シープドッグのJは賢かった。
人間より早く危険を察知すると、耳をそばだて鼻で筋書きを読み取ると、皆の先頭に立って必ず安全な場所まで誘導しことなきを得るのだった。
羊の群れが狼の来襲を逃れることができたのも、霧に覆われ視界を失った群れが崖から落ちるのを避けることができたのも、Jのおかげだった。
山羊のVは羊が嫌いだった。
いつも日向で草を食べていて、危なくなるとJがさりげなく守ってくれる。
毛が伸びると、人間たちがで羊毛は財産だと、満面の笑顔でふわふわの毛を刈り取る。
ぬくぬくと暮らす羊たちはきっと脳みそが小さくて、自分で考えることはあるまい。ふん、鼻持ちならないただのモコモコの毛の塊だ。
Vの暮らす断崖絶壁にはまだ雪が残り、冷たい風が岩場を削るように吹く。蹄が乗るくらいのほんの少しの足場を見つけては、凍てつく風に吹かれながらVは今日も絶壁で草を喰む。
そして、日向の平地で人や犬に守られ、のうのうと暮らすモコモコよりも、己の知恵としっかりとした体幹で自立して生きる孤高さを誇りに思った。
今日もVは高い峰から羊を見下ろし、フン、と鼻を鳴らした。それよりも何よりも、あの草原を風を切ってビュンビュン走る、俊敏で美しいシープドッグのJがいつも彼らの周りにいることに腹が立っていた。
VはJに擦り寄られ、その長くて暖かな毛の匂いを嗅いでみたかった。Jに誘導され守られて平らな大地で眠りこけてみたかった。落ちる心配をしないで、横になってみたかった。Jが舐めて起こしてくれるまで、すやすやと。
けれど悲しいかな、Vの蹄は岩場のほんの小さな足場を探して次の一歩を踏み出すことをやめることができなかった。
のほほんとした羊と、切り立つ崖を住処にする山羊の物語。
私は、賢い犬も、もこもこの羊も、孤高の山羊も好き。
この「羊と山羊の絵」は19世紀の後半に描かれ、エッチングで本の挿絵になっていたもの。なんだかいろんなストーリーが浮かんできます。