どう考えても、夜と昼間の景色は全く別の世界。
闇の中に光がいろんな色を放って浮かんでいるのが夜。
ほとんど見えているのに、陰と海の中と空の果てだけ見えないのが昼。
暗闇の中に浮かぶ灯りは心まで照らしてくれる。
昼間の陰は安息をもたらしてくれる。
写真は、どうやったら闇の中の光が綺麗に撮れるのだろうと、カメラを片手に奮闘したある冬の日の夜の記録。
どう考えても、夜と昼間の景色は全く別の世界。
闇の中に光がいろんな色を放って浮かんでいるのが夜。
ほとんど見えているのに、陰と海の中と空の果てだけ見えないのが昼。
暗闇の中に浮かぶ灯りは心まで照らしてくれる。
昼間の陰は安息をもたらしてくれる。
写真は、どうやったら闇の中の光が綺麗に撮れるのだろうと、カメラを片手に奮闘したある冬の日の夜の記録。
人々が生き交う活気のあるアリーグルの市場。
立派に開いたバラたちが誇らしげに咲き誇っているのは、ある露天の台の上。花を横積みにする習慣が無いのに、その時はバラの色が大人っぽいこと、結構開ききったものが並んでいることに新鮮さを感じた。
今、時間が経って写真を眺めていると、おいおい横積みになっているけどいいのかしら?
お花が潰れるんじゃ無いかしら?
実際下の方は潰れちゃっているよ・・・
そんなことが気になるといえば気になる。
そんな細かなことは、「習慣の違いね」とサラッと流して、あの時に肌が感じた市場の活気と立ち込めている香りを思い出す。
冬の濡れた冷たい空気の臭いと、そこに広がるバラの香り。
あ、習慣の違いだな、というボタンを押すと結構いろんなことが気にならなくなって、感覚で感じていることに集中できる。
大体が頭にストックされている記憶が「気になる」を作っているのだから。
感覚は「今」に集中する入り口だ。
ほら、この香り、立ち込めてきませんか?
世の中には色んな食べ物があるけれど、機械でパックされたものはあまり美しいなとは感じない。もちろん美味しいものもあるけれど。
たまに人間が作ったものの中に、木の実のように完璧な造形美を見る事がある。
昔ながらの作り方で作られたパンの塊・様々な形と色のチーズたち・味噌玉・きな粉ボール・・・
形がシンプルで、表皮に深い味わいがあって、丸い。そうすると木の実のように命を宿しているように秘めた力を感じるのだ。
旅先で出会うチーズはとても魅力的。彼らにはバスティーユで出会った。今日沖縄の街のあるレストランで出てきたチーズの盛り合わせはこの100分の1の量で、頼りなくって微かで、皿が透き通るように薄くスライスされたその子たちは、貧血を起こしたように見えたっけ。
私も一部をバラして開示するのはよそう。一個の塊でいたいのよ。