好みの違い

Shoka:

ブリュッセルの蚤の市を一通り見終わって、さてこれから好きなところを散策しようかという時に、あるおじいちゃまが話しかけてきた。

「この先の丘を登ったところに旧市街を見渡せるとても良いところがあるんだよ。今日の仕事は終わったから一緒に行こうか?」

ということで、しばらく一緒に彼の観光案内に乗ってみることにした。騙された時は騙された時で、この純粋そうに輝く小さなお目目のおじいちゃまについて行ってみた。

彼は良い人だった。そして私とは全く好みが違う感性の持ち主だった。丘の上からの眺めはまあまあだったけれど、そんなに胸を打つものはなく、普通。そして気づいた。私は観光に興味がないのだった。

日本人独特の協調性が私の表情を楽しい顔に設定している。ましてや私はオキナワンで相手に寄り添う民族だ。どうにか楽しもうとその時々のスポットで、自分の喜びに触れるものを探してみるのだが、微妙に外れていく。なんともモヤモヤしたところを模索しながら、顔の筋肉は笑顔を維持。

3箇所くらい一緒に回ったところでこれは決定的に時間の無駄だということに耐えられなくなってきた。決定打は、ナポレオンが馬に乗ってヒヒーンとやっているブロンズ像が建つある内庭の前。

「汽車の時間に間に合わなくなるから、もうここでいいです」そう言って、毅然と眉間を向けた。渾身のシワである。滞在時間の短い旅先での1時間は貴重なのだ。

彼は語ることとは裏腹に、寂しい人であること、時間を持て余していることが話の端々から匂うような人だった。同時に素朴で、芯に誇りのある人でもあった。

「そうか・・・残念だ。夕飯は一緒にどうだい?」と言って電話番号を渡すと、「これから駅へ行ってエスプレッソを飲んでから帰るよ」背筋を伸ばして、まっすぐに駅を向いて一度も振り返らずに去っていった。

胸が少しだけきりりとしたけれど、それは彼の寂しさと同調したからかもしれない。

ちなみにこの写真は、レンガの並びや形状がいいなと感じて私が撮っていると、「なんでそんななんでもないものを撮るんだ?」と聞かれたものだ。

 

人の好みは様々である。だからこそ多様性があって面白い。

自分の周りに、一緒に旅に出て楽しめる人がいるならばそれは宝に違いない。人はたくさんいるけれど、感動するところ、笑えるツボが一緒の人はきっとそんなに多くはいないのだから。

 

今日も楽しい一日を。

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目に見えるものを支えている何か

エッセイ 田原あゆみ

文字を打ち込んでいると、書いている時とは違う感覚になることがある。打ち間違ったり、校正後に削除した文字はいったいどこへ行くんだろう?

消えるってどういうことなんだろう?、と。

紙に書いた間違いは消しゴムで消すとなんとなく存在感ががそこに残る。

パソコンで打った文字は目には見えなくなってしまうけれど、⌘zを押すと戻ってくるのだ。目には見えないボックスに入っていて、出し入れ自由。

そこはいったいどんなところなんだろう。

水に映った景色は、実物よりも神秘的だ。

私が消してきた文字たちはもしかしたら、書き上げてきたものよりもずっと詩的で、生き生きとしているのかもしれない。

だって、私は良い顔しいだから。

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季節は巡る

Shoka:

去年の今頃のことを覚えていますか?
たった1年前のことなのに、まるでずっと昔のことのよう。状況がめまぐるしく変化しているせいだろうか。過去はほんのちょっと振り返って、それをスパイスにして今を見よう。未来は希望と光。太陽のような存在で、私の今の思いや意志がそこへ誘ってくれる。

そうやって考えてみると、今に「これまで」があって、「これから」の種もある。

お、今っていいじゃない?

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CALEND-OKINAWAへ記事をアップしました。

calendokinawa160128

「一足早い春からの便り」

CALEND-OKINAWAに記事を掲載しています。
ヨーガン レールやminä perhonen の春物、今年これからのShoka:の企画展についてなどなど書いています。
ぜひ、読んでみてください。

一足早い春からの便り


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ある冬の朝

Shoka: 

凍てつくような寒さが南の島にやってきたのは、わたしの引越しの最中だった。

丘の上の一軒家で、愛犬と一緒に住める家をずっと探していたわたしにとっては、庭が広くて日当たりと眺めのいいこの家にできるだけ早く越したかった。

冬の雨の中を朝から晩まで歩き回ったパリから帰ってきて、引越しの準備。そして東京へ出張へ行って、帰ってきた翌日から引越し。今考えると、気持ちに任せて身体に鞭打つようなスケジュールだ。

荷物を運び終わったその日の夜にドアのストッパーにと置いてあった大きな石に躓いて、見事に転んで顔面着地。したたか打ち付けて痛い目にあったのは、身体が「もういい加減に休んで頂戴」と起こした事故に違いない。

漢方の先生から後日聞いた話では、今年の冬の土用は一月十八日に始まって、二月三日に開けるのだそう。土用というのは、次の季節に合わせるために身体が毒素を排出したり、調子を整える時期なのだという。その時期には土に触れたり、身体をたくさん動かすようなことはしないでゆったりと過ごすことが大事なのだそう。まさにその真っ只中に出張へ行き、引っ越しをしたた私はずいぶん身体にひどいことをしてしまったのだ。

ただ、不幸中の幸いに土用の期間中に間日というのが設けられていて、その日は動いたり土に触っても良いとされているらしく、今回の間日は二十一、二十二日の二日間。わたしの引越しはその日にピッタリと合っていたのだった。

もしも土用の最中に引越ししていたら、きっと前歯が折れていただろうと、あとでぶるっと身震い。

自然のサイクルと身体は共鳴しているのは確か。土用が年に四回、各季節ごとにあることも今回初めて知った。これからはもっと自然と身体の声にちゃんと耳を傾けよう。そう心に刻んだ冬の朝。

東海岸から昇る朝日を浴びながら、丘の上の家にて

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