明日から始まる「humoresqueの夏を愉しむ服展」より。
カレンド沖縄に4月3日に掲載された記事をこちらにも。
「humoresqueの夏を楽しむ服展」
4月8日(土)~16日(日)
Shoka:で開催するhumoresqueの服の企画展。
その服たちが生まれてくることになった背景や、女性の作る女性のためのお話をしましょう。
「なれそめ」
humoresqueは比較的最近できたブランドで、2011年ごろから準備を始め、最初に受注会を始めたのが2012年の秋冬物。私が出会ったのはその次の2013年春夏の受注会だった。
当時はリネンとカシミアのニットを主に扱っていて、南国に住んでいる私には湿度が常に80%以上の沖縄の夏にカシミア素材の衣服に袖を通すということは考えられず、リネンのさらっとしたニットを注文してお取引が始まったのだった。
その頃の話をすると、二人ともう「わ~!!」という表情をして体を斜めにして「もう当時のことは恥ずかしくて忘れてしまいたいんです」とおっしゃる。
二人というのは、ユーモレスク デザイナーの渡辺 由夏さんと、そのビジネスパートナーで西麻布の喫茶Rを主宰する滝本玲子さん。
「服作りのことを何にも知らないからできたんです」
「わ~~~~」と、頬を赤らめ恥ずかしそうに身をよじらせている。
どうも色々話していて感じたことは、二人とも情報通の頭でっかちというより、感覚にとても素直なタイプ。
やっちゃおうか、という秘めていた思いがある日勢いに乗って、化学反応を起こしてしまった。
そんな印象。
そしてhumoresqueが始まった。
ドボルザーク作曲『humoresque』という楽曲は、多くの人が無意識にハミングしてしまうものではないかしら?
優しくて、感覚の中に心地よく記憶されるその楽曲。
そんん風に心地よく肌になじみ、暮らしに馴染む服を作りたい、その思いを込めて「humoresque」をブランド名とした。
「着ていて感じるhumoresqueの服」
『humoresqueの服を着ていると、手の動きや、足の運びに意識が向く。
世界の中に自分が存在して、どこへ行くのか何をするのかをちゃんと選択している感覚が芽生えてくる。
音楽に耳を傾けてゆったりとお茶を飲んでいる空間や、それを取り巻く世界、茶面に揺れる窓辺の景色、カップを持っている自分自身全部を絵のように眺めている、そんな感覚になる。
私が女性であることを、日常の中の美しさを愉しもう。』
私たちShoka:チームがこの3年間触れてきて感じたことをみんなで話し合ってみた。私たち4人はほとんどぶれずに同じイメージを持っていた。その共感を拾って言葉に組み立てたのが上記の『』内の言葉。
踊りというのは、人が身体と動きを意識し尽くして、そのあと開放に向かう一連の躍動のようなものではないか、と感じている。
humoresqueの服を着ていると、日常の身のこなしがまるでささやかなダンスのように感じるのだ。
最初のうちは、バレエをやってきた渡辺 由夏さんの持っている感性がベースになっているからなのかしら?と、ほんわりと感じているだけだった。
今回企画展に当たって、インタビューをすることで私は断然humoresqueのフアンとなった。うまく伝えられることを願いながら、渡辺 由夏さんの言葉を拾い、私の経験や感性を通してその時間の中へとアクセス。
しっかりと感じてみたい。


「女性が女性のために作る現実的な服」
『女性が女性のために作る服だから、私たちが作る服はとても現実的な服だと思います。
それは服の丈夫さや着心地の良さ、それから実際に動いた時のラインの出方、身体の見え方がどうなるのか、そんなことがとても気になるのです。
電車に乗っていてつり革に手をかけた時、洋服の横地が全部上がってしまって裾が上がって足が出すぎてしまったり、わきが引っ張られて窮屈になってしまったりするようなことはあって欲しくない。
手を上げた時に、軽やかに肩が上がって、しかも首から肩、裾にまで流れるように綺麗なラインになるようにするにはどうしたらいいだろう?そんなことを考えてしまう。』
彼女がそう考え思考錯誤して作った服は、余裕も遊びもあってやっぱり着たときのラインや動きが綺麗だな、と感じる。
肌になじむ着心地の良さは然り。自分で鏡を眺めた時の首元や肩のライン、手首はすっっきりと長く、美しく見えるようであってほしい。
お茶を飲むときにふと眺める手元が美しいと、私たちの動きは意識的に綺麗になる。美しいと感じた意識は、日常を変えてしまう魔法の力を持っている。
humoresqueの服の袖口は手首が細く長く見えるので、時にうっとりと自分の手首を眺めてしまう。


「揺らぎ」
『スカートでもコートでも、ふわふわとした感じだと気持ちも浮ついてしまう。ある程度の落ち感と重みがあって、足元で揺らぎを感じるくらいが丁度良いと感じるんです。素材に重みを感じると、しっかりと地に足がついた感覚になると思いませんか?』
彼女の衣服を着るという感覚にははっとさせられることが多くてなるほど、と共感する。確かにふわふわとした素材を楽しむ時期も人生の中には必要だろう。けれどいい素材で胸を張って着れる服がほしいと感じる年齢の女性たちが求めているのは、知的で、地に足がついていて、自信を持ってここにいることができる着心地の良い衣服。
そして、自分を美しく見せてくれるものであってほしい。
彼女も自分の人生や経済活動を捧げて衣服を作っていくことを決意したからこそ、ではどんな服が着たいのか、どんな形で、身に着けた時にどんな感覚でありたいのか、そんなことを日々問いかけて意識するようになったのだろう。
インタビューをしていて、彼女の独特なものの感じ方や見え方はとても興味深かった。インタビューを終えた今、私は断然humoresqueの服が着たくなってしまった一人となってしまった。
彼女も、「誰かに質問されて考え、答えていると自分でもああ、私はこんなふうに考えていたんだ、と感じて面白い」という。
私も取材をしたり、質問をするのは大好きで、それはそこに発見があったり、共感することや、自分と違う視点に新鮮さを感じ自分自身も変化することがとても楽しい。
結局、自分探しという言葉よりも、社会活動の中で自信に問いかけ、行動した結果、自分自身は発見するものだと今は信じていいる。
自分に問いかけて得た感覚や、それを言語化した言葉に自分自身を発見するのだ。
パンツスタイルが定番となった私の日常にスカートを取り入れたい。
彼女と話していてそう決意。落ち感のあるロングで足元で素材が揺らぐ、大人のスカートをこの春私は選ぼうと思う。

「後ろ姿」
自分では見ることのできない後ろ姿。
髪の毛が跳ねていたり、ブラウスの裾がもたっとしていたり、くたびれた感じの丸い背中だったり。
無防備な後ろ姿にこそ、その人が滲み出るのだ。そしてその無防備さに魅力を感じることも多々あるのではなかろうか。
隙だらけの後ろ姿に感じる個人のあれこれ。どうも人は欠けているところに、自分の居場所を見つけるらしい。
その魅力が(あることも)ある後ろ姿、そこに美しさや色気があったら、なんとも嬉しいことではないでしょうか。じっと見ることもできる誰かの後ろ姿。私の後ろすがたも誰かがじっと見ているのかもしれないから。
humoresqueの服は、手元、首元、バックの仕上げがとても美しいと感じる。細く長く仕上げられた袖が手首の繊細さをそっと包んでいる。いつも当たり前にそこにあるものの美しさに気づいてじっと見入ってしまう。
由夏さんに服を形にするときのことを聞いて見た。
「自分の記憶の中にある美しいシーンの残像を辿る感じです。例えばバレエをやっていたときに見たダンサーの背中や先生のふとした仕草の美しさ。あと、お洒落で美しかった親戚の叔母のこともよく思い出します。
それから、20年前に観たローザスのダンスが私のその後の人生にすごく大きな影響を与えています。スカートとTシャツで、まわったり、髪をかきあげるたりしてる、日常の仕草はとても美しいと感じました。」
ダンスや映画の中で観た美しさは夢のように過ぎて行くけれど、日常の中でその美しさに気づいて、自分が世界を切り取ったように感じる時間こそが自分にとっては特別なのだ。
そういえば、いつの間にか利便性に魂を売り渡して、簡単に着れる服ばかりを選んでしまっている。ウエストはゴムだったり、前ジッパーのパンツなど。
映画の中で背中に手を回してファスナーを上げる女性の姿に感じる美しさと色気。そんな服からすっかり縁遠くなってしまった。
靴紐を結ぶ、背中のファスナーを上げる、もしくは下げる、袖口のボタンをかける。
その一手間を楽しむ余裕が美しさへと繋がるのだ。
いつしか忘れてしまった女性らしい仕草の美しさ。私も日常の中で思い出してみたい。

「その時の自分にピッタリくるもの」
きっと女性なら誰しも、服が並んだクローゼットの中で「着る服がない」という感覚になったことがあるだろう。
現代に生きる私たちにとって衣服を着るという行為は、自己表現という側面がとても大きい。
特に私のエッセイや記事を読む人にはそんな感覚を持つ人が多いだろう。
今という時間の中で生きる自分自身の感覚や、気持ち。
それから時代の流れや、いろんなものが相まった中で自分の感覚にしっくりとくる服を着たい。体型のことや、経済状況、いろいろな外的要因もあるけれど、おしゃれを楽しみたい女性にとって、今日という日の自分の感覚にぴったりの服を着ることができた日はきっと調子がいいスタートが切れるだろう。
ドレスを着たら、背筋が伸びるし、似合っていると嬉しいし、華やかな服に似合う私が引き出されるだろう。
そう衣服には魔法がある。
女性は感じることが多い生き物。
気持ちにも、肌にもしっくり来るものと出会えたらそれはとても幸せなこと。豊かさの象徴でもある、この衣装遊び。罪悪感を持つなかれ。罪悪感はしあわせな気持ちを食べちゃう魔物。しっかり地に足をつけて、その時の自分にピッタリくる服を少しでもいいからクローゼットに取り入れてみる。
貯金を崩すなんてそれは私たち賢い女性のすることではないのですもの。
できる時にそんな遊び心を満たしておくと、私は嬉しく笑顔になる。動きや、言葉が優しくなる。すると目の前にいる人も嬉しい。社会にぽっと明るい火が灯る。
そんなことをできる時にやっておくと、その感覚や記憶が未来の心の支えになることも、きっとある。
そう感じている。
由夏さん曰く『「ずっと着れる服」、とかって本当かしら?』。
うん、うんあれは女性の常套文句。ちょっといいものを買う時に自分を納得させるための呪文の言葉、ではないかしら?
ふふふ
「今の私を知りたい感じたい」
世の中に服を作っているブランドやメーカーはごまんとあって、それこそファストファションの安価なものから、海外ブランドものの一桁も二桁も高価な服だってある。
その中から、自分がどの服をどんな風に選んで着るのか?
経済状況も相まって、やりくりすることも含めるからこそ「衣服遊び」という自己表現はとても楽しく奥の深いものになる。
私は子供のころ野生児でいろんなところをほっつき歩き、服は夏も冬もボーイッシュなショートパンツに半ズボンを日常着としていた。ただ肌触りだけは譲れずに、裏地に化繊の糸が使われているだけでも違和感を覚え着ることができなかった。おしゃれなんて程遠い子供時代。
その私が今、衣服にこんなに関わっていることは自分でもとても不思議だけれど、仕事って自分で選ぶというよりも仕事の方から指名が入るような、そんなところがあるように思う。この仕事をしてきて感じるのは人はその時代によって大きく変化するし、着る服のスタイルも変わることがあるということ。
すごく素材がいいからと、捨てられずにいた20代のころに着ていた服に袖を通す。すると、かなりの違和感があることがある。布に当時の記憶が眠っていて、体温でスイッチが入ったような感じ。漂ってくる当時のラインや丈の流行りの記憶。それから当時大好きだった色だけれど、どうも今の自分にはしっくりこない・・・
そうして私は、旅に出る。
今の自分にしっくり来る形や色や、スタイルを探す旅。
気持ちや、何か大きな節目。私の場合は最近子育てから開放されて、役割を脱ぎ捨てた。それからトレーニングをして体重や身体のラインが変わった。
すると、今まで避けてきた服がしっくりとくるのである。
シンプルなクルーネックやあんなに似合わなかった、前開きのシャツ。そしてシンプルなカーディガン。細身のパンツ。
鏡の中の自分はとても新鮮で、今までには思いもよらなかった自分の姿ととその人生が待っているように感じてわくわくしてくる。
humoresqueの企画展は4月8日(土)~4月16日(日)まで。その時に、わたしの中に積み重なってきた日常の中の美しい場面や、そこはかとなく香り立つ色香とその余韻を楽しむような、そんな服に私も出会いたい。

Shoka:のスタッフにも大人気の渡辺 由夏さんは4月8(土)、9日(日)に在廊しています。
彼女の着こなしがhumoresqueそのもの。
「humoresqueの夏を楽しむ服展」
4月8日(土曜)~16日(日曜)
11:00~18:00 会期中無休
暮らしを楽しむものとこと
沖縄市比屋根6-13-6
098-932-0791(火曜定休)
営業時間 12:30〜18:00(通常営業時)