Shoka:の金城が今回の企画展に寄せて、素敵なエッセイをカレンド沖縄のShoka:の連載に書いてくれたのでこちらにも転載いたします。
********************************************
『 環 』めぐる
写真・文 金城 由桂
クロヌマタカトシさんの作品を初めて見た時感じたのは「静かで強い」ということだった。
強い、という表現があっているのかわからないけれど
静寂の中に何か芯の強さみたいなものがあって、誇り高い。
みる人の心にすーと入って、しっとりと潤してくれる。
その潤いは静かに弧を描き自分の中の奥の方へ迫ってくる。
その感触が心地良い。
なんだかピアノの音にも似ている。
Haruka Nakamuraや高木正勝やHauschka の曲が聴きたくなって、部屋の端から引っ張り出して聴いてみる。
息遣いが聴こえてくるようだ。
架空の生き物だという。
普段白い鳥を作ることが多いらしいが、今回はなんとなく「青い鳥」を作ってみよう。と。
Shoka: に届いた3羽をよく見ると、一羽一羽それぞれ羽ばたく瞬間がどれも違っていて、色も微妙に違っている。
本当に実在する生き物と共に呼吸を合わせながら、その姿を捉えていったのだろうかと思ってしまう。
きっと美大に通っていた頃にもこういった作品の原点となる制作をして、きっと目立つ存在だったのだろう。
そう思っていたのだけれど、クロヌマタカトシさんの経歴は違った。
クロヌマタカトシさんが今の道に進み始めたのは、わずか6年ほど前だという。
なんと大学は美大ではなく、理工系に進学したが、次第に違和感を感じるようになって自分のすすむ方向を模索し続けていた。絵を描きたいという思いがずっとあったのだが、両親に言い出せずその思いを押し込め、安定の道、親の期待に応える道を進もうと思っていた。
しかし違和感が積み重なり大学は2年で中退。
その後建築関係の専門学校に通い、建築関係の職場へ就職。現場監督まで務めたのだが
会社の方針と自分の求める生きがいとのギャップに気付いてからは、もどかしい日々が続いた。
でもその建築現場で出逢った端材こそが、希望の光となった。
毎日深夜に帰る過酷な日々の中で、帰宅後、端材を「彫る」ことが唯一至福の時間だった。
大きな右手の中にすっぽり収まる小っちゃな林檎を彫り上げた。
木を彫る作業は、まるで「自分を取り戻しているような時間と、感覚だった」という。
それが転機となり、家具を作る仕事や木工に関わる仕事へ進もうと訓練校に通い始めた。
でも訓練校で家具制作を行っていくうちに、そこでまた違和感と出くわす。
家具とはばらばらのかけらを組み立てるもの。組み立てるのではなく、ダイレクトに彫って何かをつくる仕事がしたいという気持ちがむくむく大きくなっていく。
そこから、最初はスプーンやお箸などのカトラリーを作り、次第にうさぎや猫などの動物を彫り始めていく。鳥、犬、そしておじいさん。など。
個展を始めるようになってからは、まだ約5年しかたっていないというのには驚きが隠せない。
動物たちはやさしい目をしていて、何か語りかけてくれているようだ。
その持つ空気や風景が、背景に見えてくる。
朝の冷たい空気の中
吠える練習をしているのかな。
お母さんは遠くで見守っているのかな。
雪がしんしんと降っているのかな。
沖縄からは遠く 遠く離れた森の奥。。。
クロヌマさんの作品は、狼が感じている景色を捉えている。
自然に対する畏敬の念が感じられる。
大きな自然の中の一コマ。
動物も人も自然の一部として強く結びついている世界。
生と死が循環している・・・大きな自然の中の一部の自分。
こうやって自分の頭の中にある風景を求めて、彫り進めて作る作品もあれば
対極の「自分の予期せぬ表現」にも挑戦している。
数年前から流木を拾い始めた。
拾った流木を見て、無意識だったものが木によって触発され「何かを作りたい」という方向へ向いた。
1年ほど前から流木を見つめ、自然が見せてくれる景色を夢中になって彫り、出来上がる世界に夢中になっているという。
今回もそんな流木を使用した木彫作品が数点Shoka:に並んでいる。
作品「還元 山羊」
流木そのものが物語る自然の偉大さの力も借りて、自分の手を加えて作品にする
というのは、重圧な責任が出てくる。
自分が「こう表現したい」とエゴが強すぎると、すべてが台無しにしてしまうという恐怖。
しかし、自然に任せ過ぎる・・・事も無責任となる。
そのせめぎ合いの中で制作を行い、そこに「宿った」という瞬間が来たら手を止める。
そうして完成された作品たちは、深く、何度見つめても広く広く・・・
なんども感じた自分の違和感を無視せず、向き合った結果なのかもしれない。
大学在学中、自分の進む道ではないという決断を下して中退という舵をきっていなかったら。
建築現場で現場監督をしながらも、自分の中に湧き起こる違和感を感じたからこそ、端材を拾い彫り始めた。
家具作りを学びながら、バラバラに作られ作業でこなされ仕上げられて行くことに違和感を感じ、それを見つめたからこそ始まった木彫の仕事。
木が彼をこの道に案内してくれたのだ。
いくつもの違和感に対して向き合ってきたからこそ、濃縮した時間を過ごし6年という年月でこういった作品を手がけられる作家になったのではないかと思う。
何か大きな循環を感じる作品と、この空間は27日(日)までの開催となっています。
ぜひ、時間を作って期間中に見にいらしてくださいね。
由桂