誕生日の朝、きっとほとんどの人は嬉しさとあきらめと、不安を感じているかもしれない。一人の人は、誰かが祝ってくれるのかしら? 家族に囲まれて暮らしている人も、私の誕生日だということを覚えていてくれるのかしら?
小さな頃の思い出。
あれは4歳の誕生日のことだった。父と母に連れられてジローベーカリーという当時一番大きなケーキ屋さんに連れて行ってもらった。
巨大なショーケースが幾つも並んでいて、様々な色のケーキやパイがたくさんたくさん並んでいる。甘いケーキの香りとウキウキとする雰囲気。小さな私はドキドキしていた。
「好きなもの何でも買っていいよ」そう母に言われて、私はショーケースの前に張り付いた。ピンク色のケーキや、大好きなレモンメレンゲパイもワンホールで並んでいる。ジャーマンケーキもキラキラと輝いていて、その時までの人生で一番の幸福と興奮を感じていた。
その時だった
「そこのアップルパイをください」父が店員さんにそう言って、会計をした。
「え!なんで?あゆみの好きなものを買うって約束したんでしょう!なんであなたの好きなものを買うのよ!」母が父に食いかかった。
「なんで、私が払うんだから好きなものを買うよ」そう言って、ばつが悪そうに父は私たちに背を向けた。
鮮明な思い出だ。その時私はショーケースの前にばたんと仰向けに倒れてわーわー泣いた。思いを言語化することができない小さな子供にとって、挫折や、悔しさや、落胆など様々な思いは、思いっきり泣くということでしか消化できないことが、今はよくわかる。
帰りの車の中で父と母は大喧嘩。アップルパイの味は覚えていない。
似たような体験をしたことのある人は大勢いるかもしれない。誕生日の朝の複雑な気分に共感する人は多いだろう。きっとみんな祝って欲しくて、でもそれを要求できずにちょっとだけいじけているのかもしれない。私がそうだから、そう感じるのかもしれないけれど。
もう私は立派な大人で、好きなものはほとんど何でも選んで買うことができる。それでも、誕生日の朝はちょっと複雑な気分になる。誰かが祝ってくれるだろうか?誕生日のメッセージは来るかしら?誰かがケーキを買ってきてくれるかなあ?いいや、誰も買ってくれなくても、自分で買うか、とかいい大人になっても心の中は未だに期待と、あきらめが混在している。
今日は私の誕生日。
きっと誰かの誕生日。まずは自分で自分に言おう。
「誕生日おめでとう」
そして、自分のために丁寧にコーヒーを淹れて、ローズベーカリーのキャロットケーキをいただこう。そして、誕生日を今日迎えた人や、春に迎えた人、夏や秋や冬に生まれた人にも、誰かの生まれた日全部に「お誕生日おめでとう」という言葉を送ります。
さてさて、自分へのプレゼントも考えなくっちゃ。