邂逅vol Ⅶ 2012/3/22

NO BORDER, GOOD SENSE仕事場を訪ねてⅡ「大人の愉しみ」 木工デザイナー三谷龍二

文・写真 田原あゆみ

「NO BORDER , GOOD SENSE」

5月11日(金)から10日間の企画展のタイトル。
木工デザイナーの三谷龍二氏・陶作家の安藤雅信氏・ミナペルホネン チーフデザイナーの皆川明氏の3人のコラボレーションによる初めての企画展。

三谷龍二
職人たちとの共同作業により、普段使いの木の器を作る木工デザイナー。
全国で個展を多数開催する。「クラフトフェアまつもと」「工芸の五月」の発足当初から運営に関わっている。

ピアスの金属が冷えて耳が痛くなるほど、しんしんと冷え込む松本の1月。
松本はぐるりと山に囲まれた、小さな町。
町のどの道からも、くっきりとした山並みが見える。
町のサイズが心地がよくて、魅力的なお店がまた行きたいな、と思わせる位の件数あるのもいい。
散歩が似合う町だ。

この日は「NO BORDER, GOOD SENSE」の打ち合わせと、取材のために木工デザイナーである三谷さんの工房と、2011年にオープンした三谷さん主催のギャラリー「10センチ」を訪問した。

10センチはこれはまた小さなお店で、店主である三谷さんをはじめとしてもの作りをしている仲間達との企画展を年に何度か開催している。
企画展の内容も「10センチにまつわるもの」「ピクニック」など、遊び心をくすぐるものばかり。

三谷さんには、向き合う相手の緊張をほぐしてくれるような柔らかさがある。
気負わない、とても自然な空気感が伝わってくる。
静かなのだけれど、まるで遊びの延長のような感覚で楽しそうに仕事をしているように見える。

10センチ 4月12日(木)~18日(水)
「ノコリ ノ アツマリ」 ミナ ペルホネン

ギャルリ百草  4月21日(土)~5月6日(日)
作りの回生Ⅱ ミナペルホネン +百草 安藤雅信+ミナペルホネン+安藤明子コラボレーション企画展

Shoka: 5月11日(金)~20日(日)
「NO BORDER, GOOD SENSE」
陶作家 安藤雅信 + ミナペルホネン チーフデザイナー皆川明 + 木工デザイナー 三谷龍二 企画展

関連する作家たちの企画展が、それぞれが主催するギャラリーでこの春に開催される。
その3箇所でスタンプラリーをするのはどうだろうかという案が、その前日に皆川さんから出たことを伝えると、こんな感じが良いね、とさらさらと絵を描き始めた。

線を描きながら、その線がなぞらえている向こうにあるもの、
どのようなものになるのか、その内容や、空気感や、関わる人達と出来ること、そんな景色を紙の上で探っているようにみえる。

「感じていることを形にする」
思考や、湧き上がってくる情報たち、線を描きながらそれらが静まって、直感で一つになる瞬間を待っている静かな儀式。
三谷さんの日常風景の片鱗。

そうやって感覚をスケッチしながら、ふと顔を上げると「ジャバラになっていると良いね。ほらこれは先日届いた百草からのKIMAWASHIのDMなんだけど、こんな感じで」と。
私にも三谷さんの頭の中が平面から立体になって見えてきた。

そのことをメールで皆川さんや安藤さんに伝えると、「いいですね、それでいきましょう」と。
とんとんとん、と進んでゆく。

なんて受け取り上手な人達なんだろう。
なんて作るということに素直なんだろう。
信頼していて、迷いがないのだ。

だからこそ、普段使いのシンプルで美しい道具が生まれてくるのだろうな、と腑に落ちてゆく

三谷さんが淹れてくれたお茶が入っていたのは、漆で仕上げた木のカップ。
木のぬくもりがすっぽりと手に収まる。
その軽さと、熱くならない木の肌合いのやさしさが嬉しくなる。

その日は10センチはお休みの日。
三谷さんお気に入りの自転車(健在)の看板は出番待ち。

元は古いタバコ屋さんだった物件を改装した10センチ。
私たちはそこをあとにして、山の方へ20分ほど移動して三谷さんの工房へ。

山の麓の小さなりんご畑のとなりにある、同じく小さな工房へ到着。

空気は澄んでいて清々しい。
植物も気温も、人の生活を取り巻く環境は沖縄とは全く違うけれど懐かしいような気持ちになる。

工房へ入ると、そこはとても三谷さんとしっくりと来る空間だった。
暖かくて、手に自然に馴染むラインと質感が感じられる。
尖ったところがまるでない。

そう、三谷さんの器のように。

仕事場は持ち主そのものが表れる場だ。
その人が自分の求めているものを形にする空間。
その人の動線が見えてくるような道具の置き方と、それらが納まった様子。
そこに座って、仕事をしている様子が容易に浮かんでくるような空間。

仕事をする場所と、ゆっくりと思索する場所が自然な形で溶け合っているのがとても三谷さんらしいと感じる。

ここは愉しむ為の空間なのだろう。

誰かとお茶を飲んだり、語り合ったり、ご飯を食べたり、思索し、感覚を使っていいと思うものを作る、誰かが使うことに思いを馳せてみる。

そんな、人が楽しく時間を過ごすことが出来る要素がぎゅっと詰まった空間。

棚には、三谷さんが作った小さな10センチが。

小さいのに、中で色んなことが起こっているような気にさせる。

三谷さん作の器たちは工房で使っているもの。
オイルフィニッシュの木の器や、白漆をかけた大皿、お歯黒染めの黒漆の皿など。
この皿たちを使って、たくさんの人が様々な料理をいただきながら楽しい時間を過ごした様子が浮かんでくる。

そしてこの器たちは沖縄までやってくることになっている。

愉しみが人を繋げてゆく。
東京・松本・岐阜・沖縄と、距離に関係なく人は愉しみを共有することが出来る。

3人の大人達が自分の境界線を越えて、自由にもの作りをする今回の企画展は、3人だけでは終わらない。
参加する私たちも、その愉しみを共有し、日常の中でさらに広げてゆくことが出来る。

日常を楽しく過ごしている人から生まれる、感覚には境界がない。

今回は、三谷さんの仕事場があまりにやさしくて、静かに楽しさが広がってくるようなたたずまいが感じられて、写真を削ることがなかなかできなかった。

この感じはなんなんだろう?
軽やかな小春日和の散歩道。
小川のほとりのピクニック。

まるで三谷さんはピクニックを楽しんでいるかの様に暮らしているんじゃないだろうか。

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「NO BORDER , GOOD SENSE」
2012/05/11(fir)~20(sun)
12:30~19:00

木工デザイナー 三谷龍二 + 陶作家 安藤雅信 + ミナペルホネン チーフデザイナー 皆川明
コラボレーション企画展

Shoka:

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Shoka:の次回の企画展
「2年ぶりですね mon Sakata展」

4月20日(金)~29日(日)
初日には坂田敏子さん在廊予定
12:30~19:00

素材を手でしっかりと味わって、「この素材ならどんな風な形が良いかなあ」と服作りがスタートする、mon Sakataの服。
逆さまにしたり、重ねたり、自由な着こなしが自分流に楽しめる。
2年前に買った田原のパンツは、クローゼットで休む暇がないくらい着ています。
洗ってくたくたになってからがまた気持ちがいい。
自由な発想、自由な着こなし。
2年ぶりのmon Sakataが楽しみです。

 

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邂逅vol Ⅵ 2012/3/8

 漆と再生の物語

文と写真 田原あゆみ

3月3日の企画展初日に行われた赤木さんのお話会は、50名を超える人が集まってShoka:は熱気で一杯。
赤木さんのトークは場を和ませる軽やかさがあり、お茶目な冗談にみんなどっと笑ったかと思うと、生きるという本質が語られた時にはしんとした感動が広がってゆく、そんなふくよかな時間を参加者全員で過ごしました。

赤木さんから聞いた数々の印象的な漆にまつわる話たち。

<職人たちの共作である>
大手の工場を別にすると、ギャラリーで展示される陶器や木工は一人の作家や職人が作ることがほとんど。
しかし多くの漆器は、何人かの職人の手を経て出来上がってゆく。

下地の木のうつわを作る木地職人
漆を塗る塗師
漆を塗る過程で乾いた漆を研ぐ研ぎ師

そうして出来上がった漆器に絵を入れる職人を蒔絵師
沈金をする職人など、様々な技術を持つ職人がそれぞれの仕事をして漆器は完成してゆくのだ。

弟子入りすると、師匠と弟子は実の親子より深い絆で結ばれるのだという。
弟子は時に滅私して師匠の仕事に自分を明け渡すことが要求される。
そこで学ぶことは、自分自身の独力で学んで得ることよりも、より深い気づきを得られることがあるのだと赤木さんは語る。
核家族化が進んだ現代の中で失われつつある、人と関わって絆を深めてゆく側面が、輪島の職人の世界には残っているのだ。

徒弟制度や漆器を共同で作り上げてゆくことの中にある、誰かとともに結果を探し求めるということの大変さと面白さ、相手の美意識と、こちらの美意識のちょうど真ん中に行き着いた時、思いがけない良いものが出来ることがあるという。聞いていると何だかとてもうらやましくなる。私たち人間は実はこのような人との深い交流を求めているのではないだろうかと感じた。


(写真は、欅(ケヤキ)の木を向こう側が透けるほど薄くひいた木地に、漆で綿の布を貼付けてから、さらに漆を重ね塗りした大皿と椀。木地職人の技術の高さに驚くようなうつわ。驚くほど軽い。漆の肌はまるで真珠のような有機的な光を放つ。)

<自分の道を歩くということ>
赤木さんは編集の仕事をしていた時代に、角偉三郎氏の個展をみて衝撃を受け、それがきっかけとなって職人になることを決めた。
27歳の時のことだ。
10代から修業を始めるのが当たり前のような職人の世界で、遅いスタートを切りながらも、人よりたくさん塗ろうと決意し、輪島塗下地職人・岡本進師匠に弟子入りした4年間、お礼奉公1年を経て、32才で独立。
それまでの間に、様々な師と出会いいろんなことを学ぶことが出来たのだという。
お酒の飲み方から・漆というもの・職人の世界の決まり事 etc・・・

独立すると、自分が美しいと思うものを作ろうと決心するにいたり、和紙を使った独自の肌合いを持つ日常の中の漆器を作り始める。初個展で注目を浴び、ドイツ国立美術館「日本の現代塗り物 十二人」に選ばれ海外でも高評価を受ける。

何かに導かれるような、出会いにめぐまれている赤木さんの職人への道。
赤木さんは、自分の歩く道には、自分に必要なことが既に準備されているのだと言う。

「みんなそうなんです。それぞれの人の道に、その人に必要なこと、必要なものがちゃんとある。それに気づけるかどうか、ただそれだけなんです」

「なぜこのタイミングで、この人と出会ったのだろう」

「どうしてこんなことが起こっているんだろう」

そうやって出会いや起こっていることを味わうと、その出来事の自分なりの意味がわかってくるのだと。

<漆と再生の物語>
赤木さんの話の中で特に印象に残ったことがある。
それは、漆とは「再生と生命の可能性を秘めている」ということ。

赤木さんの椀を使っている人に聞くと、漆のお椀が時に楕円になったり、丸い形に戻ったりすることがあるという。
漆という物質はとても不思議な物質で、固まるとガラスと同じくらいの強度を持つ。
けれども、その下地の木地は呼吸をすることが出来て、形が変化する余裕があり、漆は固いにも関わらず木の動きにあわせてついてゆくことが出来るそうなのだ。

そして漆器は塗り直しをすることによって何度も蘇り、かなりの年月使うことが出来る。
私たち人間よりずっと長生きなのだ。
漆器の一番古いものは、日本の遺跡から発掘された物で、縄文時代の物だそう。
なんと9000年前の日本固有の漆を塗った物であることが分かっている。

私が使い、娘が使い、きっといつか娘の子どもやその子どもたちが使ってくれるかもしれない漆器。

欠けても割れても、漆の接着作用で修復出来、はげても塗り直すことで再生する。
消費する時代から、大切に受け継がれて行く時代、リサイクル=再生の時代に漆はとても合っているのだと思う。

東北の震災の後、去年の6月後半、赤木さんは以前から予定に入っていた仙台での個展を予定通り開催したそうです。
始める前には、様々なものを失った人達にとって今は漆どころではないだろうと、誰も来ないかもしれないことを覚悟していたといいます。

ふたを開けてみると、その個展にはたくさんの方が来られて、多くの方々が買って行かれたのだそうです。
それは、様々なものを失った人達が、本当にいいものをもう一度使ってみたい、以前生活の中で使うと元気の出たあのうつわをもう一度使ってみたい、と感じたからだそう。

訪れた方達は、
「ものをもう一度持つのならばずっと受け継がれてゆくものをもちたい」
「日常の中で漆を使ったり、眺めているともう一度生活を再生したいと、希望が持てるんです」

と、語られ、赤木さんもその言葉から漆という素材に可能性や希望を感じたのだそうです。

私が毎日の様に使っている楡のパスタ皿。
この日はアボカドを切って盛りつけてみました。

娘はこの黒い漆器を受け継ぎたい皿NO1に選んだ。
それは、漆のぬくもりと、人肌に近い感触についつい手が伸びてしまうから。
うちでは毎日の様にこの皿を使っています。

こちらは銀杏の木の大皿。
やはり家で二番目に活躍している漆器です。

よく使ったので、去年薄くなった漆を塗り直してもらいました。
宗像堂のパン、バナナコクルレを載せて。

4ヶ月の不在の間は、本当に寂しかったけれど、塗り直してもらって蘇ったうつわを手にした時には本当に感動しました。
赤木さんのところでは、無償で塗り直しや修理をしてくれます。
それは漆の再生する特質や、好きなものを大事に受け継いでゆくことを伝えたいから。


こちらも柔らかい肌合いの銀杏のお皿。
黒い器のしっとりとした肌合いと、白い柔らかな光がいくらをより生き生きと引き立てます。
ごっくん。

Shoka:では私たちが生活の中で、美しいと感じるもの、楽しさやよろこび、人生をより楽しく生きてゆくための知恵ージンブンー、笑い、笑顔、微笑みが広がってゆくきっかけになるものとことを、お伝えしてゆきます。

まるで生きているような漆の世界。

3月11日(日)まで。

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塗師 赤木明登「漆のうつわ」展

2012年3月3日(土)~11(日)まで 12:30~19:00

Shoka:
住所:沖縄市比屋根6-13-6
電話:098-932-0791
HPとブログ:http://shoka-wind.com

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邂逅vol Ⅴ 2012/2/23

塗師 赤木明登「座る場所」

文 田原あゆみ

一体どれだけの人が、「私は居るべきところに居るのだ」と感じることが出来ているのだろうか。

誰もが自分にぴったりの場所を探しあぐねている。
内なる感覚が、自分を取り囲む風景と合致するところ。
自分のまん中から、「そうだ、ここだ」と言えるところを。

6年前に沖縄で初めて赤木明登氏の個展を開催した時、私はその仕事の奥深さを全く理解していなかったと思う。

その個展の数年前に私は初めて赤木さんのうつわを使ってご飯を食べたことがあった。
良い形、だと思った。
傷つきやすくて、扱いにくいと思っていた漆器へのイメージとは違ううつわだった。

その時の使った感覚を手と目が覚えていて、その感覚の延長線で展示会を開催した。

あれから6年。
私はほぼ毎日のようにその時に購入した漆器を使っている。
楡の木地に黒漆のパスタ皿2枚と、銀杏に黒漆の真ん中がそりあがった少し大きめの皿。

数あるお気に入りの器たちが入った、食器棚の扉を開く。
たくさんあるのに、なぜか手が伸びてその器を今日もまた手にしてしまう。

松の実・カリフラワー・ほうれん草のクリームパスタを盛りつけて。
ある時には、田芋を薄めに切ってカリカリに焼いたのに塩をふりかけて。
また、ある時にはカボチャと卵のサラダを。

「手入れが大変」
「傷つきやすいので、行事の時に棚から出して使う特別な物」
そう思い込んでいた漆器。

しかし作り手の意図によっては、こんなにも日常使いに向いているものになるのだ。
それは使ってみてわかった事。

実際、工芸の世界は最近まで大きく分けると二分されていた様に思う。
ひとつは、日常使いの利便性を満たしたものたち。
もうひとつは工芸の技術と美しさを追求した、非日常の中で生きているものたち。

赤木明登氏の仕事は、その二つの交差するところにあると感じる。
日常使いの器の中に「美」をもたらすという事。
暮らしの営みの中に在る「美」を簡潔な形の中に表すという点で、氏の仕事は二分されていたものをひとつにしたという事も出来るだろう。

赤木明登氏が現在のスタイルを確立するきっかけになったひとつに、輪島の山の廃屋で偶然見つけた幕末の漆の飯椀との出会いがある。
当時の人々の暮らしぶりが伝わってくるような野太さがあり、おおらかさが伝わってくる形。
それを美しいと感じた。
それは、その時代に生きた使い手の暮らしぶりと道具との間に一致感があったことと、当時の暮らしそのままの素朴さがその椀に表れていたから。

その時の飯椀を原型に、現代の生活の中に溶け込む形を見いだして、現在の氏の「飯椀」は生まれたのだという。


私がその形を見てみたいといったら、赤木さんがわざわざ雪の中で撮ってくれた写真です。

その時のエピソードや、氏の現在の仕事を確立するまでの背景がこの本の中に詰まっています。

文芸春秋出版   赤木明登著

「僕はただひたすらに
漆へと向かっていった
何が僕を
駆り立てたのかさえ
わからなかった
辿り辿って、往き着いた漆職人・輪島の世界は
蒼々たる森林のごとく
恐ろしいほど奥深く
厳しく、同時に温かく豊かな場所だったのだ」

赤木明登
<同本背表紙より抜粋>

修業時代のさまざまな体験や、輪島の人々との交流、その中で一人の人間が、自分の居るべきところに座すまでを書き上げた本。
様々なものの作り手にも、同じく、多くの使い手にも読んでもらいたい本です。

漆の赤は生き生きとした艶の中に、生命感と艶を感じる。
今度は赤い漆器も使ってみたい。

私は専門家でも美術評論家でもないが、暮らしの中のある瞬間に私たちを喜びへと解放してくれるものがある事を知っている。
何気ないいつもの食卓で、何千回と繰り返して来たいつもの行為の中で不意にそれはやってくる。

何かに心うたれて、その瞬間に自分自身が結集する。
普段ばらばらに起動している五感と、意識が一体化するような感覚。
一体化しているのに、広がってゆくような感覚。

この時の状態を「しあわせ」というのかもしれない。
そしてそのきっかけとなるものが存在する。
それを総称すると、「うつくしいもの」という言葉になるのではないだろうか。

そして赤木明登氏のうつわを使い、その背景を知った今。
本当に「うつくしいもの」とは、自分の居るべきところに座した人から生まれてくるのだと感じた。

写真
ポートレイト・赤木明登氏作品 雨宮秀也
料理と器 田原あゆみ

塗師 赤木明登「漆のうつわ」

2012年3月3日(土)から11日(日)12:30~19:00まで。

Shoka:
住所:沖縄市比屋根6-13-6
電話:098-932-0791
HPとブログ:http://shoka-wind.com

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※下記のトークイベントは定員に達しましたので、
募集を締め切らせていただきます。
たくさんの方がご応募下さいましたこと、感謝いたします。

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邂逅vol Ⅳ 2012/2/10

NO BORDER ,GOOD SENSE仕事場を訪ねて Ⅰ 「静けさに耳を澄ます」陶作家 安藤雅信

2012/2/10

写真と文 田原あゆみ

「NO BORDER , GOOD SENSE」

5月11日(金)から10日間の企画展のタイトル。
陶作家の安藤雅信氏・木工作家の三谷龍二氏・minä perhonenチーフデザイナーの皆川明氏の3人のコラボレーションによる初めての企画展。

「SENSE-感覚」というものは私たちが生きていく上でとても大切な道しるべだ。
それぞれが個性的な表現の世界を確立しているこの3氏には、実は共通していることがある。
それは、自分の本質的な感覚に耳を傾けてもの作りをして来た結果、とても磨かれた感覚を持っているという事。
そして人は本質に近づけば近づくほど、自由になるのだろう。
そんな人同士が出会うと、時間、住んでいる場所、仕事のジャンル、年齢、それらの制限性が失効してしまうようだ。

磨かれた感覚を持つ人同士は相手に向かってドアが開かれている。
一見制限に見える事柄を創造の種にしながら、共同創造が生まれでる。

どんなものが生まれてくるのか。
とても、とても楽しみだ。

底冷えのする1月の半ば、
「NO BORDER , GOOD SENSE」の打ち合わせのため、岐阜の多治見にある安藤雅信さんの工房を訪ねた。

仕事という字は「仕える」と「事」から成っている。
様々な視点があるだろうが、「自分自身の本質的な声に仕える事を通して社会に関わる事」だと私は捉えている。

内面の声に耳を傾けながらそこに在る美しい形を彫り出してゆく。
安藤さんの仕事場は、必然的に静けさで充ちている。

安藤さんの仕事場は、その作品とよく似ている。
道具のひとつひとつ、その並べ方、張り紙の文字、照明の明るさや細部に到るまで一貫するものを感じた。
すべてが安藤雅信というひとつの絵のようだ。

どこをみても簡素で美しい。
本来仕事場というところは、神聖な場所なのだとしみじみと感じた。

「一番しあわせな場所」

と、安藤さんが語った場所は、作品の設計とデザインをするための小さな部屋。

必要なものだけが、あるべき場所に収まっている。

そっと感覚に耳を傾けて自分の中の形を彫り出してゆく。
聴こえてくるものを捉えるための静かな場所だ。

型を起こした後に、さらにその中に潜んでいる美しいラインを見いだす事は、安藤さんにとって至福の作業。

子供の頃、町の外れにあった工場の景色。
その工場にアートが注がれるとこんな景色に成るんだなと感じる。

無機質なようでいて、とてもやさしく懐が深い。
有機的なもの、人や、料理や、その表情がより生き生きと映える様に引き立ててくれる

無駄なラインが削ぎ落とされた美しさ。
この神聖さが漂ううつわに、皆川さんが絵付けをするという。

正直、よほどでなければ筆がいれられないように思う。
普段情熱的な分だけ、文章を書く時には押さえ気味で書くのだが、どんなものが生まれているのかを想像すると胸が躍る。

仕事場の景色はまさしく安藤さんそのもの。
自分に問いかけ、その答えに耳を澄ます。
静けさの中で感覚が冴え渡ってくるような、そんな空気感で充ちている仕事場でした。

先週末には皆川さんがこの仕事場を訪れて、絵付けをされたそうです。
私たちがその作品に会えるのは、初夏の風が吹く頃。

今からとても楽しみです。

「NO BORDER , GOOD SENSE」

2012年5月11日(金)~5月20日(日)
3氏によるトークイベントも開催予定。
詳細は4月に掲載いたします。

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邂逅vol Ⅲ 2012/12/29

「美は暮らしの中に」

写真と文 田原あゆみ

2011年を振り返る。
この一年は私にとって、自分がやりたかった事をどんどん表現して行った年だった様に思う。
今まで折り曲げていた手足を心も一緒にぐーんと伸ばしていったような感じ。

自然児だった小さな頃から、小さな虫の完璧さに感動したり、沖縄の白い砂の中の無限の形や色たちに圧倒されたり、海の無限の色に引き込まれたりと、自然界はなんて美しいもので溢れているのだろう、と感じてきました。

なので過度に装飾的なものや、ものを使って自我を表現しているように感じられるものよりも、「自分の中の自然」を表現しているものに惹かれます。
たとえそのものが、悪戦苦闘の末生まれでたものであっても、すっと溢れるように誕生したものであっても、「自然」を感じさせるものには芯があって、持続する絶え間ない美しさがあらわれているものです。

私にとっての美しさとは、触れる人の心を静かに解き放つものです。
そして、暮らしの中から至福への入り口となりうるもの。

2011年、巷で言われている事とは反対に、私にとっては希望に溢れた本質的に豊かな生活へとたどる道が大きく開かれた事を感じています。

大量に作って大量のゴミを生み出すものたち
誰かの犠牲の上に成り立って製産される廉価なものたち
その循環も確かにあるけれど、

自分の中の自然に耳を傾けて、そこへ手を伸ばして微笑んでいる
やりがいや、つながりや、本当にいいものを生み出そうという循環の中に立っている人達も確かにいます。
出会うと嬉しくなる、手を伸ばして使ってみたくなる
旅に一緒に行きたくなるようなものや、たくさある中からなぜかいつも使ってしまうもの
そのように美しいものたちがある。

衣・食・住
日常の暮らしの中にこそ美しいものはあって欲しい。

それを美しいと感じる心とともに。

2011はたくさんの笑顔に触れた一年でした。
友人たちと、今年出会ったすべての人と出来事に感謝いたします。

2012年
自分にとっての最高にぐんと手をのばして選び取る、そんな事の連続に立っていたいと思います。

Shoka:の2012年仕事始め

ganga 手仕事のやさしい布たち

2012年1月27日(金)~2月5日(日)

26日(木)夕方より布使いのワークショップを行います。
詳細は決定次第掲載いたします。

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