Bon appetit!

Shoka:

今の時代はとても恵まれていて、様々な国のお料理を気分次第で選ぶことができる。ソース文化がベースになったフランスで、シンプルな料理を食べたくなったらイタリアンがいいなと思った。

今この文章を書きながら思うのは、基本に和食があるということのしあわせ。気分次第で様々な食事を楽しむけれど、戻ってくるのは基本にある和の食事。

なんだってきっと、戻るところがあるのはいい。

旅だって、戻る家があるから旅で、戻る家がなければ、それは放浪。

好きで信頼しているブランドや、作り手のもの、お気にいりのcafe、好きなものを集めた部屋の中、家。根をおろした人はきっとどこへ行っても安心して楽しめるのだろう。

そんなことを、あの美味しかった食事の写真を見ながら考えている。

一枚の写真や、絵や、出来事のほんの一瞬のシーンから、無数の物語が生まれるのだ。

今日はどんな1日だろう?

カテゴリー: rugü essay, 日々 タグ: , パーマリンク

凛々しさ

Shoka:

たまにおおっというような出会いがある。

この椅子は主人がいるので、買うことはできないけれど目の中にハートが浮かんでしまった。使い込まれた木の感じや、艶、それが凛々しいライオンの姿に収まっている。

この椅子の主人は、この椅子にふさわしい。愛想笑いをしないし、フランスの政治をいろんな視点から見て私に英語で解説してくれた。

私が心と違うレスポンスを返したら、バサっと切られてしまいそうな、いや、私が恥ずかしくなって縮んでしまいそうなそんな威厳を感じさせる人だ。

けれど、彼の奥さんはずば抜けて明るく知的で、パワフルで、彼女が来た途端その主人は拗ねた子供のようになってしまった。

うんうん、この椅子に彫り込まれたのこライオンの凜とした中に、ユーモアが潜んでいて、なんだか憎めないような可愛らしさを感じるのは主人の魂が宿っているからだろう。

凛々しさの裏側にある可愛らしさは人をチャーミングにしてくれる。

Shoka:のInstagram

田原あゆみのInstagram

カテゴリー: rugü essay, 日々 タグ: , パーマリンク

目に見えるものを支えている何か

エッセイ 田原あゆみ

文字を打ち込んでいると、書いている時とは違う感覚になることがある。打ち間違ったり、校正後に削除した文字はいったいどこへ行くんだろう?

消えるってどういうことなんだろう?、と。

紙に書いた間違いは消しゴムで消すとなんとなく存在感ががそこに残る。

パソコンで打った文字は目には見えなくなってしまうけれど、⌘zを押すと戻ってくるのだ。目には見えないボックスに入っていて、出し入れ自由。

そこはいったいどんなところなんだろう。

水に映った景色は、実物よりも神秘的だ。

私が消してきた文字たちはもしかしたら、書き上げてきたものよりもずっと詩的で、生き生きとしているのかもしれない。

だって、私は良い顔しいだから。

田原あゆみのInstagram

カテゴリー: rugü essay, 日々 タグ: , パーマリンク

季節は巡る

Shoka:

去年の今頃のことを覚えていますか?
たった1年前のことなのに、まるでずっと昔のことのよう。状況がめまぐるしく変化しているせいだろうか。過去はほんのちょっと振り返って、それをスパイスにして今を見よう。未来は希望と光。太陽のような存在で、私の今の思いや意志がそこへ誘ってくれる。

そうやって考えてみると、今に「これまで」があって、「これから」の種もある。

お、今っていいじゃない?

田原あゆみのInstagram

カテゴリー: rugü essay, 日々 タグ: , パーマリンク

ある冬の朝

Shoka: 

凍てつくような寒さが南の島にやってきたのは、わたしの引越しの最中だった。

丘の上の一軒家で、愛犬と一緒に住める家をずっと探していたわたしにとっては、庭が広くて日当たりと眺めのいいこの家にできるだけ早く越したかった。

冬の雨の中を朝から晩まで歩き回ったパリから帰ってきて、引越しの準備。そして東京へ出張へ行って、帰ってきた翌日から引越し。今考えると、気持ちに任せて身体に鞭打つようなスケジュールだ。

荷物を運び終わったその日の夜にドアのストッパーにと置いてあった大きな石に躓いて、見事に転んで顔面着地。したたか打ち付けて痛い目にあったのは、身体が「もういい加減に休んで頂戴」と起こした事故に違いない。

漢方の先生から後日聞いた話では、今年の冬の土用は一月十八日に始まって、二月三日に開けるのだそう。土用というのは、次の季節に合わせるために身体が毒素を排出したり、調子を整える時期なのだという。その時期には土に触れたり、身体をたくさん動かすようなことはしないでゆったりと過ごすことが大事なのだそう。まさにその真っ只中に出張へ行き、引っ越しをしたた私はずいぶん身体にひどいことをしてしまったのだ。

ただ、不幸中の幸いに土用の期間中に間日というのが設けられていて、その日は動いたり土に触っても良いとされているらしく、今回の間日は二十一、二十二日の二日間。わたしの引越しはその日にピッタリと合っていたのだった。

もしも土用の最中に引越ししていたら、きっと前歯が折れていただろうと、あとでぶるっと身震い。

自然のサイクルと身体は共鳴しているのは確か。土用が年に四回、各季節ごとにあることも今回初めて知った。これからはもっと自然と身体の声にちゃんと耳を傾けよう。そう心に刻んだ冬の朝。

東海岸から昇る朝日を浴びながら、丘の上の家にて

田原あゆみのInstagram

カテゴリー: rugü essay, 日々 タグ: , パーマリンク