どんな風に着たいか、をイメージします。
自分の感覚を頼りにして何かをする事は、回り道のようだけれど実は自分に合った土台がしっかりと作れる確かなステップだと思います。
最初にマニュアルがあるのではなくて、自分で自分の中にある形を探り出してゆく。
こんなふうがいいよ、と提案されてみんなが鵜呑みにしていた様々な型が崩れてゆくことが多くなった今、自分の感覚を大事にし育ててゆく事はとても大切だと感じています。
目に見えるものを作る時にも、方法や仕組みなどの見えないことを作る時、そのどちらにも自分の感覚をONにして取り組むという事はとても大切なことだと思います。

今回田原は、感覚的でとてもユニークな坂田さんからそんな話しを聴いてみたいと思っています。
いつも予想外の反応が返ってくる坂田さんから、どんな応えが返ってくるのかとても楽しみです。

どんなお仕事をされている方でも、とても楽しく参加出来ると思います。

なお今回から駐車場からShoka:までの送迎を業者さんへ頼む事にしました。
代行に押されながらもがんばっている、地元のタクシー屋さんへ依頼しようと思っています。
なのでみなさまから300円ずつを参加費として頂戴する運びとなりました。
どうぞよろしくお願いします。
地元の仕事人も応援したいと思います。

では、Shoka:にてお会いしましょう。

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邂逅vol Ⅷ 2012/4/5

「mon Sakata がうまれる手」

写真・文 田原あゆみ

坂田敏子さんに会うのは、大きな楽しみのひとつ。

自分の考えや経験からは、予想も出来ないような反応や返答が返ってくるときに、人は刺激を受けて自分の枠から抜けることが出来る。
目から鱗が落ちたり、爽快さを感じたり、なるほど!と思ったり、時には心底可笑しくなってくる。

坂田さんと話していると、短い間にそのどれもがやって来て、最後は大笑いで終わる事が多い。

そう、いつも、私の期待を上回るような反応が返ってくるのだ。

「mon Sakataの服は、どのようなプロセスの中で形になってゆくのですか?」

mon Sakataのデザイナーである坂田敏子さんは、まずは素材を手で存分に味わってから立体をイメージしていくという。
糸を指でいじってみたり、織られた状態をなでたり、指でなぞったり、しっかりとその感触を感覚の中にインプットする。
そうして、この素材ならばどのような形がいいだろうかと、イメージを膨らませてゆく。

手の触感を味わう事で、あらゆる感覚が起動して立体のイメージが膨らんでゆくのだろう。
人の手は、触る事を通してたくさんのメッセージを読み取ることが出来る。
その情報は視覚と合わさって、私たちの脳にメッセージを送り、そして形を作り出す作業もしてくれる。

情報を読み取るバーコード以上の役割を果たしつつ、製造までこなしてしまう私たちの手。

私はずっと坂田さんの手の動きを追いかけていた。

そうやってみていると、とても表情豊かに「手」自体が表現をしている。
当たり前の存在になっている手の事を、じっと観察していると、あり得ない位大切なものだと実感が湧いてくる。

形へのイメージが育ってゆくと、今度はそれを立体に起こす人とのやり取りが始まる。

絵を描いたり、イメージに近い画像を探し出して見てもらったり、言葉で説明したりと、自分の中にある形と実際の形を近づけてゆく。

この「手」は、絵を描き、映像を集めるだけではなく、様々な動きを表情豊かに表現するコミュニケーションツールとしても活躍する。

「私はね、寒がりなのよ。だから重ね着が好きなんだけど、ほらね。今日も4枚重ねているのよ。あら、もっとだったかしら? ふふ、この仕事に向いているわね」
と、笑いながら、薄手のコットンのリプセや、コットンウール、ウールのニットの重ね着を見せてくれる。

手の感覚からうまれた服たちは、素材と形が自然に結びついているせいか、着るうちにどんどん肌になじんで柔らかくなってゆく。
その心地の良い感触は手だけではなく、肌全体で楽しめる。

私のクローゼットの中のmon Sakataの綿のカットソーたちも、かなりしんなりと肌になじんで来た。
たたんでいる時には一見くたくたに見えるけれど、着ると形はいいし、とにかく肌触りがいい。
これも、手で味わった素材の感触が元にあって、それに見合う形になっているからなのだろう。

坂田さんの手の感覚はステキだ。

mon Sakata の始まりを象徴する小さなシャツ。
息子さんの彩門さんが、小学校に入学する時にデザインした子ども用のブラウス。
mon は彩門さんの「門=モン」でもあり、フランス語では「私は坂田です」という意味にもなる。

飾らないそのまんまの印象と、ユニークさが坂田さんらしい。

「坂田さんの自由な発想はどこから来るのでしょうか?」

色の組み合わせが楽しめるアームウオーマーは、人気者。
腕に通して日除けや防寒の役割をしてくれるだけじゃなくて、結んで長くすることでマフラーのように首元に色を添える事も出来る。

中央の写真は、金属の繊維が織り込まれている綿のコート。
四角い平面な形を、金属の質感を利用してくしゅくしゅ感を出したり、その人の身体のラインになじんだ着こなしが出来る。

坂田さんがデザインする服や雑貨には、どこか使い手が着こなす時に楽しめる「遊び」という空白の部分、隙間のようなものがあるように思う。
着る人達がその隙間に入って、その人の感覚で自由に遊び、着こなす。
そして面白いのが、変化を楽しめるという事。
昨日着ていたカーディガンを今日はひっくり返したり、逆さまにして着てみる。
カットソーブラウスの重ねを変えたり、袖をつけてみたり外したりと、決してひとつの型にはまる事がない。
完成しない事が楽しい服なのだ。

なるほど、変化し続けることの中に人は自由を感じるのかもしれない。

どうしてそんなに自由な発想が出来るのだろう?

疑問を持って見つめてみると、坂田さんのスペース、空間そのものにも余白があるんだな、と。
それは坂田さんという人柄もそうだ。

ニュートラルな余白、会話の中の間を楽しむゆるさ。

余白を残したような感覚的な遊びが、あちこちに。

服をデザインする時にも、ちゃんと余白があって、意図せず起こった事が入り込むことが出来る。
内側にしまい込むはずのマチの部分が、くるくるとねじれているのを見て「あら、これもいいわね」と、採用されて製品になる。
パンツのフックに使うはずのフックが、ちがうところで活躍したり。

偶然を楽しめる柔らかさがmonSakataの服を自由にしている。

そうそう、忘れられないことがある。
2回目に坂田さんに会ったときのこと。

緊張している私に、

「あの~、沖縄ってどんな形をしているのかしら?・・・・・私知らないのよ沖縄のこと。
沖縄の形、紙に描いてくれる?」

手渡された紙に、妹と一緒になって一生懸命思い出しながら沖縄の形を描いてみた。

多分間違っているだろう、その沖縄の形をみながら、

「そうなのね、沖縄ってこんな形をしているのね・・・ふーん、そうなんだあ・・・・
沖縄にはどんな形の服がいいのかしらねえ・・・」

坂田さんは、長いことその紙の上の沖縄を眺めていた。

その時から、私は坂田さんが大好きになったのでした。
まさしく私にとっての、「思いがけない反応」だったのです。

「2年ぶりですね mon Sakata展」

4月20日(金)~29日(日)
初日には坂田敏子さん在廊予定
12:30~19:00
※初日はトークイベントを開催のため、18:00までの営業となります。

素材を手でしっかりと味わってから作られるmon Sakataの服。
逆さまにしたり、重ねたり、自由な着こなしが自分流に楽しめる。
洗ってくたくたになってからがまた気持ちがいい。
自由な発想、自由な着こなし。
ニットは8年前に買って、一番のお気に入りの麻のニットを
坂田さんがリバイバルで作ってくれました。
本当にいい形です!
ちなみに上の写真のパンツは「gagaパンツ」という名前だそうです。
2年ぶりのmon Sakataが楽しみです。

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「2年ぶりですねmon Sakata展」にあわせ、坂田敏子さんのトークイベントを開催します

「手の力 感覚を立体に」

4月20日(金)18:00~19:30まで 完全予約制
(初日のみShoka:はトークイベントのため18:00にてクローズいたします)

坂田敏子さんのデザインは触感から始まります。
素材を触って、手と目で存分に味わってからその素材がどのような形になるといいのか、どんな風に着たいか、をイメージします。
自分の感覚を頼りにして何かをする事は、回り道のようだけれど実は自分に合った土台がしっかりと作れる確かなステップだと思います。
最初にマニュアルがあるのではなくて、自分で自分の中にある形を探り出してゆく。
こんなふうがいいよ、と提案されてみんなが鵜呑みにしていた様々な型が崩れてゆくことが多くなった今、自分の感覚を大事にし育ててゆく事はとても大切だと感じています。
目に見えるものを作る時にも、方法や仕組みなどの見えないことを作る時、そのどちらにも自分の感覚をONにして取り組むという事はとても大切なことだと思います。

今回田原は、感覚的でとてもユニークな坂田さんからそんな話しを聴いてみたいと思っています。
いつも予想外の反応が返ってくる坂田さんから、どんな応えが返ってくるのかとても楽しみです。

どんなお仕事をされている方でも、とても楽しく参加出来ると思います。

なお今回から駐車場からShoka:までの送迎を業者さんへ頼む事にしました。
代行に押されながらもがんばっている、地元のタクシー屋さんへ依頼しようと思っています。
なのでみなさまから300円ずつを参加費として頂戴する運びとなりました。
どうぞよろしくお願いします。
地元の仕事人も応援したいと思います。

では、Shoka:にてお会いしましょう。

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