邂逅vol 19 2012.08.17

                        

『喜びを着る』

*Calend Okinawaに連載していた田原あゆみの「暮らしの中の旅日記」から転載している過去の記録たち

服を着ることが好きだ。

かわいく見られたい。
きれいだと言われたい。
おしゃれだと思われたい。

誰かが見ている自分を意識して始まった、自分と服との関係。
誰かから評価がもらえることで、自信がつく。
そんなところから始まった。

私は、ブティックを経営する家族の一員に生まれたので、子どもの頃から身の回りにはその時代を象徴するようなスタイルの服があった。
多くの女性達が、自分に似合う服を求めてお店にやって来たものだ。

恥ずかしがったり、気後れしていたのもつかの間に、ステキな服や、ドキドキする会話、音楽に背中を押されて、服を着だしたとたん、顔が生き生きと上気し、楽しそうに服を着る女性達。
鏡に写った自分を見て、角度をいろいろ変える姿。
その表情の様々を、思い出す。

自分自身へ関心がある女性のほとんどは、服を着ることが好きだ。

いつの頃からか、自分自身を知ったり発見する一番身近な道具が服だと感じだした。

「私はこんな人です」と表現して来たつもりだったそれまで着ていたスタイルは、誰かの評価を意識したもので、実はかりそめだったのだと気づいた頃。
30代のはじめ頃だったか。

それから私は変身願望がいつも頭の片隅にあった。
実際は、変身というよりも、誰かを意識した服やスタイルではなくて、
本当に自分が着たい服
似合うと言われる服より、大好きな服
ときめく服
自分を発見するような服
忘れていた自分を思い出すような服
自分の殻を破るような服

そんな服たちに出会ってみたい、そう感じだしたのだ。
服を通して自分探検をしてみたい。
そう素直に思えるようになった。

きっと誰しも子どもの頃に、鏡に写った自分をかわいいと感じ、よりきれいに見せようと夢中で遊んだ経験があるのではないだろうか。
おかあさんの服を着て、着てみたり、お化粧をしてみたり。
それはとても自然な感覚だと今は思う。

自己愛。

これが健全に育ってこそ、本当の意味で他者を愛することが出来るのではないだろうか。
私たちが何となく罪悪感を持ってしまっていた、自分に酔いしれるあの鏡の前の時間は、自分の泉を満たす大切な時間だったのだ。

どんな服が似合うんだろう?

ミナ ペルホネンのchouchoのドレス。
地を這う毛虫が、さなぎの中で変身して、空中を舞うちょうちょとなる。
ちょうちょは「開放」を象徴する生き物だ。

第三者が見る自分という間接的な視点を、まっすぐ自分自身へと移すことで、選ぶ服は変わってくる。
そして、自分自身の感覚に沿って選ばれた服を着た時の満足感や喜びは、より深いものだ。

自分自身の感覚に耳を澄ますことで得るものは大きい。

流行の形を着ること似とらわれるよりも、自分の身体のラインをきれいに見せることの方が誰にとってもいいのだ、ということを知ることができる。

肌の色や、身体のラインなど自分が持っているものを受け入れて、より良く見えるように工夫することは、等身大で人生を楽しめる第一歩ではなかろうか。

内側に見ているものが、外の世界に顕われるのだということが、分かって来たのもその頃だった。

住んでいる土地や、文化背景の影響を受けて現代までに一体どれだけの衣服の形が存在しているのだろうか。
ARTS&SCIENCEの服は、「暮らしの道具としての衣服」という観点から作られている。
衣服のラインは時代とともに変化しているが、その流れの中に普遍的な美が顕われている形がある。
これ以上は決して引けないし、足すことも出来ないようなバランス。
そんなバランスを軸にしたものづくりをしているのが、ARTS&SCIENCEだ。

30代に入ってから、私は自分の身体のラインに合った形が分かって来た。
そして、おおよそ10年という時間をかけて自分のスタイルが出来ていった。

けれどそれが衣服を通して知る自分自身の旅の終点ではないということにも、私は薄々気づいていた。
常にどこかに、あの変身願望がくすぶっていたからだ。

「本当は違う自分が居るのではないか?」
「もっと違うスタイルを選択したら、私の人生は変わるのではないか?」
そんな考えが湧き上がっては、「似合うスタイル」をまたしても選択してしまうということを、数年繰り返していた。

スタイルができ上がってしまうと、トキメキがくすぶる。
変化の時だと分かってはいても、おなじみの自分にしがみついてしまう。
そのままだと、個体概念や恐怖と一緒に沈んじゃう!と分かっていながら、なかなかしがみつきたくて力の入った指を開くことが出来なかった、その数年間。

2009年の夏に、私は思いきって今までの固定観念を捨てた。
当時はそんなつもりだったのだけれど、後になって分かったのは、捨てたのではなくて、しがみついていた手を離した、という言葉が正しいということ。

変化するということだけが、この世で唯一普遍的なことなのだと当時の私は思い知った。
変化は自然なことなのだ。

そして私は、母の代から始まって39年続いた「ブティック」というスタイルから、自由になった。

好きなことだけやろうと誓い、とにかく何でも楽しいことを選択しようと決めた。

いろんなちょうちょが飛んでいる。
小さいちょうちょも、大きくなったちょうちょも。
みんなきれいで、みんなかわいい。
お花を求めて、ふわふわと。

忘れていた乙女心を取り戻すきっかけになったのは、ミナ ペルホネンとの出会い。

色付きの服を着る楽しみ。
ワンピースを着る嬉しさ!
うんと身体を動かす楽しみ。
集中する喜び。
殻を破る愉しみ。

家族で支えて来た39年続いた店を閉めるのは、本当に怖かった。
この時代、いい歳をした自分に何が出来るのか、生活出来るのかという不安もあったけれど、これからは本当に求めていること、心から人生を楽しむことの方へ行こうとだけ決めて、えい、と、固定概念の世界から飛び降りた。

飛び降りてみたら、あら不思議。

世界は広かった!

私の固定概念は狭かった!
当たり前だけれど。

ある人から聴いたお話。

『それまで信じていた世界から自由になろうと、決死の覚悟で飛び降りた。
ゆっくりと目を開けてみると、そこは大地だった。
振り返ると、自分は細い平均台の上を目をつぶって必死だ歩いていたのだと分かったのだ』

全くそんな感じだった。

TOUJOURSという言葉は「日常」という意味。

視線を、外へと向けるより、自分の感覚へと移すことで分かったことがある。
「日常」の中にこそ、すべてがあるのだということ。
自分の感覚を大切にしだすと、日常が変化してくる。

自分の感覚が心地いいと感じる服は、奇抜なものではなかった。
肌触りが良くて、身体がのびのびと呼吸が出来る形。
そして、きれいなラインであること。

シンプルで、うつくしくて、着心地がいい。
流行廃りから開放されて、自分の中の水辺へたどり着いたような、そんな気持ちになれる服。

そんな服を軸にして、遊びをちりばめる。
赤い色は、ふつふつと湧く生命力をくれる。
トマトも、赤い花も、生きているっていいよね、と言いたくなるような存在だ。

それはきっと「赤」という色の力なのだ。

えい、と飛び降りて、自分の中の楽しみに耳を傾けてみて分かったこと。
私はテキスタイルが好きだということ。
そして、自分を知るということを通して触れた自由や喜びを、色々なものやことを通して誰かと分かち合うことが大好きだということ。

それが今の仕事につながっています。

私のお話の続きはまた今度。
一見似ていても全く違うお仕事の話し。

きっと、この記事を読んでいるあなたにも似たような経験があるはず。

私と関根で始まったShoka:のお仕事。
これからどのように変化してゆくのかとても楽しみです。

Shoka:に常設の空間が出来ます。

そこには、日常を共に過ごす友人のような衣服が並びます。

「暮らしの道具としての上質な日常着」

「長く愛用出来る作り」

「着ることが喜びにつながるものであること」

「経年変化を楽しめるものであること」

これらのことを意識してセレクトしたものです。
その衣服を中心として、アクセサリーやカトラリー、うつわやいろいろ、暮らしの道具たちが並びます。
今までのような企画展も、ギャラリー空間で年に数回行う予定です。

カテゴリー: etc, rugü essay タグ: , パーマリンク

→ ブログの記事を一覧で見る