邂逅vol Ⅱ 2011/12/15

「わたし」の幸せな仕事

写真と文 田原あゆみ

人は意外な事に心を奪われる。
思ってもいなかったようなことが起きると、強烈に興味をそそられる。
そして出来なかった事が出来るようになる体験は、数ある喜びの中でも大きい。

minä perhonenのチーフテキスタイルデザイナーである皆川明氏に、この仕事を選んだきっかけや動機について訪ねてみた。

「一人の人間が何かをやり続けた時にどうなってゆくのだろう、という事に興味があった。出来る事をやるのは出来るという事を積み上げるだけ。それはつまらない。
うまく出来ない事をやり続けるプロセスの中にこそ出来てゆくという体験があるし、意味があると感じる。
仕事は何でもよかった」

と。

意外な返答に、どんどん惹き付けられてゆく。

出来なかった事をその先を見据えながら続ける事で、出来るようになってゆく。
そのプロセスの中で、自分も仕事も成長してゆく。

そうすると、次の世界が見えて来て、その先を目標にする。
そうやって続けた30年先、40年先に待っている景色を思うと心が躍る。

100年先に思いを馳せながら、積み重ねられて行く仕事。
その中で自分が受け持つ30年はどうしようか?と考える。
そうするとやる事が見えてくる。

自分がいつかバトンを渡す、その次世代の見ているであろう景色に思いを馳せて、心が躍る。

皆川氏のことばを反芻しながら、私もその未来を感じ、その未来の輝きを発見する。

minä perhonenの仕事場では、部門の責任者はいるが仕事に垣根はないという。
テキスタイルデザイナーの一人が映像を撮ったり、インターナショナル営業担当者がディスプレイをしたり企画を練ったり、何でもやるのだそう。

皆川氏の実践が作った空気だ。

そんな仕事場だからこそ、活気があり、喜びが溢れている。
働いている人達も空間も生き生きと輝いていて、幸せな気持ちになる。

そこからうまれてくる、minä perhonenの服たちは喜びに染まっている。

それは私たちにも伝染する。

成長したい、学びたいという欲求を強く持つのが人間だという。
自分を「出来る事」から様々な活動の中に解放する。

手探りで、自分の中の答えを見いだし続ける。

プロセスの中に喜びを見いだしながら、進行してゆく。

湧き上がってくるものに形を与えてみる。

未来を、形の中に解放してみる。

Shoka:のうつわの中に、minä perhonenの世界がどんどん注がれてきました。

その世界に、一人でも多くの人が触れて欲しいと感じています。

2011年12月16日(金)~25日(日)
Shoka:
12:30~19:00

ミナ ペルホネンの
大人服・子ども服・雑貨

minä perhonen

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邂逅vol Ⅰ 「思い出」の記事たち

Shoka:の店舗をクローズしてからあっという間に四ヶ月。

私もずいぶん休ませてもらいました。新しいことを始める前に、今までやってきたことをおさらいしたいと思うようになりました。

カレンド沖縄というWeBマガジンに連載していた記事を掘り起こして再発信して行こうと思います。過去記事ですので誤解のなきようお気をつけください。

 

2011年12月1日「minä perhonen私の中の特別に会う」

詩と、ことばと、かたちとわたし。

去年の暮れに友人の結婚式で、チーフデザイナーである皆川明さんと同席したのがきっかけで私はミナ ペルホネンを知った。

スピーチをした皆川さんの穏やかなたたずまいや、彼の話すことばが、水紋のように胸に広がっては染み込んでいった。

静かに、誠実に、ことばを紡ぎだしてゆく。

「この人は詩人なんだ」

この確信は私の中にぴたりと納まった。

ほどなくミナ ペルホネンの本を入手。

「皆川明の旅のかけら」

「ミナ ペルホネン の 織り minä perhonen 1 textile」

「ミナ ペルホネン の プリント minä perhonen 3 print」

私は常々、日常の服は自分を表す親しい友人のようなものだと感じている。
しかしその服達の市場での命は軽いし短い。
店頭に出て、半年以下で価格が半額になってしまったりする。
また流行という名の下に、あっという間に飽きられたり、タンスの隅に追いやられてしまう。

服の世界に関わって来てずっと感じていたジレンマだった。
本質的な生活につながる服とものを通して、丁寧に楽しく暮らすことを伝えたい。
その思いと現実が食い違っていたからだ。

ミナ ペルホネンは100年経った後にも、輝きと生命力を持つ継続的なブランドであることを目指している。
セールでその価値をおとしめないし、お直しも誠意を持って対応している。

そして16年経った今も、100年先を見て自分たちの仕事を「進行中」と言う。
こんな風に服づくりをしている人と会社があることに、驚き、感動した。

                            forest parade

この刺繍の形やタッチを見ていると、森と風が作る様々な音が聴こえてくるよう。

テキスタイルのタイトルを見た時に、よりいっそう心が広がったような気持ちになった。

ミナ ペルホネンのテキスタイルからは様々なメッセージが溢れてくる。
傘越しに聴こえてくる雨音と、自分のハナウタ。
雨のにおいと、帰り道の風と身体を濡らすしずくたち。
地べたの水たまりに、浮かんでは消える雨が描いた模様。

あるいは、耳を澄ますと聴こえてくる春の気配。
コーヒーを入れる音。
晴れた日の、外を眺めながらの仕事とインクのにじみ。

そしてその世界には、自然からの便りに耳を澄ましている様な暮らしからの視点がある。
人の暮らしとその営みと、自然が楽しくまじり合っているような世界だ。

そんな景色と空気で溢れているテキスタイルの服を着ることが出来るのはしあわせだな、と感じる。

服を着る「わたし」、
生活の道具をつかう「わたし」、
暮らしている「わたし」、
その「わたし」と暮らしは、自然から祝福を受けている。

そんな、普段のしあわせをそっと包むような服と暮らしの道具達。
新しいけれど懐かしいもの達。

日常を生きている「わたし」の特別に、会いにいらしてください。

2011年12月16日(金)~25日(日)
Shoka:
12:30~19:00

ミナ ペルホネンの
大人服・子ども服・雑貨

minä perhonen
http://www.mina-perhonen.jp

 

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邂逅vol 16 2012/7/26

「暮らしの中の道具たち」赤木智子の生活道具店に向けて

文 田原あゆみ

写真 雨宮秀也
赤木智子
ギャラリーONOのガベ  写真:雨宮秀也

一体、赤木家の輪島での暮らしというものはどのようなものなのだろう。

塗師赤木明登氏の工房の、10人前後のお弟子さんたち。
赤木家の家族5人。
ひっきりなしにやってくる、明登さんの仕事関係の来訪者や、友人知人たち。
地元の人々との交流。

智子さんは、そんなたくさんの人達と交流をし、塗り物の工房の女将をこなし、母親という役割をもこなし、エッセイを書き、生活道具店を開催し、せっせとご飯を作っているのだという。
「赤木智子の生活道具店」を読んでいると、一人の人間のこなせる仕事の多様性に驚くばかり。
活字で読んでいるはずなのに、それを忘れてしまうほど生き生きとしているその表現に引き込まれてゆく。
一緒にドキドキわくわく、しょんぼりしたり涙したりと、あっという間に読めてしまう。

勢い良く読んで、それっきり開かなくなる本というのも多々あるけれど、智子さんの執筆した本たちは、その後は暮らしのカタログという感じで、様々な道具やその使い方を写真で眺めながら何度も開くことになる。
道具にまつわるエピソードも、時間をおいて何度読んでも味わい深い。

何度も美味しい本なのである。


新潮社 赤木智子著/写真 雨宮秀也


講談社 赤木智子著/写真 雨宮秀也

この一月ほど、この連載で道具についてのあれこれを書いて来たが、私たちは本当にたくさんの道具を使って生活している。
他にも道具を使う動物がいるのは分かっているようだが、地球上で他にこんなに道具を使う生き物はいないだろう。
人は、道具を使い、道具を作り、道具とともに暮らし、道具とともに働く。
また生活道具を選び、それを愛でることに重きを置く人達も多い。

「道具」と一言でいえるけれど、その役割は多様性に富んでいる。
例えば、パソコンも道具だが、道具を通して出来ることはそれこそ無限大だ。
お椀一つにしても、私たち日本人はそこに森羅万象を重ねて愛でるという精神性を持っているため、単なる食器という役割だけには収まらないこともあるだろう。

8月3日から始まる、「赤木智子の生活道具店」には、智子さんが選んだとっておきの道具たちがShoka:へやってきます。
今日はその一部を少しだけご紹介しましょう。


輪島の赤木家で使われている箒たち  写真:雨宮秀也

私も10年ほど前に購入して使っている岩谷さんの箒。

掃除機もとても便利だけれど、私は箒の気軽さが好き。
掃除機はもちろん便利な道具。
けれどもどんなにシンプルにデザインされていても、木の生活の景色からは浮いてしまう。
えっこらしょっと出して、ガーガーと音がうるさくて、何だか心が荒立つようでどうしても好きになれない。

さっと手に取って、ささっと掃いたら、すぐに結果が出る箒の仕事。
掃きながら、心が静まってゆくようなそのひとときがとてもいいのです。

それから、かけておいてもとてもきれいだと思いませんか?


赤木家で使っている長柄の箒  写真:雨宮秀也

柄に木の枝をそのままに近い形で使っているので、一つ一つが一点もの。

姿に一目惚れするも良し、手にした時にあまりのなじみ具合に手放せなくなった人もいるのかも知れません。
とても人気のある岩谷さんの箒たち。
是非手に取ってみてください。

日本の道具はこんなにうつくしいのです。
巻末近くに私の箒も登場します。
今日はいいお天気だったので、箒のお手入れをしてみたのでした。


赤木家の食器棚  写真:雨宮秀也

食器棚を開けたとき、私はいつでも楽しくなる。
どのうつわも気に入って買ったもの。
大好きなうつわを割ってしまった衝撃も、銀継ぎにして今はいい思い出になっている。

さあ、今日はどのうつわに盛ろうかな?
その瞬間がとても好き。
作り手を知っている場合はなおさらのこと、うつわの背景に色々な景色が浮かんでくる。

智子さんは、今回の企画展に参加している作り手の作家さんたちと親しくしているという。
中には長年の友人として親交を深めている方も。
エッセイを読んでいると、友人達の交流にほろっと来てしまった。

友人の作った道具を使いながら見えてくることや、感じることもきっと深いのだろう。

人にとって、一番影響力があるのはやはり人なのだと思う。
「ああ、こんな風に工夫したのか・・・」

「この人のこのお皿、前より使い勝手が良くなったのだけれどどうしてだろう?」

「あの背景があるから、このような形が作れるのか」

「ああ、久しぶりに会いたいなあ、元気にしているのかしら?」

そんなことを、思ったりしているのだろうか。

作り手のことをある程度知っていて、その道具を使っていると間接的にコミュニケーションをしているような感覚になることがある。
ものを通して違う側面を知る、ということもあるのだと思う。
言葉の向こう側、もしかするとより本質的なところに触れて、言葉のないところでやり取りをする手紙のような媒体になるのかもしれない。


早川ユミさんのスカート  写真:雨宮秀也 

早川ユミさんは高知県の谷相の小山のてっぺんに暮らして、ちくちくと自分の暮らしのここちいい服を作っている。
柄物と柄物を組み合わせたり、ちくちくと針の模様を楽しむような服。

普段は無地が好きな智子さんが、ユミさんの服だと柄と柄を合わせていても気にならないという。
智子さんのエッセイを通して、田舎の暮らしというのをかいま見ると、その労働の多さに驚くばかりだ。
そんな日常の中で、ユミさんの作ったもんぺやスカートをどんどん着ているというのだから、興味しんしん。

服は自己表現をするのに、一番身近な存在だ。
ユミさんの服は、大地に足をしっかりとつけて、緑や、水や、花のうつくしさにYES!と言っているような、そんな気がする。
そして、ふふふといくつになってもかわいく笑っている人の服なのだろう。

手にするのが楽しみだ。


赤木明登さんの切溜  写真:雨宮秀也

今年の3月に智子さんの旦那様である、赤木明登さんの漆のうつわの展示会をした。
その時に、漆ってなんて艶があるのだろう、生き生きとしているのだろうと、漆のフアンになってしまった。
漆はすごい。
貼ってよし、塗ってよし、守る力のすばらしいこと、再生力があること、色んな点でこれからの時代に合っていると感じている。

そのすごさをここで書き出すと、きっと私は今日中というCALENDの締め切りを守れないでしょう。
なのでみなさん、以前書いたCALENDの漆の記事のリンクを貼っておきますね。
漆と再生の物語

うちで8年使っている漆のお皿があまりにいいので、感覚的には漆器の良さを分かってはいたが、赤木明登さんのお話を聴いて、漆という物質がとても神秘的ですばらしいことに感激。

3月の個展の時に、タイミングが合わなかった方にも朗報です。
是非この機会に漆のうつわに触れてみてください。

他にもたくさんいいものがやってきます。
ラインナップは以下の通り。

及源の南部鉄フライパン
早川ゆみのスカート
白木屋伝兵衛のちりとり・ほうき・たわし
上泉秀人の大きな湯飲み
小野哲平の小皿
花月総本店の原稿用紙とカード
mon SakataのTシャツと小物
大村剛の小さな片口
安藤明子のよだれかけとガーゼもの
晴耕社ガラス工房のコップ
リー・ヨンツェの角皿
野田琺瑯の洗い桶
ギャラリーONOのガベ
井畑勝江の湯呑み
佃眞吾の我谷盆
ヤオイタカスミの子供服・ワンピース
輪島・谷川醸造の「塩麹くん」「米麹みるくちゃん」
秋野ちひろの金属のかけら
広川絵麻の湯呑みと蓋物
岩谷雪子のほうき
村山亜矢子の塗り箸
而今禾のパンツ・スカート・ワンピース
壺田亜矢のカップと片口
新宮州三の刳りもの
丸八製茶場の加賀棒茶
高知谷相の和紙
輪島のほうき
赤木明登のぬりもの
輪島のお菓子

見ていてとてもわくわくしてきます。
私も知っているものもあれば、今まで手にしたことが無かったものも、色々。

それから、今回はトークイベントというよりは、ざっくばらんにみんなで和気あいあいとお話が出来る会を企画しました。

the 座談会 at Shoka: 「 道具と暮らしといろいろのこと」8月3日(金)19:00スタート

輪島・谷川醸造の「塩麹くん」を使った美味しい軽食とお菓子をいただきながら、ものづくりのお話や、家族のサポート話し、友人の話し、生きる楽しさのお話、色んなお話をみんなで楽しめたらと思います。
Roguiiのミカちゃんが美味しいものを作ってくれます!それも楽しみですね。

Shoka:は一方通行のお話会はしていません。
みんなで交流しながら、もぐもぐ、うんうん、ごっくんと、美味しい食べ物もお話も、お腹に入れて自己流完全消化を目指しています。

まだ迷っているみなさまも、後もう少し枠がありますので、どうぞお申し込みください。
巻末の情報欄に詳細を書いています。

ではみなさま、8月の夏真っ盛りの時期にShoka:でお会いするのを楽しみにしています。

赤木智子の生活道具店
8月3日(金)~12日(日)
12:30〜19:00
期間中無休

*赤木智子さんは8月3日に在廊予定です。*

<番外編>

田原家の岩谷さん作の箒  写真:田原あゆみ

こちらはうちの箒。
10年選手。
柄が短い方の箒です。

くせがついていた穂先を少し濡らして陰干しをしています。
こうやってお手入れをすると、驚くほどきれいな形が長持ちするのです。

ぬくもりのある形、何だか生きているような気がしませんか?
形あるものには心が宿る、そんな言葉の意味がわかるような気がします。
引っ越しをした時に、閉まった場所を忘れてしまい半年後に見つけた時に、本当に済まない気持ちになったのも、生きている感じがするからでしょう。

私にとっては、長い付き合いの友人の一人なのです。


野田琺瑯の洗い桶  写真:田原あゆみ

待っていました、琺瑯の洗い桶。
白に緑色が映えています。

もう言葉はいりません。
私はこれが楽しみで、待っていたのです。
いろんなものを洗いたい・・・・

洗って洗って今年の夏を楽しみます!

みなさまとの再会を楽しみにしています!

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「暮らしの中の旅日記 横糸と縦糸の風景 ~ インド編」

CALICO

肌触りのいいカディの軽やかさ。

CALICOの服たちは日常生活の中に風を運んでくる。4月27日から始まる沖縄で2回目のCALICOの企画展。服自体で十分魅力的なのだけれど、代表の小林史恵さんの仕事に対する志や、手仕事で産業を興す際の社会への眼差しの深さやインテリジェンスに触れて欲しくて、去年CALENDO OKINAWAに掲載した記事をこちらに転載します。

まだ読んだことのない方は是非どうぞ。

CALICO:the ART of INDIAN VILLAGE FABRICS

「暮らしの中の旅日記 横糸と縦糸の風景 ~ インド編」

                        写真 文 田原あゆみDSC05090-1

私はとうとうインドへ行った。
20代の頃に藤原新也氏の写真集を見ていつかインドへ必ず行こうと決意した。あくまで氏の視点で切り取ったインドの景色なのだということはわかっていても、ページをめくるたびに衝撃を受けた。聖なるガンジス川には人々の生活と死が混じり合って流れていて、そうだ生きるということは生々しいことなのだと、改めて目覚めたように感じた。パッケージング化が進み、生々しさが正気を欠いた時代に触れたからこそそのインパクトは大きかった。

インドに行きたい。けれどただふらふらと漂流するにはハードルの高い国だと感じた。何かこう崇高な、いや、現実的な目的がある時に行こう。そう決めた。ただふらふらといってしまったら、きっと私はまぶい(沖縄でいう魂。七つあるうちの4つを落とすとあの世へ行くと言われている。三つまでは落としても拾ったら大丈夫)を落としてしまうだろう。強靭な精神を持ち地に足が着いていないと、まぶいをかなり持っていかれる感が半端なく感じられたのだ。

2016年4月に家族ぐるみで親交のある東京のギャラリーfu do kiの浅野ファミリーから小林史恵さんを紹介していただいた。
(写真中央はその小林史恵さんと、インド・コルコタ発の手仕事布ブランドmaku textilesのデザイナーのSantanu氏。ベンガル料理の有名店にて仕事の打ち合わせをしているところなのです。クールビューティな目元がキリッとしていますね。)

小林史恵さんは奈良とインドを行き来してCALICO:the ART of INDIAN VILLAGE FABRICSの運営を指揮をとっている。CALICOの仕事は、インドの手織り手紡ぎの綿素材カディで作られた服の企画・デザイン・製作に関わる活動全般。彼女とそのチームの仕事は一言で紹介するのが難しいくらい多岐にわたり、今まで私が関わってきたアパレル業界の仕事のあり方とは様相が違っている。
まず驚いたのはとにかく同業者同士や、布の仕事に関わる人々との横の絆が強いということ。
インドの手仕事布が大好きで、とにかくそれに触れていたい、その布たちを多くの人たちに届けたい。彼女の中にあるその思いが軸となっていてぶれないのだろう。彼女にとって、同業者はライバルではなくてインドという国とその文化、そして手仕事布を愛する同志なのだ。

あまりに多岐にわたる活動をしているため、最初は漠然としていた彼女の活動。彼女に会うたびごとにその仕事の断片が一つずつ見えてきて、今では一枚の布のようにその全体像が見えてきた。きっと、そこに散りばめられた柄や微妙な色合いはこれから回を重ねるごとにまだまだ浮き上がってくるのだろう。

2017年に再会して、私たちはShoka:で2018年4月にCALICOの企画展をしましょうと、約束をした。そして慌ただしい年末に、そうだ、小林さんのところへ取材に行かなくちゃ。しかも崇高な目的を掲げて堂々とインドへ行けるチャンスなのではのではなかろうか?と思い立った。

連絡を取ってみると、「年明けに少人数のツアーがありますがご一緒しませんか?」との返答。なんとも絶妙なタイミングに興奮しつつメンバーを聞いてみると、また楽しそうな方ばかり。
私は二つ返事で、憧れのインドへ行くことになったのだ。

 

インドでは国内をあちこち回った。デリー → デラドン → デリー → コルコタ → デリー。全て布にまつわる旅である。

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布の仕事のことを語る前に、憧れてやまなかったインドの片鱗を少々語ろう。
コルコタの街で受けた衝撃は、私が見てきたこの半世紀の全ての時代が一つの景色になっているということ。

いや、私が生まれる前の様子もしっかりと混じっている。ハイブリットカーと人力車やトゥクトゥクが並んで走り、ルンギやサリーなどの民族衣装を着た人々と、アディダスなどのスポーツウエアにスニーカーの若者や、日本と変わらぬ値段のハイファッションに身を包む人々が、屋台や路面店が密集した景色を背景にうごめいている。

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やはりインドの人々には伝統的な衣装がぴったりとはまり美しいしカッコ良い。

個人的にはおじさま、おじいさまたちが渋くてカッコよくて素敵だと感じた。伝統服に身を包んだ人々は年配者が多く、街中の10%くらいはいただろうか。そんな人に会うたびに私は追いかけたくなり、彼らの生活に触れてみたい衝動にかられるも、ぐっとこらえてその時しなくちゃいけないこと、早々この場合は布の仕事場を見て回るということ、に集中集中。

はたき売りのおじさまのファッションセンスと色にしびれませんか?

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街の小道を曲がると、鮮やかな色があちこちに。
私の住んでいる沖縄にもこんな色の組み合わせはほとんど出会わない。

インドの植物たちの色、インドの人々の褐色の肌が映える色、見ていて心にスパイス注入の元気色。
まるで街全体がインドのキルト、「カンタ」のように様々な色で彩られていて、歩いているだけでも楽しい。けれど、みんなスモッグがほんのりとついている。もちろん私の鼻の穴や、身体のあちこちにも。ハンカチでぬぐうとうわお、真っ黒。

日本の高度成長期にも見られた、砂塵と排気ガスと、スモッグと。近代化に向かう途中で人々が通る道。

そんな排気ガスやPM2.5が煙った街とは打って変わって、布の産地の村を訪れるとそこはなんとも豊かな世界が待っていた。

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コルコタ市内から車で片道3時間ほどで着いた小さな村。
村の人々は純朴だ。私たち日本人の小さな集団を見つけると、はにかんで笑いながら挨拶をしてくれる。中にはスマホを片手に写真や動画を撮りながら後をついてくる人々も現れ、私たちの後には人だかりができた。

そして、私の予想に反して、村に工房らしきものは見当たらず、織り子が一人か二人が身を置く小屋のようなものが一つか二つあるばかり。

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しかもほとんどの織り子さんは男性だという。織り子という言葉を使っていいのかどうか考えてしま位、ちょっとだけ面食らってしまった。

それでも手馴れた動きや、布を織る静かな時間が伝わってくると、私の思い込みもこれもありだとすんなりとその時間に溶け込んだ。

男性の織る布はきちっと滑らかに織り上げられてゆく。すとんすとんとリズムよく、心地の良い音が響く。

この村で織られているカディの糸は極細で、織り上がるとまるで風に色がついたような軽やかさを感じた。その縦糸と横糸にジャムダニと呼ばれる柄が織り込まれてゆく。
工房がない、織り子さんは男性。
服作りをするのにはどんなに小さくても20~30人くらいの織り子さんを抱える工房があるものだと思っていたし、そこで働く人々は日本のように女性だといつの間にかそんな思い込みが私の中にあったのだ。それまで抱いていた私の中の常識は、この旅で軽い驚きとともに崩れ去った。思い込みや常識が崩れる感覚が大好きな私は、また一つ世界が広がった気がして爽快感を感じていた。

女性の織る布はふくよかだ、これも思い込みかもしれない。この時、インドの男性の織る布は理数系的な感じがした。これは感覚なので今はまだうまく言葉で説明するのは難しいけれど、行き当たりばったり的な感じではなくて、柄の配列が数式のように整っているように感じられたのだ。
性別は関係ないのかもしれない。文化や歴史的背景やいろいろあるだろうが、それももしかしたら無関係で、この人の持つ世界観なのかもしれない。その追求は妄想なのでここではそっと置いておいて、何か言葉で表現するとするならば。

鼻歌というより、楽譜のある演奏という感じだろうか。いつかもっとうまく表現してみたい。

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ここでインドの伝統的な織物カディのことを書きたい。
カディは布の原点と呼ばれている。
3000年前に書かれたインドのヴェーダという文献の中にも嫁入り道具としてカディの機を持たせるという一文が書かれているのだそう。また紀元前327年にアレキサンダー大王がインドに侵攻した際にこの生地に魅了されたというのは有名な話なのだそう。

近代になってインドの独立の父マハトマ・ガンジー氏がカディの生産を推奨し、国産品としての地位を固めたと言える。

彼は、「国産品のない独立は、生命のないただの屍にすぎない。国産品が独立の魂であるならば、カディこそが独立の根幹だ」といい、自らチャルカ(糸紡ぎ機を回して、その紡いだ糸で服を作り、それを独立運動の制服として着用した。1921年に「自分が纏う衣服のための糸を自らの手で紡ごう」という運動を起こし大きなうねりとなった。そうして独立運動は勢いを増し、カディの生産がインド中に広まっていった。
一人の織り子の周りには10の仕事ができると言われていて。当時何十万人いやもしかしたら何百万人ものインドの人々が職を得たという。

私は30年以上前からカディを手に取り、着ていたもののこのことをしっかりと知ったのはCALICOの小林史恵さんに出会ってからだ。知った時には深く深く胸を打たれた。

言葉や、その国の食文化、衣装には長い時間をかけて積み上げてきた民族の魂が宿っている。アイデンティティとも言えるだろう。それを失うと、国民はアイデンティティの喪失感から国土に根ざしていた根を断たれてしまう要素が多々ある。国産品を代々伝わってきた布文化の中に見出したことで、インドという国はいまだ強いアイデンティティを失わないまま近代化をも達成していることを感じる。様々な意味で豊かで、底の見えないたくましい国だと感じる。

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織り子さんのいる小さな村である家族に呼び止められて彼らの住む家に招かれた。ものにあふれた私たちの生活から見ると、質素な暮らしに見える。半分以上も瓦のないトタン屋根、土間の暮らし。私の中にあった、インドは不衛生で薄汚れているのではないだろうか?そして相当人にぼられて精神的によっぽどタフでないと楽しい旅はできないだろう、というイメージはこの旅で吹き飛んでしまった。
街中にはきっとそんな側面もあるのだろうが、招かれた小さな村の家族のこの家は美しく掃き清められ、土間の緩やかな曲線はあちこちが美しく光っていた。そして彼らの柔らかく純粋な笑顔には豊かさが満ち溢れているのだ。

左は時のお母さんは陶工。地面に並んでいる器たちは素焼きでインドでは日常的に使われるものだ。整形して天日で乾かして、その後穴窯に入れられて焼かれる。家族の絆は強くたくましく明るくて、健康的で本当に美しかった。そんな人々に触れ合うと、生命力が充電される。元気もりもりの私はこの旅で全くお腹を壊さなかった。余談だが。

こんな村の家族のつながりや、親戚たちや隣人が職業や生産品でも強く結びついていて、村はとても健全だ。それがインド全土に広がっていることを思うと、やはりインドは強い国だ。近所や親戚や、もしや家族間の結びつきさえ薄くなって行く私たち先進国の暮らしの方がずっと脆弱に感じる。豊かさは金銭では決して測ることはできないし、幸福度はきっと人々の絆が深かければ深いほど得られるのではないか、私にはそう感じられた。

手の仕事が生きている土地の豊かさに触れたインドの旅。

ああ、なんか終わりそうになってしまったが、最後に今回の豊かな旅のきっかけになったCALICO:the ART of INDIAN VILLAGE FABRICSの仕事のことをちゃんと伝えたい。

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布を織るのは男性の仕事というインドで、珍しい女性の織り子さん。最近は少しずつ女性も仕事をする機会が出てきているという。窓から目を輝かせて眺める少女たちが大人になる頃には、きっと今よりずっと女性たちの社会的な立ち位置は変化していることだろう。

『インドの小さな村に暮らす人々の、手紡ぎ手織りで仕上げられたカディのもつ自然な揺らぎは美しい。そのカディで仕立てられた服の中でも。CALICO:the ART of INDIAN VILLAGE FABRICSのデザイナー小林史恵さんが提案する服には、一本の芯が通った美を感じる。彼女は洗練された形を追求し、着る人の美意識を満たすだけではなく、生産者から最終消費者に至るまで、関わる人全員が対等で健全な経済的バランスの中にいることを目指している。歴史・文化背景の違う両国を行き来して互いの経済的自立と、仕事の喜びがもたらす複合的な利益のバランスをとるということは決して簡単なことではないだろう。それは彼女自身が「自分が見たい社会」を作るという信念を持ち。CALICOの全活動に意義を見出しているからこそできることだ。インドの布に魅せられて始まったこの仕事、「カディは村という太陽系における太陽であり、その営みなしでは他の惑星は成り立たない。村の人の空いた時間を有効利用するためにもチャルカ(糸車)を回し続けなければいけない」というマハトマ・ガンジー氏の言葉が一番しっくりくるという。

美意識と信念と行動が伴った人の生きる姿勢には人々を巻き込むパワーがある。裾を風になびかせてインドの村をしなやかに歩く彼女の姿を見てCALICOの服を無性に着たくなった。
私はかっこよく、美しいものだけに巻かれたいのだ。    田原あゆみ』

この文章はCALICOのDMを作った時に何日も何日も身悶えしながらまとめた文だ。書いてしまうとシンプルでサラッと読めるから読んだ人に産みの苦労は伝わるまい。しかし、彼女の活動の広さと心意気を知ってしまうとあれもこれも伝えたくなってしまい、まとめるのは本当に大変だった。

そしてこの記事を読んだみなさんにどうしてもこの豊かさに触れて欲しい。一人より二人、二人より四人、できるだけ多くの仲間友人家族知人に伝えて、このインドの手仕事カディの魅力と、小林史恵さんの活動の素晴らしさに触れて欲しい。

2018.04.26

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お元気ですか?

田原あゆみ Shoka: 沖縄

お久しぶりです、Shoka:オーナーのあゆみです。

今年に入って昔からずっと行ってみたかった魅惑の国インドへ行くことができました。何となく行くよりもか特別な用事ができた時に行きたくて機会を伺っていたのですが、東京のギャラリーfudokiさんの紹介で出会ったCALICO:the ART of INDIAN VILLAGE FABRICSの小林史恵さんのお仕事を取材するという強力な目的ができたので、拳を太陽に力強く挙げて行ってまいりました。

インドは不思議な国です。様々な時代のものが一つの風景になって目の前に現れる。人力車、タイのトゥクトゥクのようなオートリクシャー、自転車の後ろに乗り合いのボックスが付いたような乗り物、そしてそこにハイブリットカーのような現代的な乗り物も混じって、ともに砂塵を巻き上げながら走っています。

人々の着る服も様々。伝統的なサリーを着る人、カジュアルにジーンズを着こなす人、現代的なスーツ、写真の男性が来ているルンギを身に纏う人々。

今思い出しても、ほんの一部しか見ていないのだろう彼の国が私の想像をはるかに超えた時間と歴史を刻んでいることだけは確かです。

2018年の始まりがあまりに濃かったので、なかなか文章にする前に毎日を生きることに無我夢中でした。さて、そろそろその経験たちを噛み砕いて味わって記事にしてまいります。「大人読本」も再開します。みなさまどうぞ楽しんでくださいね。

そうそう、小林史恵さんのお仕事が大変素晴らしくて感激しています。美しい布で仕上げられた、私たちの現代生活を楽しむ服。一本筋の通ったすっとした美しさは、彼女のあり方が反映されています。志と知性、美、行動力の四本柱がしっかりとしたCALICO:the ART of INDIAN VILLAGE FABRICSのお洋服たち。4月27日から企画展が始まります。

彼女とのトークイベントもかなり愉しみです。これからの時代をたくまし生きて行こうとしている全ての人に参加していただきたい。そう願っています。詳細はこちら

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