2012.09.27 「本腰を入れる」安藤明子さんの工房を訪ねて

Calend Okinawaに連載していた田原あゆみの「暮らしの中の旅日記」から転載している過去の記録たち

写真は今年のはじめに訪れた、岐阜県多治見市にあるギャルリ百草の中の安藤明子さんの工房で撮ったもの。
10月6日から始まる 安藤明子のサロン展 「はたらきものの衣服」の為の取材だった。

みなさんはサロンを着たことがありますか?

サロンというのは、アジア全般の民族衣装や日常着として存在する筒型のスカートや、布を巻いたスカートの総称。
その国や地域によって布や柄も様々なサロンたち。

着物文化も然り、アジア人の私たちにとって平面の布を立体的に着るということは共通のスタイルとして風土や歴史に根付いたものであったと思います。

近代に入り、西洋化が私たちの暮らしの中に定着してから、立体裁断されてダーツやタックの入った洋服を私たちは日常着として当たり前のように着るようになりました。

なので布を巻きつけて着ることについては、もしかしたら前近代的なイメージもまだ多くの人々の中にはあるのかも知れません。

けれど、実際は長い時間をかけて洗練されて来た「布を着る衣服文化」の中には、様々な先人たちの知恵が息づいており、身体で感じることが出来るような自然な合致感があるのです。
そう、私たちの身体の感覚がうなづくような、そんな合致感は、私たち個人が生きることの出来る短い時間とは比較にならないほどの時間をかけて育った衣服文化が、いかに自然と人の暮らしの中で洗練されて来たものであったのか、ということを物語っているのかも知れません。


安藤明子さんとminä perhonenとでコラボしたサロンの一つ

私が最初にサロンを着たのは、20代の頃。
インドネシアのバリ島に長期滞在をした時に、地元の人に教えてもらってバティックのサロンを巻いてもらった時のことでした。
その時に、サロンの着付けの中に先人の知恵と工夫を感じて感心したものです。
平面の長方形の布を、こんなにきっちりと腰に巻き付けることが出来ること。
着ていて動きやすく、しかも身体のラインをよりうつくしく見せるような様々な着方があること。
そしてそんな工夫が家族ごと、時には個人にも色々あるのだということにも驚きました。

形が定まっていないからこそ、様々に形を変えることが出来るという布の魅力の一つを、サロンは存分に発揮できるのです。

明子さんがサロンを「常服」として考案することになった一つのきっかけは、新婚旅行で滞在した欧州で目にした人々の洋服姿がとても素敵に見えた、ということだったそうです。
洋服に身を包んで、颯爽と歩く姿を眺めながら、元は体型も、暮らす風土やスタイルの違う西洋で発展した洋服文化は、やはり彼らのものだと思わずにはいられなかった、と。

そして結婚後、都会から田舎に居を移し日本家屋で暮らすようになってますますそれまで当たり前に着ていた洋服が、日本式の暮らしの中では不自然で不合理性があるということを感じるようになったといいます。

「ではどういう服が私たち現代に生きる日本人にとっての常服となりうるのか?」と、自問するようになってから、時間をかけて生み出したのが、着物を手本として考案した現在の安藤明子式サロンたちなのです。

着物には、単衣・重ね・袷(あわせ)で季節を着分け、同じ型で、浴衣・小袖・訪問着・留袖と、場さえも着分けられる利便性と様式のうつくしさがあります。
明子さんは、それらの持つ要素を残した現代の日常着としてのサロンを考案したのです。


工房で一緒に働くスタッフと、サロンの着回しを見せてくれる安藤さん

この時は、1月の頭の底冷えする気候に合わせて、ウールのタイツ、下履き、重ねサロンと、布を重ねることで暖かく着ています。

季節や気候に合わせて素材を選び、涼しい時には風を楽しみ、寒い時には重ねて暖をとることの出来るサロンは、型は同じであっても変化にとんだ着こなしが出来るのです。

この布は、薇(ゼンマイ)の先端にある茶色い産毛のような繊維をシルクに織り込んだ布。
このような手織りの布は、鋏を多くいれることになる立体裁断には向きませんが、サロンでは裁断を最小限に押さえることでこの何ともいえない自然が詰まった表情を生かすことが出来ます。

季節を着る愉しみは、私たちが自然とともに暮らすことに喜びを感じるという証のようなものではないでしょうか。

沖縄在住のkittaさんと明子さんがコラボレーションした重ねサロン。
kittaさんの草木染めは、やさしく深くあたたかい。

今回の企画展にもやってきます。

百草の定番で作られている重ねサロンの色の名前は、
空五倍子色(ウツブシイロ)・鉄納戸・牡丹色・黄檗色(キハダイロ)

日本特有の色の名前は、私たちの目に映る自然の多様性を物語っている。
自然と呼吸を合わせるような暮らしと、その中で育んだ感性の深さにはっとするような名前たち。
自然の景色を摘み取ったような色とその名前を、明子さんは現代の日常着としてのサロンの中に取り入れた。

それを私たちは、着ることが出来る。

服を着るということは、利便性や、肌を環境から守るということの他に、目で肌で感じる喜びと、選択し理解して着るという愉しみをも私たちへもたらしてくれるのだ。

洗いをかけた後干された布たちは、15年前から百草の定番となっている腰巻き。
仕上げに洗って布の風合いを引き出してから製品となる。
冬のしんと冷えきった空気の中で、布からは暖かみやぬくもりが伝わってくる。

明子さんの提案する、現代の常服としてのサロンを初めて着たのは3年前。

「え?!、こんなに締めるの?」と、最初に着た時には驚いたものだ。
筒型の布で、腰をしっかりと巻き付けて支えた後、一本の紐でウエストに固定する着方はまるで着物を着た時のようだった。

冬で、上から羽織りものを着ているため見えないが、腰に布をきつめに巻き付けて支えた後、共布で出来た紐でウエストに固定して着付けを仕上るため、きちんと着れていると一日動き回っても着崩れし無い。

腰がしっかりと布で支えられる為、背筋まで伸びてしゃんとする着心地。

私は、「よし、今日ははたらくぞ!」という日には明子さんのサロンを着たくなる。
もしも、私がサロンを履いていたなら、その日はそんな気持ちでスタートした日なのです。


日常の仕事がしやすいように作られた“タブリエ”

タブリエは、フランス語で胸まであるエプロンのこと。
衣服が汚れるを防ぐという他に、衣服から埃や羽毛などが外に出ないようにするという役割もある。
明子さんの作るタブリエはサロンと合わせて日常着にするも良し、お出かけ着として着ても良いようにシンプルにデザインされている。

明子さんのサロンや服は、はたらきたくなる衣服だと私は感じている。
腰がくっと入って心も身体もまっすぐに、目の前のことに集中したくなるのだ。

「本腰を入れる」、という言葉があるように、人は腰が定まると本来しなくてはいけない目の前のことをこなせるように出来ているのではなかろうか?と思うほどに、サロンを着ると私にははたらくぞ!という気持ちがむくむくと目覚めるのだ。

しかも、サロンはスカートの一種なので、女性としてのしとやかさも思い出させてくれるのがまたうれしい。
立ち居振る舞いを意識することで、所作がうつくしくなる。
そういうところも着物に近い感覚なのではないだろうか。

洋服は、服自体が自分と同じ位主張しているような気がする。
けれどもサロンを着ていると、私という主体が包まれているような感覚になる。

主体とは身体であり、その身体に宿っている形無き姿。
布でしっかりと支えられた腰が本来のところに収まることで、何か中心に力が集まって身も心も定まった感覚になるのだ。

着ることで感覚が目覚めるような、そんな衣服なのだ。

そして、やはりサロンを着た日は、私ははたらきものになる。
時には、買い物や遊びに行く時にも着ることがあるのだが、しゃきっとした感覚が続くので、何かしら有意義に過ごしたような心持ちでその日は暮れる。

サロンは、着る人をはたらきものの心にさせる。

安藤明子のサロン展 「はたらきものの衣服」は10月6日(土)から。

明子さんの仕事場は、人の手のぬくもりと、息づかいが感じられます。
ここからどのようなサロンたちがShoka:へやって来るのかとても楽しみです。
今回minä perhonenとコラボレーションしたサロンも少し入ってくる予定です。

「はたらきものの衣服」にはサロンやタブリエの他にも、子ども服や布、手ぬぐいなどが多治見のギャルリ百草からやってきます。
またサロンに合わせて着れるカットソーは、mon Sakata さんが準備してくれます。

この機会に、現代の常服として提案されたサロンに触れてください。

***************************************************************************************
安藤明子のサロン展 「はたらきものの衣服」とお話し会のおしらせ
***************************************************************************************

安藤明子のサロン展 「はたらきものの衣服」
10月6日(土)~14日(日)

筒型の布を身体に合わせて巻き込み、一本の紐で固定するという明子さんのサロンは
よし今日ははたらくぞ、とか、ここ一番という時に着たくなる働きものの衣服。
腰が布で支えられ、しゃんとする感覚は本当に気持ちがいい。
麻子さんが着ているのは、ミナ ペルホネンとコラボーレーションした巾着スカート。
こちらもサロンと同じく、うきうきせっせと働きたくなる楽しい衣服。
布を重ねて色を楽しむことの出来る、様々なテキスタイルで作られたサロンたちが
Shoka:に集まります。
もし、明子さんのサロンを持っているけれど、うまく着れていないという方がいましたら、
この機会に持って来てくださいね。うまく着れるよう私たちが着付指導いたします。
またサロンは妊婦さんの腰を支えてくれるのにとても良いそうです。着込むほどにサロンの良さが
身体に馴染んでくるのを、一人でも多くの方に体験していただきたいと思っています。
期間中、どうぞ体験しにいらしてください。

************

カテゴリー: etc, rugü essay タグ: , パーマリンク

2012.09.13 「暮らしの中の旅日記」 母のバッグたちと、バッグと靴展始まりますの巻き

*Calend Okinawaに連載していた田原あゆみの「暮らしの中の旅日記」から転載している過去の記録たち

Shoka: 沖縄

今朝は早く起きて、すぐに実家へ。

母が昔から使っている、お気に入りのメッシュのバッグたちを見たかったから。

このバッグは、母が最近一番使っているもの。
中には色違いのポーチが入っている。
しんなりと柔らかくなった、ゴードメッシュは山羊の革を職人さんが丁寧に編んで作られたもの。
新品の使い始めの頃は、キュッキュッときしむ音がするのが楽しい。
牛皮より軽くて、使うほどにしなやかさと深味のある艶が加わってゆく。

Shoka: 沖縄

確か、このバッグは8年位使っているはず。
透かし編みの焦げ茶色。

Shoka: 沖縄

こちらはもっと古いもの。
20年近く経っている。

朝日を浴びて、革が飴色に光っている。

お気に入りの小物は、数年周期で変わることがある。
最近は出番が少なくなっているような気がする、かご型のメッシュバッグ。
母がフレアースカートをよくはいていた頃のお気に入りだった。

何だか懐かしくなる。

最近はパンツばっかりはいている。
着る色も変化して、明るい色が好みらしい。
そうそう、このバッグを持っていた頃は、ベージュばっかり着ていたっけ。

家族の持ち物を見ていると、時間の流れの中の緩やかな変化がくっきりとした輪郭を持って浮かび上がってくる。
その当時の記憶と一緒に。

色んなことが、今は楽しい記憶になってバッグたちを染めている。

Shoka: 沖縄

このバッグも、20年選手。
深緑色。

古いオリーブの実のような色。

一見きれいに見えますが、うちの母はなかなかのおてんばさんなので、色んなところにバッグをぽーんと置くのです。
なので、バッグの裏側は少し擦り剥けちゃっていたのでした。

その風合いも何だかうつくしいな、と感じます。
私は数年に一度、オリーブオイルか紅花オイルと、ホワイトビネガーを4:1でブレンドしたもので拭いてお手入れをしています。
そのお手入れをすると、このような擦り剥けにも強くなるし、防水効果も強まって、艶も増すのでとても良いのです。

Shoka: 沖縄

どうもうちの母はそのお手入れはやっていないようですね。
ティアンダー(手の油)のみ。

Shoka: 沖縄

ちょっと扱いは雑なのではと見ていてヒヤヒヤするのですが、好かれて使い込まれたものからはやはり何とも言えないうつくしさが感じられます。

元々付いていた裏地はとうの昔に破れてしまったのか、自分で直した形跡も内側に残っていました。
製造元もお直しをしてくれますが、すぐに使いたくて自分でお直しをしたものと見られます。

以上の写真は、うちの母の持ち物。

持ち物には、何だか気配というのが刻印されているような気がします。
使っている人の、毎日の積み重ね、その人の息づかい。

このバッグを見ていると、うちの母はしあわせなんだろうな、と感じました。

こちらは新品のバッグたち。

Shoka: 沖縄

誰かと出会って、その人が好きになってくれたらどんどん使ってもらえるのを待っているバッグ。
私たちの暮らしの中の色々を飲み込んで、運んでくれる「日常のうつわ」のような入れ物たち。

バッグがもしもなかったら・・・・・

どれだけポケットがいるだろうか?
私たちはすっきりとした着こなしが出来るのだろうか?

バッグがない世界は、もしかするととてもエコなのかもしれない。
だって誰も色々手に持って歩きたくないもの。
ものが減って、今日一日の行動をタイトにしようと、よりシンプルになるのかもしれない。

けれど、何だか寂しいじゃない?
ムーミンママのあのバッグが無くなったら、世の中からファンタジーが消えてしまいそう。

バッグの中には、その人の世界が凝縮されて詰まっている。
自分の為に、誰かの為に、様々なものを載せて、今日もバッグはあっちにこっちに。

Shoka: 沖縄

さあ、台風が直撃するのではないかと、心配な9月15日(土)から「ゴードメッシュのバッグ展」がShoka:にて始まります。
台風に負けないような色々をバッグに入れて、あなたのお気に入りの「日常の入れ物」を探しにShoka:へいらしてくださいな。

長くつきあえる大好きなバッグとの出会いがあるかもしれません。

さて、今日も関根と私は、ごっこ遊びにはげみました。
今日のテーマは「比屋根都会ごっこ」です。

緑深くて静かな比屋根に、都会っこが遊びに来ました。(ごっこです)

Shoka: 沖縄

いつもの関根とちょっと違う!
ヨーガンレールのお姉さん服。
デニムはARTS&SCIENCE、靴はtrippen。

「あゆみさ~ん、こんな人生もあるんですね」

「あら、あさちゃんすっきりさわやかな秋の装い。ほれぼれよ」

Shoka: 沖縄

関根は長いことバレエをしていた為か、足の角度が何だか柔らかい感じ。
バッグの中に何を入れているのかな?

Shoka: 沖縄

trippenの靴は、私も今一足お気に入りのシューズがありますが、これが良いのです。
何が良いのって、履き心地がすばらしい!
とても柔らかい皮と、反発力のあるソール。
人間工学に基づいて設計された形は、その人の軸が自然に定まるようになっているようです。

私は外に重心を置いていたようで、くるぶしと筋が痛くなるというのがここ最近の悩みでした。
が、trippenの靴を履くようになってからその悩みが解消されつつあります。

何ともスタイリッシュ且つヘルシーな靴なのです!

私たちの一番身近な乗り物、「靴」。
trippenはとてもおすすめのシューズメーカーです。

Shoka: 沖縄

ソールは反発力のある天然のゴム素材。
一歩一歩を自然な反発緑で前に押し出してくれます。

さあ、変身ごっこも第2段。

Shoka: 沖縄

Shoka: 沖縄

市松模様がきれいに編まれた、メッシュのバッグ。
たくさん入れたくなりそう。
何を?

台風だけが気になるところですが、
「お気に入りのバッグと出会いたい」

「いつかの為にいいものを見ておきたい」
そんな方は、是非15日(土)~23日(日)までの「ヨーガンレールのゴードメッシュ展」へ遊びにいらしてくださいね。

Shoka: 沖縄

カテゴリー: etc, rugü essay, Shoka: letter タグ: , パーマリンク

2012.08.31 暮らしの中の旅日記 「常設オープンとご近所自慢」

*Calend Okinawaに連載していた田原あゆみの「暮らしの中の旅日記」から転載している過去の記録たち
沖縄市のお店

Shoka:の常設空間がオープンしました。

8月頭に始まった「赤木智子の生活道具店」の返品と後片付けを終わらせ た後、私たちはせっせとペンキ塗りに、漆喰塗り。
えっさほいさとよく働いたのです。

minä perhonenの黄色いドレスを着たステキな彼女は福岡から遊びに来てくれたのだそう。
きっとこのドレスのちょうちょと一緒に、ひらひらと、笑顔で福岡へ帰っていったのでしょう。
また会える日が楽しみです。

かわいい彼女の、その背景の壁の色。
これは琉球漆喰の塗りたての色、やさしい黄色です。

そこへ行き着く前の姿は、こちら。

私たちはこんな風にその壁を塗ったのです。
沖縄市のお店

漆喰を塗る関根はまるで画家のようではないですか。
じっくりと、しっかりと真剣に、そしてとても丁寧に塗ってくれました。

琉球漆喰は塗りたては明るい黄色。
時間の経過とともに、少しずつ白くなっていくのが特徴です。

沖縄市のお店

彫金師の喜舎場智子さんも手伝いに来てくれました。

絵になる姿。
漆喰があっちこっちに付いちゃった服も彼女が着ていると、何だか決まります。
もうすぐ彼女の制作したアクセサリーがShoka:へやって来るのがとても楽しみ。
今まで作りたかったものを形にしたい、シンプルなものを作ってみたいと、目を輝かせて語っていました。

早く触れてみたいものです。

夏休み明けの9月6日以降に、Shoka:にやって来る予定になっています。
楽しみですね。

さて、明後日はウークイ(旧盆の最終日でご先祖様をお送りする日)です。
ウークイの9月1日(土)から9月5日までShoka:は夏休みになっています。

なので、休み明けにみなさんがより、この界隈を楽しめるよう今日はShoka:周辺の楽しくステキなスポットをご紹介します。

330号線のライカム交差点から泡瀬方向へ入ると、道が新しくなっています。
最初の信号を左へ曲がると、以前からの道(あっという間に旧道になりました)に出れます。

その道沿いにある、心温まる本屋さん OMAR BOOKS は、あります。

沖縄市のお店

店主の川端明美さんは、図書館の司書を7年間努めた後にこの書店を始めたのだそうです。
私は川端さんに会うと、なんだかほっとします。
自分の感覚に正直に、力まず向き合っているような空気を川端さんから感じるからです。

信頼出来る人だなと、自然と心がくつろぐのです。

沖縄市のお店
沖縄市のお店

沖縄市のお店

店内には個性的な本や雑誌が、いいくらいのスペースを保って置かれています。
一つ一つにスポットが当たるくらいの感覚を開けて。

その一冊一冊の距離感の心地よさは、そのまま訪れた人と、川端さんとの距離。
その距離感は心地よく、私たち来訪者はゆっくりと、本から本へと渡り歩くことが出来るのです。

先日お勧めされた本が大当たりだったので、私は今日も川端さんへ「私に何かおすすめの本はありますか?」と聞いてみました。

「あゆみさん、今はどんな感じのものが読みたいですか?」と。

「う~ん。本の中に入り込んで、全然違うどこかへ旅に出ているような感覚になる本がいいな」

「じゃあ、これは?とてもいいですよ!」

沖縄市のお店

パリにある実在の本屋さんのお話が書かれた本だそう。
様々なエピソードがちりばめられた、そんな本。

パリの街角の匂いや、空気感が漂ってきそうなそんな物語が詰まっていそうです。

本を選んでもらえるなんて、何だか嬉しくないですか?!
そんなステキな本屋さんが近所にあるなんて、なんてラッキーなことでしょう。

この辺に来る方は是非、立ち寄ってみてください。

http://omar.exblog.jp

OMAR BOOKSの後、泡瀬の方向へしばらくまっすぐ行って住宅街を小道に入ると、大城夫妻が楽しくもてなしてくれるセレクトショップ tenがあります。

沖縄市のお店

恥ずかしがりやな二人を、台風の時に室内へ避難させたオリーブの木越しに。

この空間に来ると、光や緑がほんとにきれいに感じられる。
明るくて、やさしくて、そしてとても自然な空間。

沖縄市のお店

「来てくれた人も、自分も楽しめる場がいい」と店主の大城功さんは語ります。
自然と顔がほころぶような、そんな空気に充ちている。

気張らなく使える、陶器やガラス、ナチュラルなニットや、楽しい服たちが並ぶ気持ちのいい店。

沖縄市のお店

沖縄市のお店

お茶目な二人が、お迎えしてくれるはず。
お盆休みは9月1日のみ。
普段は木金土日の営業です。

http://ten-o.net

さて、そろそろ小腹が減りましたか?
今改装中でお休みのcafe Roguii

みんな何をしているのか見に行ってみました。

沖縄市のお店

台風一過の久しぶりの晴天に、働き者のソーサーや布巾たちがきれいさっぱり洗ってもらっていい風に吹かれています。

中に入ると・・・

沖縄市のお店

みんなで楽しくペンキ塗りをしているのでした。
はっちゃん(緑色タンクトップ)も、ごんちゃんも楽しそう!
見ている私も元気になってきます。
そしてなんてはつらつとしたな緑色なのでしょう!

見ているだけで、わくわくとして来ます。

Roguii の奥の部屋は小さな子供づれのおかあさんたちが、安心してくつろげるようにと座敷にするそうです。
店主の山城夫婦にも、今10ヶ月のかわいい赤ちゃんがいるので、小さな子供を連れてのお出かけが少しでも快適になるように応援したいという気持ちが、この改装のきっかけとなったそうです。

沖縄市のお店

へんてこかわいいぬいぐるみがお迎えしてくれるこの奥の部屋が、お座敷になります。

木の床に置くクッションを、作っているというRoguiiのミカちゃんを訪問。

沖縄市のお店

沖縄市のお店
沖縄市のお店

誰かがより楽しめるように、手を動かして、頭を使って工夫して。
どこかのお母さんや、あかちゃんがゆったりとRoguiiで過ごせますように、と。

タンタンタタンとミシンを踏む。

沖縄市のお店

隣の部屋では、そのきっかけとなった小さな子がすやすやと寝ています。
すくすくと育っている最中です。

誰かがゆったりと座ったり、子どもがごろんと横になる姿が浮かんでくるクッション。
今日の夜もどんどん作っていました。

休み明けの9月5日から、座敷でご飯が食べられるそうです。
食事もヘルシーで美味しい Roguii にまたもう一つ楽しみが増えました。

そろそろ朝方と夕方の風が涼しくなってきました。

ゆっくりとお盆休みを過ごした後は、北中城と沖縄市の交わるところへ遊びに来てくださいね。
魅力的な人々が、ゆったりとした暮らしの中で営んでいる空間でリフレッシュ出来ることまちがい無しです。

Shoka:へ戻っての一枚。
黄色い漆喰が暖かくお迎えしてくれます。
沖縄市のお店

カテゴリー: etc, rugü essay タグ: , パーマリンク

邂逅vol 19 2012.08.17

『喜びを着る』

*Calend Okinawaに連載していた田原あゆみの「暮らしの中の旅日記」から転載している過去の記録たち

服を着ることが好きだ。

かわいく見られたい。
きれいだと言われたい。
おしゃれだと思われたい。

誰かが見ている自分を意識して始まった、自分と服との関係。
誰かから評価がもらえることで、自信がつく。
そんなところから始まった。

私は、ブティックを経営する家族の一員に生まれたので、子どもの頃から身の回りにはその時代を象徴するようなスタイルの服があった。
多くの女性達が、自分に似合う服を求めてお店にやって来たものだ。

恥ずかしがったり、気後れしていたのもつかの間に、ステキな服や、ドキドキする会話、音楽に背中を押されて、服を着だしたとたん、顔が生き生きと上気し、楽しそうに服を着る女性達。
鏡に写った自分を見て、角度をいろいろ変える姿。
その表情の様々を、思い出す。

自分自身へ関心がある女性のほとんどは、服を着ることが好きだ。

いつの頃からか、自分自身を知ったり発見する一番身近な道具が服だと感じだした。

「私はこんな人です」と表現して来たつもりだったそれまで着ていたスタイルは、誰かの評価を意識したもので、実はかりそめだったのだと気づいた頃。
30代のはじめ頃だったか。

それから私は変身願望がいつも頭の片隅にあった。
実際は、変身というよりも、誰かを意識した服やスタイルではなくて、
本当に自分が着たい服
似合うと言われる服より、大好きな服
ときめく服
自分を発見するような服
忘れていた自分を思い出すような服
自分の殻を破るような服

そんな服たちに出会ってみたい、そう感じだしたのだ。
服を通して自分探検をしてみたい。
そう素直に思えるようになった。

きっと誰しも子どもの頃に、鏡に写った自分をかわいいと感じ、よりきれいに見せようと夢中で遊んだ経験があるのではないだろうか。
おかあさんの服を着て、着てみたり、お化粧をしてみたり。
それはとても自然な感覚だと今は思う。

自己愛。

これが健全に育ってこそ、本当の意味で他者を愛することが出来るのではないだろうか。
私たちが何となく罪悪感を持ってしまっていた、自分に酔いしれるあの鏡の前の時間は、自分の泉を満たす大切な時間だったのだ。

どんな服が似合うんだろう?

ミナ ペルホネンのchouchoのドレス。
地を這う毛虫が、さなぎの中で変身して、空中を舞うちょうちょとなる。
ちょうちょは「開放」を象徴する生き物だ。

第三者が見る自分という間接的な視点を、まっすぐ自分自身へと移すことで、選ぶ服は変わってくる。
そして、自分自身の感覚に沿って選ばれた服を着た時の満足感や喜びは、より深いものだ。

自分自身の感覚に耳を澄ますことで得るものは大きい。

流行の形を着ること似とらわれるよりも、自分の身体のラインをきれいに見せることの方が誰にとってもいいのだ、ということを知ることができる。

肌の色や、身体のラインなど自分が持っているものを受け入れて、より良く見えるように工夫することは、等身大で人生を楽しめる第一歩ではなかろうか。

内側に見ているものが、外の世界に顕われるのだということが、分かって来たのもその頃だった。

住んでいる土地や、文化背景の影響を受けて現代までに一体どれだけの衣服の形が存在しているのだろうか。
ARTS&SCIENCEの服は、「暮らしの道具としての衣服」という観点から作られている。
衣服のラインは時代とともに変化しているが、その流れの中に普遍的な美が顕われている形がある。
これ以上は決して引けないし、足すことも出来ないようなバランス。
そんなバランスを軸にしたものづくりをしているのが、ARTS&SCIENCEだ。

30代に入ってから、私は自分の身体のラインに合った形が分かって来た。
そして、おおよそ10年という時間をかけて自分のスタイルが出来ていった。

けれどそれが衣服を通して知る自分自身の旅の終点ではないということにも、私は薄々気づいていた。
常にどこかに、あの変身願望がくすぶっていたからだ。

「本当は違う自分が居るのではないか?」
「もっと違うスタイルを選択したら、私の人生は変わるのではないか?」
そんな考えが湧き上がっては、「似合うスタイル」をまたしても選択してしまうということを、数年繰り返していた。

スタイルができ上がってしまうと、トキメキがくすぶる。
変化の時だと分かってはいても、おなじみの自分にしがみついてしまう。
そのままだと、個体概念や恐怖と一緒に沈んじゃう!と分かっていながら、なかなかしがみつきたくて力の入った指を開くことが出来なかった、その数年間。

2009年の夏に、私は思いきって今までの固定観念を捨てた。
当時はそんなつもりだったのだけれど、後になって分かったのは、捨てたのではなくて、しがみついていた手を離した、という言葉が正しいということ。

変化するということだけが、この世で唯一普遍的なことなのだと当時の私は思い知った。
変化は自然なことなのだ。

そして私は、母の代から始まって39年続いた「ブティック」というスタイルから、自由になった。

好きなことだけやろうと誓い、とにかく何でも楽しいことを選択しようと決めた。

いろんなちょうちょが飛んでいる。
小さいちょうちょも、大きくなったちょうちょも。
みんなきれいで、みんなかわいい。
お花を求めて、ふわふわと。

忘れていた乙女心を取り戻すきっかけになったのは、ミナ ペルホネンとの出会い。

色付きの服を着る楽しみ。
ワンピースを着る嬉しさ!
うんと身体を動かす楽しみ。
集中する喜び。
殻を破る愉しみ。

家族で支えて来た39年続いた店を閉めるのは、本当に怖かった。
この時代、いい歳をした自分に何が出来るのか、生活出来るのかという不安もあったけれど、これからは本当に求めていること、心から人生を楽しむことの方へ行こうとだけ決めて、えい、と、固定概念の世界から飛び降りた。

飛び降りてみたら、あら不思議。

世界は広かった!

私の固定概念は狭かった!
当たり前だけれど。

ある人から聴いたお話。

『それまで信じていた世界から自由になろうと、決死の覚悟で飛び降りた。
ゆっくりと目を開けてみると、そこは大地だった。
振り返ると、自分は細い平均台の上を目をつぶって必死だ歩いていたのだと分かったのだ』

全くそんな感じだった。

TOUJOURSという言葉は「日常」という意味。

視線を、外へと向けるより、自分の感覚へと移すことで分かったことがある。
「日常」の中にこそ、すべてがあるのだということ。
自分の感覚を大切にしだすと、日常が変化してくる。

自分の感覚が心地いいと感じる服は、奇抜なものではなかった。
肌触りが良くて、身体がのびのびと呼吸が出来る形。
そして、きれいなラインであること。

シンプルで、うつくしくて、着心地がいい。
流行廃りから開放されて、自分の中の水辺へたどり着いたような、そんな気持ちになれる服。

そんな服を軸にして、遊びをちりばめる。
赤い色は、ふつふつと湧く生命力をくれる。
トマトも、赤い花も、生きているっていいよね、と言いたくなるような存在だ。

それはきっと「赤」という色の力なのだ。

えい、と飛び降りて、自分の中の楽しみに耳を傾けてみて分かったこと。
私はテキスタイルが好きだということ。
そして、自分を知るということを通して触れた自由や喜びを、色々なものやことを通して誰かと分かち合うことが大好きだということ。

それが今の仕事につながっています。

私のお話の続きはまた今度。
一見似ていても全く違うお仕事の話し。

きっと、この記事を読んでいるあなたにも似たような経験があるはず。

私と関根で始まったShoka:のお仕事。
これからどのように変化してゆくのかとても楽しみです。

Shoka:に常設の空間が出来ます。

そこには、日常を共に過ごす友人のような衣服が並びます。

「暮らしの道具としての上質な日常着」

「長く愛用出来る作り」

「着ることが喜びにつながるものであること」

「経年変化を楽しめるものであること」

これらのことを意識してセレクトしたものです。
その衣服を中心として、アクセサリーやカトラリー、うつわやいろいろ、暮らしの道具たちが並びます。
今までのような企画展も、ギャラリー空間で年に数回行う予定です。

カテゴリー: etc, rugü essay タグ: , パーマリンク

甘すぎない夜

黒いのに、いぶした銀の輝きは漆黒の夜

同じ銀の様々な色合い

samuloのジュエリーたちには一編の詩のようなロマンがある。

このブレスレットの金色の部分の金属は金鍍金(金メッキ)が施された銀。

ストッパーの銀のビーズは1800年代のイエメンのアンティーク。

バイカラーのトルマリンを見つめていると、透明なピンク色と緑色に顔が綻ぶ。

黒い房のようなビーズの上にきらりと光っているのは、天然のモアッサナイト。

クリアな灰色できらりと輝くこの石は、地球では採掘されない貴重なもので、隕石の中に含まれるもの。

宇宙からやってきた石なのだ。

人工ダイヤモンドとして作られるものとは全く違う、輝きには深みがある。

甘すぎない夜のようなブレスレットだ。

●samulo ブレスレット

kb-195

samuloのジュエリーたちは一点一点手作りで、世界中を旅して集めたビーズや希少な天然石で作られています。興味のある方は、店舗までお問い合わせください。

 

 

カテゴリー: etc, rugü essay タグ: パーマリンク