地図が読めますか?
私の答えは「NO」、「いいえ、空気と同じで全く読めません」。
しかもある場所への道順の説明にさえ拒否反応が出てしまう。世の中で一番苦手な話題、それは「道順」。
誰かと話していて、その話題の場所がどこにあるのかを説明し出した途端、目の前の友は私を追い詰める敵となる。「ほらあそこの交差点を渡ると、角に赤い看板があるじゃない」「・・・・・・・・・・・(私はその交差点でどこを向いて進んでいいのかわからなくなり、パニックになってくるくる回っている)」
道の説明は語る人の脳景色を基にしているので、私はその人中心の世界に囚われ閉じ込められ、指標を失って過呼吸寸前。説明の言葉は振り下ろされる竹刀、理解していないことを表情から読み取ってさらに詳細を説明する友の言葉は、分厚い真綿のように私を四方から囲い込む。息ができない。あまりの苦しさにもがき、憎しみすら感じる。
なので私はGoogle map派だ。二次元の世界に立体を当てはめる能力がないと悟った私は、Google mapのおかげで、道順を説明をする三次元の友を失う危機から脱した。
Google mapはわたしと一緒に動くからいいのである。私が二次元の地図の中に入り込んで歩いているのを丸い点が示してくれている。相変わらずどの方向にいったらいいのかはわからないけれど、ある方向へ歩いてみると、地図の中の自分がどこにいるのかがわかってくる。反応が良くない時にはぐるぐる回って自分の位置を確かめる羽目になることもある。
なので私はそのサービスをグールグルマップと呼んでいる。きっとそう呼んでいる人は多いのではないか?
パリで、やはり方向音痴な友人が「パリは道の名前と番号でわかりやすく整理されているから、地図があれば大丈夫!オススメ」そう言われたので、私も地図を手に歩いてみた。
20分私は闘った。そして無残にも散った。ローマ字で書かれた道の名前を判読するのに手間取り、その道を見つけられても左に進むのか右に進むのか二次元の世界に突きつけられる問いに、追い詰められ疲れ果ててしまった。その友人でさえ憎く思えてきた時に、私は地図を使うのを諦めた。
ちょっと高かったけれどシムフリーのiPhoneを手に入れて、現地で使えるシムカードを設定。Google mapをいつでも使えるようにしたのだ。
なんというストレスフリー!平和よ自由よ私をどこまでも運んで行って!百羽の白い鳩が大空目掛けて飛んでいく中、私はパリの街を駆け抜けた。
こういう気の毒な人がいるから、心優しい人が新しいサービスを生み出し世に送るのだ。できないことがあっても、それが新たなサービスを産むきっかけになる。
そう考えると世の中は優しい。太陽の光は輝いていて、空も海もきれいに見える。胸を張って生きていける。