以下は、2016年1月8日CALEND-OKINAWA掲載の連載記事です。
Shoka: のオーナー田原が昨年末から出かけていたパリで過ごしたお正月2016年最初の連載記事になります。
どうぞご一読ください。
:::::::::以下掲載文:::::::
「Parisを歩けば Bonne ane!」
Bonne anne!
Parisの年越しは賑やかだ。
年が開けると同時にクラクションが鳴り出し、街の様々な場所からBonne anne!(ボンナネ! あけましておめでとう!)と大きな声がこだまする。
今回私が宿泊したのはRepubliqueという駅のすぐ近く。フランス国民が掲げ、愛する自由。その象徴であるマリエンヌの像があるリパブリック広場のある駅だ。
気づいた人もいるだろう。そう去年2度のテロに見舞われた場所に奇しくも宿をとったのだった。
アパルトマンから徒歩3分のこの広場の中心に主人マリエンヌの像の足下には、追悼の花や写真、手紙などが飾られていた。周りには多くの人々がやって来てしばし立ち止まり、ある者は涙し、ある人は祈り過ぎてゆく。
私もそこからしばらく動けず立ち尽くす。様々な思いやはり感情が一つの塊になって胸がいっぱいになる。今ここで生きていて、好きなことができていることをありがたいと心から感じ、そこを離れた。
偶然にも私が宿を取り終えた後事件は起こった。しばらくショック状態の後、年末年始の旅をどうするか迷った。
しばらくの間自分自身の気持ちを感じ、本能や直感に耳を澄ました。いつだって結局は直感が正しいのだから。
思考は危険なんじゃないか、何かあったらいろんな人に迷惑がかかるのでは、と考えてやめたほうがいいかしら?と。けれど直感や気持ちに尋ねると、行きたい!大丈夫、との返事。
折角チケットも宿も取ったのだから、様子を見て判断しようと決めた11月後半。
その後やはり行こうと決めてやって来たParis。
そこはやはりParisだった。
自由という言葉の中には、楽しみも哀しみも、憧れも憎しみも、あい混じり合う矛盾に満ちたこの生を、我がものとして受け入れ味わう、そういうことなのだ。
ここに来るとそれを肌で感じることができる。自らに由る。それが自由の根幹だ。
ノートルダム大聖堂の前の広場で大きなシャボン玉を作っている人、それを嬉しそうに捕まえようとジャンプしている子ども達、それを見守る大人たちの微笑み。大勢の観光客が溢れるセーヌ河のほとり。
来てよかったな、と思う。
今回時を同じくしてParisを訪れていた四組もの友人知人の皆さんと、新年を祝い交流を深める機会があった。沖縄、東京、三重、ドイツ。様々な土地に住む私たちが偶然この時にParisで出会ってワインを酌み交わす。
お互い知ってはいたけれど、と顔を合わせたことのないあるご夫婦と蚤の市で偶然バッタリ。翌日もまた偶然バッタリ会ったので、これはもう、と夕食を一緒に頂いた。
たまに世界の人口は本当はとても少なくて、あとは書き割りなのではないかしら?と感じることがある。そのくらい遠くで誰かと鉢合わせることが多いから。
不思議な街Paris。不思議な人生。
こうして私に与えられた生を、愉しみながら、私が社会にさしだせるものに気づいたら行動する。
出会った人々と様々な交流を重ねながら、この矛盾に満ちているけれど愛おしい生を全うしたい。
私の2016年はこうして幕が開いた。
Bone ane!
Bon voyage!