邂逅 vol 16 2012/7/12

暮らしの中の旅日記 「道具百景」

写真/文 田原あゆみ

*Calend Okinawaに連載していた田原あゆみの「暮らしの中の旅日記」から転載している過去の記録たち

田原あゆみエッセイ

暮らしの中の「道具」

私たちの暮らしの中にはたくさんの「道具」が存在している。
衣食住を支えている、道具たち。
洗濯機・アイロン・洗い桶・洋服ブラシ・ハンガー・包丁・まな板・ボウル・しゃもじ・撹拌器・うつわ・スプーン・フォーク・お箸・トレイ・椅子・テーブル・帚・布巾・雑巾・エプロン・ちりとり・スリッパ・etc

「道具」というのは、人が目的を持った時に生まれてくる。
人は利便性を追求することが好きだ。
より早く、よりきれいに仕上げたい、そして作業の行程をより便利にする為に道具へいろいろと工夫をくわえてゆく。
そうやって、私たちの文明は進化を遂げて来た。

人の営みの中で日常的に使われる道具、例えば帚のようなものは、長い年月の中で完成された普遍的な形に収まっている。
庭箒、卓上箒、部屋箒、畳用の箒等、用途によって様々な形に治まり完成されたうつくしさがそれぞれにある。

世の中には様々な道具があるが、ここでは私たちの暮らしに寄り添う道具たち、文化に根ざした道具たちを取り上げたい。

田原あゆみエッセイ
岐阜のギャルリ百草の安藤明子さん   2012年1月撮影
ミナペルホネンとのコラボレーションが実現したサロンを着て。

衣服にも様々な役割がある。
直射日光や外部の刺激から肌を守る、外気温に合わせた体温調整を補助する、という側面から見ると、とても便利で、私たちには欠かせない生活道具だ。

その他にも、衣服には、よりうつくしく装う、自分らしさを演出する、制服などメンバーを象徴する道具としてなど、二次的な側面もある。
そこは文化的背景がより濃く出るところだろう。

安藤明子さんのサロンは、日本人としての文化的背景を考慮し抜いて誕生した衣服だ。
アジア全般で着られている様々なサロンとは、着方や形が少し違っていて、筒型で共布の腰紐がついている。
また、同じ寸法で作られた重ねの下履きをはくことで、変化を楽しむことが出来る。

そこには、着物の着方をもとに明子さんが独自に追求した、「日本人に似合う寸法、着崩れしない着方、現代の暮らしの中で着やすい形」の中から生まれた、様式の美が詰まっている。

田原あゆみエッセイ

日常の作業がしやすいようにと作られたタブリエ。
重ね着をしたり、衣服の上から着てエプロン代わりに。
外出着としても、独特なかわいらしさを持つ働き者の衣服。
安藤明子さんの衣服は、10月5日から10日間の企画展「安藤明子のKIMAWASHI展」(仮題 )にて。

田原あゆみエッセイ

アーツ&サイエンスのシャツは関根のお気に入り。
このシャツは前を開けるとがらりと印象が変わる。

Sonya Parkさんは、「道具としての服」をコンセプトにしている。
いい服を作る為の基礎が、「『ジェンダレス、ヴィンテージ、ワーク、エスニック』に宿る」としていることに共感する。

Shoka:でのアーツ&サイエンスの常設展示は、8月24日から。
どんどん着て、自分の暮らしに馴染んでゆく服との出会いが楽しみです。

田原あゆみエッセイ

表紙の写真は、友人の写真家 高木由利子さんの工房へ遊びにいった時の朝食の景色。

海外でファッションデザイナーとして長く暮らし、その後フォトグラファーとして、世界中を飛び回る生来の旅人である彼女の生活スタイルは至ってシンプル。
身軽な暮らしの中にあるのは、厳選された道具たち。
快適で、使い勝手がよく、彼女の美意識がyes!と言ったものだけが並んでいる。

私がお土産に持って行った、宗像堂のパンを楽しくおいしく一緒にいただいた。
文明の進化を助ける側面を持つ道具たちは、自然と人の生活の調和を崩すという危うさも持っているが、生活に寄り添う「生活道具」たちは、私たちの暮らしの中の美や、ゆたかな時間を支えている。

ディテールを思いやる意識が、簡潔に形の中に収まっている、そんな生活道具にであった時に「人間ってすばらしいな」と、感じ入ってしまうことがある。
最近、日用品としての道具の中にうつくしさを込めたものが増えて来たように感じられる。
アートとして日常から切り離すのではなく、生活そのものの中に美を見出したり、うつくしさを感じたいという人が増えているのだろう。

田原あゆみエッセイ

長年使っているうつわ。
自然なラインの楕円形のボウル。
ヨーガンレール氏の家に遊びにいった時に、お土産にいただいたもので、レールさん自身が作ったという。

気に入ってこの10年間頻繁に使っていたのだが、徐々にヒビが伸びて来てある日まっぷたつに割れてしまった。
そのうつわを、漆職人の友人が銀継ぎをしてくれたのが嬉しかった。

今では以前よりも、好きなくらいだ。
道具には、使い込んでゆくことで出来上がってゆく、経年変化の表情の視覚的なうつくしさと、その道具の背景にある非視覚的なストーリーのうつくしさの両方が宿る。
なので、大切に使われている道具には、ある種の輝きある。

田原あゆみエッセイ

洗い桶や、ザルやボウルが無かったら、豆をどうやって洗ったらいいのだろう?
麻袋に入れて、川でじゃぶじゃぶ・・・・やはり道具が必要だ。

田原あゆみエッセイ

スプーンが無い生活は、つまらないだろう。
有形無形、何かを取りこぼしてしまいそう。

写真のスプーンはホーンで出来ていて、口当たりがとてもやさしい。
私は金属のスプーンよりも、木やホーンで出来たものがぬくもりがあるので気に入っている。
食べ物が口に運ばれる時、唇に触れる感触が自然で、すでにおいしい気分になるのだ。

田原あゆみエッセイ

もしも時計が無かったなら?
夜の暗闇が無くなった現代の生活。
私たちの体内時計はちょいと狂いがち。
きっと大混乱になるだろう。

うちなータイムが世界中に広まるかもしれない。
私は、ほっとするだろう。

メロンが鎮座しているスツールは、低い椅子になり、寛ぐ時の小さなテーブルになり、お花や展示するものを載せるうつくしい台となる。
道具は使う目的がはっきりとしていて、見立てる感性があれば様々な用途に応えてくれる。
そしてその表情も、とても豊かだ。

道具を作る道具たち

田原あゆみエッセイ

私たちが、日常生活の中で使っている道具たち。
写真の工具たちは、木漆工とけしの木工用の道具たち。
切ったり削ったり、様々な用途に合わせて備えられている。

私たちの手元に届く頃には、すっかり角が取れて、しっとりとまろやかな感触に収まっているうつわも、その形に収まるまでは、このような刃物で切られ、削られ、磨かれる。
道具を作る為の道具たちは、なかなか刺激的なものも多い。

田原あゆみエッセイ

私は仕事場を訪問して、インタビューをするのが好きだ。
いい仕事をしているな、と思う人の仕事場を訪問して、その空気に触れ、道具を見ることが出来るというのは、私にとってたまらないことなのだ。

最近の旅行の中には、必ず誰かの仕事場訪問とインタビューがセットになって盛り込まれている。
しかもそれがメインになっていて、温泉や町歩きはデザートのようなものだ。

田原あゆみエッセイ

渡慶次弘幸さんが、ろくろでうつわを削りだしているところ。
身体とろくろの間に台を置いて手と足で支えることで、身体の軸を保持することが出来る。

何とすばらしい道具なのだろう。
潜在的なニーズに応える為にでき上がった、シンプルこの上ない形。
この台が無かったら、身体の軸を長い時間保つことは難しいだろう。

現場を訪れずには、このような道具があることを私たちは知る由もない。

木漆工とけしの渡慶次夫妻の仕事ぶりはすばらしく、彼らの暮らしの中の風景もとても素敵です。
Shoka:が常設になった空間でも、彼らの作品に触れることが出来ます。
9月頃CALEND-OKINAWAに、木漆工とけしの取材記事を掲載しますので楽しみにしていてください。

ここからは、また別の場所にて出会った人と道具のお話です。

田原あゆみエッセイ

Shoka:の改装に伴って、展示用のオリジナルテーブルを作ってもらっています。
リフォームをお願いしている、株)新洋に勤めている、木工職人の上里良彦さんを訪ねてきました。

作業台の上に置いてあるのは、テーブルの足の部分。
素材は北海道産のウオルナットという木。
オイル仕上げが似合う、きめ細やかで硬質な肌をしています。
現在のこの形の中に、私の頭の中にある形が眠っています。
それを削りだす為に、あれこれ相談を重ねたり、実際に少し削って印象を確かめたりしています。

田原あゆみエッセイ

多くの職人さんは、自分の手に合ったより使いやすい道具を作る。
このカンナは、樫の木で作ったもの。

田原あゆみエッセイ

上里さんは、私の要望に合わせて少しだけ角を削っています。
慎重な手の動きと、真剣な職人さんのまなざし。

田原あゆみエッセイ

右上の角に丸みが出ているのが分かる。
1寸の丸みをつけるのか、3寸にするのかで印象はずいぶん変わってくる。
写真のカーブは3寸。
結局内側は3寸、外側は一寸のカーブをつけることに決まった。

木工の世界では「寸」という単位が、未だにずっと用いられているという。
世間がcmという単位に変わっていても、寸という単位が残っているのは、日本人の暮らしの中で木を使って来た歴史が長いからだという。
「日本の木工の技術は世界一だよ」と、目を輝かして語る上里さんは、元々個人で木工職人として家具を作っていたそうだ。

興味深いのは、作家特有の美意識を持つということよりも、指物から家具、丸太組など、木に関わる仕事にこそ喜びを感じるから、縛られずに何でも作るということを優先したいという上里さんの個性。

かなりの勉強家で、国内外の家具の本を片っ端から読んで独学で勉強したという。
Shoka:を訪れた時にも、「これヨーガンレールの家具だね」と、嬉しそうにしていた。
木工が大好きな上里さんが個人の仕事をやめてこの会社に入社を決めたのは、木材の豊富さと、工具が大小揃っていて、さまざまなことが出来ることに可能性と喜びを感じたからだ。

上里さんから聞いた木という素材のすばらしさは、奥が深かった。
オーダーしているウオルナットの家具が仕上った時に改めて、「木と暮らし」というテーマで記事を書こうと思っているので、こちらも楽しみにお待ち下さい。

田原あゆみエッセイ

高く積み上げられた楠木(クスノキ)
防虫作用があるというこの木は、とてもいい香りがする。

株)新洋では、楠木やエラブ、ウオルナットを使ったシンクや家具なども、施工主と相談しながらオリジナルのものを作っている。

田原あゆみエッセイ
田原あゆみエッセイ

家具や、家、住まいに関わるものづくりは大きなものも多く、機械という道具が必要になってくる。
私たちは、手作りのものを好みつつ、家造りや、家具をオーダーする側にまわると、「早く仕上げて、早くね」と、せっかちになる。

早さや画一性を求める仕事に応える為に、産業革命以降私たちは様々な工具や、大量生産に応える為の大きな機械を作り出した。

なかなか工場を訪問する機会はないので、この広さや専門的な工具や機械、職人さんたちが行き交う独特な空気にわくわくする。
長い期間使われることで風合いが出て来た、この木工所に置いてあるクラッシックな機械の姿もまたうつくしいと感じる。

この機械たちが、「人が使うもの」であって、「人が機械に使われている」感じがしないから、なのかもしれない。
そして、とても大事に使われているのが伝わってくるのは、磨かれていて光る肌を見ていても分かる。
作業場全体がきちんと片付けられていることからも、ここで働いている職人さんたちの人柄が伝わってくるようだ。

調和した人の営みが感じられる景色は、穏やかだ。

田原あゆみエッセイ

「使用中です」という注意書きがいい。

田原あゆみエッセイ

扇風機の風が、粉塵を外に吐き出し、働く人達の健康を守り、更に涼しさを送る。
これも道具。

大きなのこぎりの刃!

田原あゆみエッセイ

工具を収め、整理して置くことが出来る棚という道具。
道具の為の道具。

田原あゆみエッセイ

電卓という、左脳サポーターを納めてくれているケースという道具。
大量に出る木の粉などの粉塵から、精密機械を守っているのだ。

気配りさんが見つけた道具。

田原あゆみエッセイ

元々は、沖縄紡績という紡績工場だったというこの建物。
建物は体育館3つ分の広さ。
敷地はかなり広い。

現代的な無味無臭な感じのする工場とは違って、レトロで人の生活とともにあるぬくもりが残っているのがいい。

道具を作る人達が、仕事場を快適にする為の道具が、外に整然と並べてあった。

田原あゆみエッセイ

田原あゆみエッセイ

あるものを工夫して作ったちりとり。
日常的に使われている感じも、古くなった姿もこの工場に似合っていて、とてもいい。

田原あゆみエッセイ

そしてこの収納方法。
簡潔で絵になっている。

道具のうつくしさは様々だけれど、使い手から見た質感・見た目・使い勝手・愛着の深さに比例している。
愛着が染み込んでいったとき、経年変化の美しさは増す。

木で作られたもので一番うつくしいな、と思う肌合いは長年使われて来た、手で触られたもの。
またはみんなが踏んで、その摩擦で磨かれた床の風合い。
手の油や、肌や布での自然な摩擦が、木をよりうつくしくしていると感じる。
道具たちの経年変化の風合いを作ってゆくのは、私たち使い手の日々の暮らしなのだ。

無意識に過ごして流れさってゆく時間を、必要最小限に削ってゆきたい。
日々の暮らしの中の、二度とは無いこの瞬間のありがたさや喜びを、感じる時間を増やしてゆきたい。
もしかしたら私たちより長生きな道具たちを、改めて見つめることでそんなことを感じています。

暮らしに寄り添う、道具たちのお話でした。

さて、8月3日から始まる「赤木智子の生活道具店」で、一体どのような道具たちがやってくるのか、とても楽しみだ。
生活を生き生きと楽しんでいる赤木智子さんが、実生活の中で選び使っているという選りすぐりの道具たち。
私はあれと、これが気になっている・・・・・。

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最後に。

用途や使い道を持つものを「道具」というのなら、この「屑」と呼ばれているものに、何か用途は無いだろうかと考えている。

使えない人のことを、揶揄して屑(クズ)と言ったりするが、それはもう悲しい響きではなかろうか。

こんなにうつくしいのだ。
これは、出番を待つ「素材」ということにしたい。

田原あゆみエッセイ

田原あゆみエッセイ

楠木の屑はとてもいい香りがする。
防虫作用があるそうなので、麻袋に入れてクローゼットに置くのもいい。

それぞれの木の持っている性質が、この屑に顕われている。
こんな用途がある、こんな風に使いたい、そんなご意見を募集します。

連絡はununayu@live.jp
Shoka:田原までどうぞ

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写真家 高木由利子

ARTS&SCIENCE

木漆工とけし

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Shoka:の改装工事も始まり、8月31日から新たに常設としてスタートする空間も、着々と形になっています。
ブログは、楽しく更新していますので、ぜひのぞいて見てくださいね。 http://shoka-wind.com
ひとまずは8月3日から始まる企画展「赤木智子の生活道具店」でみなさまと再会出来るのを楽しみにしています。

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赤木智子さんと語る会 「暮らしの中の道具たち」

「赤木智子の生活道具店」に合わせて、座談会を開催します。
輪島の暮らしの中で、道具たちに支えられて工房の女将をこなす、智子さんのお話を聴きたい方へ朗報です。もの選びの視点、それを使う楽しさや工夫、使い続ける事によって美しく変化していく道具のお話や、作り手と使い手のお話など、加賀棒茶をお供にゆったりとした雰囲気の中で聞いてみたいと思います。
智子さんの暮らしをのぞいてみたい!と、私たちも今からわくわくしている座談会のご案内です。

日時:  2012年8月3日(金)
開場:  18:30
座談会: 19:00~20:30
<完全予約制> 定員に達し次第閉め切らせていただきます

*当日Shoka:は18:00にてクローズいたします*

会場:  Shoka:
参加費:加賀棒茶、軽食付き1000円
*当日は智子さんが応援している米麹を使ったおにぎりと、加賀のお菓子などをご用意しています。お腹がグーグーいっていてはお話に集中出来ないかもと、準備しました。一緒にいただきながら、わいわいと座談会をいたしましょう。*

予約方法(必ず8/3座談会の予約と明記ください)
1 全員のお名前
2 人数
3 メールアドレス
4 携帯番号
5 車の台数(駐車場スペースに限りがございますので、乗り合わせのご協力をお願いいたします)

◯Shoka:の展示期間中はお子様連れも大歓迎ですが、お話に集中していただきたいことから大人のみのご参加とさせていただきます。ご理解のほどお願い申し上げます。
◯当日は立ち見の可能性もございます。予めご了承ください。
◯先着順で定員に達ししだい、締め切りとさせていただきます。

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邂逅vol 15 2012/6/29

暮らしの中の旅日記 暮らしのレシピ

写真/文 田原あゆみ

梅雨があけて気持ちのいい青空が広がっています。
ずっと待っていたこの時期。

外の風のように、クリーンな空気を家の中にも呼び込みたくなります。

「麻子さん、前からしたかった木と漆のうつわのお手入れのことを記事にしようか?」

「お、いいですね~」

じゃあ、まずは腹ごしらえ。
みんなで集まった朝は・・・・
パンケーキ!

「あ~、それいい!たおちゃんと一緒に作ろう!」

今週の記事担当の田原はカメラマン&見守る人、食べる人の座を獲得。
涙が出るほどうれしい。
誰かに作ってもらえるって、なんでこんなにうれしいんだろう。

しかも、お料理上手なこの2人のパンケーキをいただける喜びよ!

庭のミントを摘んで来て、ミントとシークワーサー水を作ろう。
パンケーキはたおが。

麻子さんは、トマトの冷たいスープをよそったり、食器を選んだり。

真剣なまなざしがきらきらしている2人。

まぶしい。

その傍らには、後で磨くことになっている木のうつわたちが出番を待って待機中。

外から吹き込んでくる風は、緑の匂いがする。

キッチンにはバターの香ばしい香りと、パンケーキの甘い匂いが漂ってきました。
ああ、なんだろう、この景色と匂い。

今まで生きて来た時間の中にちりばめられている、しあわせのエッセンスがぎゅっと詰まっているみたい。

黄色くて、丸くって、香ばしいしあわせ。

誰かが作ってくれる美味しいものを、待っているしあわせ。

銀彩の上に生き生きとした命の赤。
それを受け止める純白の肌。

道具は、見立てる人の意識によって生命を得る。

私が庭で摘んで来たミントの葉は、麻子さんのセンスですっきりとしたミント水に。
今日の風みたいにさわやかな色。

ずっと待っていた、ハヤトウリの蔓。
念願かなって、今日という日にいただけます。
かわいい蔓は今日の私のエネルギーを充電してくれます。
ありがとう。

その間にたお先生は、着々とうつくしく愛おしいまるいものを焼き上げているのでした。

ごっくん・・・・

駄目ですか?
食べてみちゃ、駄目ですか?

なんて、きれいなんだろう。
なんでこんなにいい香り?

お手。
マテ。

たまらなくなった田原は、これから磨くであろう木のうつわたちを見つめて、気を紛らわす。

この間食べたスープカレーの色、三谷さんのスプーンに移っちゃったなあ。

クンクン。
嗅いでみるとカレーの匂いがする。

・・・・・、まあ、いいか。
それもうちの食卓の歴史。

匂いも色も、そのうち馴染んでくるんだからね。

お箸は、東村の玉木工商店の玉元ご夫妻に注文して作ってもらったもの。
沖縄の素材を使った、やさしい形。
玉元ご夫妻みたいにあたたかな風合い。

あとで磨いてあげるからね。

・・・・・

パンケーキまだかな・・・・。

もうすぐですよ~。

最後の盛りつけが済んだら・・・・

って、あれれ?
このお皿だけパンケーキが4枚。

ああ、そうですか、焼いた人は一枚多く食べる権利があるんですね。

了解です。
了解です。

私のお皿。
うつくしい!

待った甲斐がありました。

待っていました!
いただきま~す!

知っていますか?
食いしん坊さんが、お料理上手になるんですよ。
2人の目線、パンケーキに刺さっています。

食べている時の充実ぶりといったら、もうしあわせのど真ん中。
味わうことに夢中で、会話だって少なかったりするんです。

ボキャブラリーも、
「おいしいねえ」とか、
「う〜〜〜ん」

とか、全くもって左脳は機能していません。

おいしいねえ。
表情もくるくる変わる。

パンケーキは米粉が少し入っているタイプだったので、もちもちしていて3人はそれはそれは嬉しくなりました。
アカシヤのハチミツをかけた味がお気に入りの麻子さん。

私はメイプルシロップのスタンダードな味に溺れました。
ハヤトウリの蔓のおいしいこと!
シャキッとした歯触りと、品のいい軽やかな味わい。
旬のものをいただけるって、いちばんの贅沢かもしれません。

私たち3人の共通点は、ふわっふわのメレンゲがたくさん入ったようなパンケーキよりも、レトロな感じのものが好き、ということ。
計画が出た時から、作る行程、いただく時間の全部がおいしい時間。

ごちそうさまでした。

長ーく待っても、食べるのはあっという間。

料理はお皿の上から消えちゃったけれど、私のお腹と心の幸せは続いている。
もう一度最初から食べたい気持ちも、続いてる。

続いてる、続いてる。
色んなことが続いてる。
今日と明日は別の日だけど、明後日までも続いてる。
始まった日から、最後まで。
色んな時間を乗せて、私たちの暮らしも、歴史も続いている。

今日と同じ一日はもう来ないんだろうな。
けれど、また楽しい日を作ってみよう。

今日のパンケーキみたいに、おいしいレシピで。
きっと全く違う味になるのかもしれないけれど、そう決めただけで何だかとても優しい気持ちになるから。

今回は、いつもと趣向を変えてライブな感じを出してみました。
色んなことが続いている日常。

当たり前のように繰り返しているようで、全く同じ日は二度と無い。
今日という日にありがとう。
あのおいしさは、もう過去のものとなりましたが、この続きはやってきます。

前編後編で記事にすることも考えましたが、それでは私のライブ感が薄らいでしまうので、この続きはShoka:のブログにてどうぞ。

29日の朝にアップします。

あら?
うつわを磨いているはずの麻子さん。

楽しそうに何を見つめているの?
そこにあるのは何?

気になる「木と漆のうつわのお手入れ方法」と、麻子さんの視線の先にあるものは・・・・?

こちらでどうぞ。

「Shoka: 暮らしを楽しむものとこと」
http://shoka-wind.com

*注*
29日(明日)の朝早起きしてまとめるつもりです。
みなさまより遅くなってしまったら、ごめんなさい。

梅雨があけたのせいか、開放感でいっぱいの田原でした。

追伸
Shoka:の改装工事も続いています。
8月31日から新たにスタートする空間も、着々と形になっています。

ひとまずは8月3日から始まる企画展「赤木智子の生活道具店」でみなさまと再会出来るのを楽しみにしています。

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「赤木智子の生活道具店」

2012年 8月3日(金)~12日(日)

「日日是好日」をモットーとしているという、赤木智子さんは、
エッセイストで、塗師 赤木明登さんの伴侶。

家族とお弟子さんたち、次々と訪れる来客を迎える輪島での暮らし。
新潮社から出版されている「赤木智子の生活道具店」を読んでいると、

食べること、着ること、住まうこと、
そのすべてを支えてくれている生活道具たちと、
まるで友人のように共に暮らしている
赤木家の様子が生き生きと伝わってきます。

大好きなものと暮らしていると、一日一日が特別に感じられる。

智子さんが選んだとっておきの生活道具たちを迎えて、活気ある夏到来!

全国で人気の「赤木智子の生活道具店」沖縄で初めての開催です。

入荷するラインナップは以下のものです。
みていてわくわくしませんか?

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及源の南部鉄フライパン
早川ゆみのスカート
白木屋伝兵衛のちりとり・ほうき・たわし
上泉秀人の大きな湯飲み
小野哲平の小皿
花月総本店の原稿用紙とカード
mon SakataのTシャツと小物
大村剛の小さな片口
安藤明子のよだれかけとガーゼもの
晴耕社ガラス工房のコップ
リー・ヨンツェの角皿
野田琺瑯の洗い桶
ギャラリーONOのガベ
井畑勝江の湯呑み
佃眞吾の我谷盆
ヤオイタカスミの子供服・ワンピース
輪島・谷川醸造の「塩麹くん」「米麹みるくちゃん」
秋野ちひろの金属のかけら
広川絵麻の湯呑みと蓋物
岩谷雪子のほうき
村山亜矢子の塗り箸
而今禾のパンツ・スカート・ワンピース
壺田亜矢のカップと片口
新宮州三の刳りもの
丸八製茶場の加賀棒茶
高知谷相の和紙
輪島のほうき
赤木明登のぬりもの
輪島のお菓子

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邂逅vol 14 2012/6/14

暮らしの中の旅日記 Ⅱ Short trips, long vacations !

写真/文 田原あゆみ

サウスオーストラリアで撮ったワイルドフラワーたち。
燃えるような大地から、空に向かって顔を上げてしっかりと咲いている。

Shoka:はいま、改装のためお休みをしています。
お休みといっても、改装の準備や、終わった企画展の事務処理などをしているので、私も関根もあれやこれやとすることはたくさんあります。
今日からちょっと一息。
私は東京へ出張中。
ただいま羽田のラウンジで、この原稿の仕上げに取り組んでいます。

ほんとうは、2週間くらいどこかに行きたかったのですが、改装の為行くことかなわず。
ならば、椅子に座って時間を遡ったり、いままでに行ったところの写真を見ながら、いまの感性で当時の旅をやり直してみたりと、日常の暮らしの中に旅の時間を作ってみています。
知っていますか?こういう人のことを“アームチェアートラベラーズ”というんですよ。

Shoka:がオープンしたのは2011年の4月1日。
あれから1年2ヶ月が過ぎました。

いまは自分の暮らしと仕事が、とてもいいバランス。
自分らしいやり方で生活している感覚があるので、仕事も遊びも、プライベートも統一感があって、ストレスもほとんどありません。
なので、忘れていましたが、ここに至る前は私はさすらいの人だったのです。

今思えば、何だかしっくり来ない日常から抜け出したかったのでしょう、時間と経済的な余裕が少しでもできるとよく旅に出ていました。
帰りの飛行機の中では、日常に戻るのがいやでがっくりと肩を落とし、時には涙さえ流す。
そんな自分に嫌気がさして、もう好きなことだけをやろう!と、人生改造計画を実行するきっかけにはなったかもしれない。
旅は、日常と本当の自分とのギャップをあらわにしてくれる。

うんうん、きっとそうだ。

そんな頃の旅の写真たち。
アジアのいろいろな国、オーストラリアの自然に魅せられて何度かしたキャンピングバンでの旅。

粉塵が上がる上海の街中にて。
人の生活は、田舎も都市も、衣食住の基本は変わらない。
食べて着替えて洗濯して干す。

奥のマンションにはきっと乾燥機があるのだろうけれど、色んな生活が混在していることが何だかパワフルなアジア。


上海からバスに乗って行った田舎の城下町。
ミッションインポッシブルの舞台となった町で、ここだけが時間のポケットに入っているみたいな異空間。
私たち観光客だけが、この風景に溶け込めずに浮いているような感じ。
着ている服の時代感が全く違うのだ。

おじいさんが揚げていた餅がおいしかったこと!
食はとてもシンプル。
おいしければ感覚の国境なんてすぐに越えられる。


人の生活の力強さと退廃と、混沌と活力と、新旧の生活、相反するものが同時進行していて圧倒される。
右上の写真は、水で濡らした筆でさらさらと石畳へ鏡文字を書いた老人の字。
裏側からものを見ているような不思議な気分になった。
それはいまでも変わらない。
その写真を眺めていると、やっぱり自分が水底から見上げているような感覚になる。

お茶がまた、うつくしくおいしかった。
世界中の暮らしの中にお茶を飲むという習慣があることを思うと、人間はまだまだ自然と調和して暮らす方向へ進化出来るんじゃないかと思う。

お茶の時間は豊かだ。
時間はゆったりと流れ、感覚の世界へと私たちを誘ってくれる。
それまで耳に入ってこなかった、鳥達のさえずりや、せせらぎの音、子どもたちの笑い声や、ラジオから流れてくるかすかな音楽が心地よく流れ込んでくる。

観光客の私たちまで、その時間は土地に馴染んでいるような錯覚を起こす。

オーストラリアへ



オーストラリアではとにかくとにかく、ひた走って、広大な自然を追い求めた。
夕焼け・ワイルドフラワー・朝焼け・広い広いビーチ・赤い色の大地や岩・野生の動物たち。
子どもの頃のようなシンプルな感覚に戻りたくって、生きている感覚を味わいたくて、とにかくキャンピングカーを走らせた。
この先には一体どんな景色が広がっているのだろう?何があるのだろう?
その好奇心が私を先へと駆り立てる。


ハイウエイを飛ばしていると、突然視界がピンク一色に。
塩分を多く含んだ湖がバクテリアの作り出す成分で、ピンク色に染まる。

砂漠の赤い大地にやはりピンク色の花。
圧倒的な自然の姿に、思考も感覚も停止。
ただただ、目に焼き付ける様に見入ってしまう。



やはり塩分が強い広大な湖。
様々な塩の結晶が美しい景色をつくりだしている。
かけらを口に入れると、しょっぱくって、でもどこかに甘さもあるような複雑な味がする。
おいしい。
天然の岩塩だ。

あるがままの自然の姿のうつくしさといったら、とてもカメラのレンズには収まらない。
その場に何度釘付けになったことか。

けれど、次の出会いを求めて、そこを去る時に、「どうして私は、いまここにあるものに満足せずに次へ次へと急ぐのだろう」と、何度も自問する。
何か大切なものを忘れて来たような、何かが不在な感覚と一緒に次へ次へ。


砂漠での朝焼けと、130kmに渡るビーチでの朝焼け。

この海の向こうには南極大陸しかないという。
ただただうつくしく、この瞬間を絶対に忘れないぞ、と心の中で決めた。


一日の終わり。
全く同じ日は二度と来ない。
「こんな風に、夕日を眺められる毎日を送ろう」そんなことを泣きながら思った。

最後に長い旅をしたのは、2010年の秋。
そのあとは、短い国内の出張と遊びをかねたショートトリップ。

私は旅が大好きだ。

けれど、きっとこれからはこの写真の頃のような、旅はしないだろう。
あの頃私は、「自分の本当にしたいこと」それを探しに旅に出ていた。

遠くへいけば行くほど、期間が長ければ長いほど本当の自分が見つかるような気がしていた。
しかし、そのもくろみはなかなか成就されず、私の場合旅に出ると、自分を捜す旅はさすらいの旅となった。
ただ、自分の好きなことだけをやるためにだけある旅の毎日の中で、自分が何をすることが楽しいのか、何が食べたくって、何をすることで感動し、何が必要でないのか、そんなことが見つけやすかったような気がする。

感性の豊かな人や、元々自由な心が溢れている人は日常の生活の中で、こつこつと自分を見つけているのだろう。
私は遅咲きだったのだ。

けど、「自分探し」って面映いけれど、これって人生の一番のテーマだと私は思っているので、やっぱり迷っていることも含めて人っていいな、と感じる。
人生そのものが旅、なんだとも。

さて、いまはというと。

自分の望んでいる日常を選び続けた結果、日常が特別になった。
なんていったらいいのだろう。

好きなうつわでごはんをいただく・家族で過ごす休日・好きなことを中心に始めた仕事・友人との夕飯会・たまたま見上げた空の虹・お花のような笑顔。
そして、こうやって書いたり表現すること。

日常が好きなことでいっぱいになって来たら、外に出なくて済む様になった。
旅行も仕事の中。
仕事も旅行の中。
仕事は遊び。
決めた大人は仕事で遊ぶ。

そんな感じなのか。

けれども、やはり旅はいい。
自分と出会った後の旅は、テーマがはっきりしているだろう。
例えば、
なんにもしない旅、一つところでゆったり。
とか、ただひたすら町を歩く旅。
あの人に会いに行く。
あの人の料理をいただきに。

そんな旅もいいだろう。
何をやっても放浪感は無いだろう。

外に私を探す旅は終わったようだ。
私もいい歳になったんだ。

いまは自分の中で自分発見の旅。
旅は色々、なのである。

最後に、この1年と2ヶ月の間。
いろんな方と出会いました。
沖縄在住の方、他県から旅行でいらした方、沖縄へ移住して来た方、染織家、木工作家、デザイナー、ガラス作家、漆職人、cafe経営者、おつとめの方、主婦の方、お店を経営している方、学生さん、再会した人、新たに生まれて来た人、肩書きでいうと平ペったいのですが、みんなみんな個性的。




笑顔の素敵な人達でいっぱい。
みんなそれぞれの旅の途中で、一緒にお茶を飲むかの様に知り合えたらいい。

みんなも私も、いま暮らしているところでしあわせになったら、それはとってもエコなこと。
そんなささやかな喜びを知っている人が増えたら、子どもたちにいい環境を残せるのかもしれない。

************************************************************
Shoka:だより

Shoka:は常設展準備のため、8月までは裏方仕事。
NO BORDER,GOOD SENSE の企画展の時には県外からもたくさんのお問い合わせをいただきましたこと感謝しております。
その時には時間が無くて対応出来なかったお問い合わせに、やっと応えられる様になりました。
ブログにて、お問い合わせの多かった商品について記事をアップしています。
数は少ないのですが、通販にも対応出来るものもありますので、どうぞブログをご覧くださいませ。
http://shoka-wind.com

***************次回の企画展*************************

8月3日(金)~12日(日)
「赤木智子の生活道具店」
エッセイストで塗師 赤木明登さんのパートナーの赤木智子さんが、輪島で暮らす生活の中で出会った使い勝手のよい生活の道具たちを集めた、全国で人気の生活道具店が沖縄で初めて開催されます。
衣食住、どの分野も、こんな風だと使いやすいなあ、道具の使い手ももっと楽しく生活を支えられるんじゃない?、この人の作るこの道具は最高にいい、そんな智子さんの視線が感じられるセレクトです。
私たちもわくわく、待ち遠しいです。

夏の再会までは、こちらカレンド沖縄の連載と、Shoka:のブログをお楽しみ下さいませ。

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邂逅vol 13 2012/6/1

暮らしの中の旅日記 Ⅰ

写真/文 田原あゆみ

松本クラフトフェア

工芸の五月

企画展が終了した後、3日間で一気に返品と片付けを勢いで終わらせて、「クラフトフェアまつもと」へ行ってきました。

信州は沖縄とは全く違う自然の景色が広がっている。
尾根には雪が残ったままの遠くにそびえ立つ山脈、近くの山、山山山。
ぐるりと囲まれたところに、こじんまりとした街、松本がある。

松本は散策するのにちょうどいいサイズの街だ。
市内には水路があって、清涼な水が流れ続けている。
どこで水辺を覗いても、五月の光に水面は輝き、透き通った水が柔らかそうに見えるのは、水の粒子が細やかだからか。
手を伸ばして触ってみたくなるような水、その水と松本の空気はとても似ている。

そしてこの小さな街に、それはもうたくさんの人人人。
クラフトフェアを目指して、作り手も、買い手も、使い手も、料理人も食いしん坊さんたちも、いろいろいろいろ。

意外にも強い陽射しの下を、眩しそうに目を細めた人が、列をなしてあがたの森へと大行進。
あがたの森の前、赤信号で並ぶ人、作り手の店先に並ぶ人、あがたの森は活気で溢れていた。

溢れてはいるが、思い出すととてもさわやかで、静かなのが不思議だ。
五月晴れの高い空と、信州の山々が松本の街全体を包んで、喧噪を吸い取ってくれたのか。
それとも私の頭の中自体が、あの空気で洗われたのかもしれない。

空気は淡く、そよぐ風は強い陽射しを和らげて、「工芸の五月」は真っ盛りだったのです。

松本クラフトフェア
何かのイベントを目指して旅をしたのは、もしかしたら今回が初めてかもしれない。
一度タイの象祭りをみたい!とスリン目指して出かけたことがあるが、混雑への懸念とタイトなスケジュールから行くのをあきらめてしまった。
大好きな象がたくさんいるのに、である。
しかもチケットまでふいにして、私は静かな田舎への旅を選んだのだった。

私の今までの旅は、“混雑を避ける”という私の常識をもとに成り立っていたのだった。
混雑の中で出会うたくさんの象よりは、田舎にひっそりといる一頭の象でいいや、と私の観念は私の行動全般を誘導していたのだ。
今回の旅で私は、その固定された私の観念からも自由になった。
パターンが変わった、というささやかな喜び。

以前「空間の移動、すなわち“旅”自体が人の脳に一番の刺激を与える」ということを聞いたことがある。
脳は安定を好むので、長距離の移動によって出来た環境の変化を検出すると、今までのデーターを一新し、環境にあった身体へと誘う発令を出すのに集中する。
そこに一種の余白が出来るのかもしれない。

そうして私たちは、旅に出てリセットをしたり、新たな展望を見たいと思ったり、実際にそれを得たりするのだ。
もちろん期待した結果は出ることも出ないこともあるが、殆どの人が旅に憧れを持っているのはその所以だろう。
ムーミンに自己投影をして、スナフキンに憧れるのはその原風景なのではないか。

今回私は、「来ませんか?」とある人に言われたことがきっかけで、「そういえばいつか行ってみたいと思っていたな」と思い、
「何をしにいこうかな?」と考えて、「行ってみたかったクラフトフェアに行ってみて、行きたかった白骨温泉でリセットしよう」という理由をこしらえた。

ただ行ってみたかったという理由なので、いいもの見つけるぞ~とか、いい作家さんと出会うぞ~という気張りは全く無く、仕事始まって以来の過密スケジュールの嵐をひとまずかき分けて、着いた松本。

このスカッと出来た空白に、私は気持ちよく歩を進めたのでした。

松本クラフトフェア

5月の信州は緑が萌えている。
あがたの森の木は、とてもユニークな枝振りでしばらく見入ってしまう。
こんなところでどうして曲がるんだろうか・・・・と。
青々と伸びやかに枝葉を伸ばし、訪れる人々に陰を提供してくれている。

松本クラフトフェア

旧制松本高等学校の遺構をそのまま図書館に。
江戸時代、各地から集められた匠たちがたくさん居住する城下町として栄えた松本。
昭和初期には、柳宗悦の唱えた「民芸運動」に共感した人たちによって、木工、染織を始め、活発な工芸品製作がこの地でおこなわれ、こうした工芸と地域との長い関わりが礎となって「クラフトフェアまつもと」が生まれたのだそうだ。

この図書館があることがとてもうらやましい。
通いたくなるたたずまい。

松本クラフトフェア

旅する本屋
「暮らしの手帖」の編集長、松浦弥太郎さんが代表のCOW BOOKS
旅する本屋があがたの森の入り口に出店していました。

セレクトされた本のタイトルや装丁を眺めていると、小さな旅がいっぱい詰まっているようだ。

松本クラフトフェア

人はなぜものを作るのだろうか?
必要な生活道具だけではなく、暮らしの中での心のよりどころのようなものも、私たちは求めているのだ。

日常の暮らしの中で起こる小さな旅、そこへいざなう象徴を。

木彫りの羊を見て、まるで生きているようだと感じた。

面白いことに、時に実写生のあまりに強いものには入り込む余地がなく、作り手の技術だけが誇らしげに見えてしまうことがある。
が、抽象性というのは、見る人が入り込む余地が余すところにあり、間口が広く、答えも出口も無いもので、深遠さが感じられる。

羊さんもうさぎさんたちも、木の彫刻なのだと分かってはいても、生きているぬくもりが伝わってくる。

この小さな木彫りの動物たちの後ろに見える景色は、きっと人によっていろいろで、この小さなサイズを超えて広がるだろう。

松本クラフトフェア

光に魅せられた人、水を捉えたいと思う人がガラスを形成するのだろうか?

松本クラフトフェア

やさしい光が、形になった。

松本クラフトフェア

冷たいはずの金属も、スプーンやフォークという形に収まるとぬくもりを感じる。

この人が作った形のせいなのか。

松本クラフトフェア

家という小宇宙。
空想の中から溢れた生活。

この人は一体どんな家に住んでいるのだろう?
どんな暮らしをしているのだろうか。

松本クラフトフェア

どんな人の生活の中にこのうつわたちは旅立ってゆくのだろうか?
うつわたちに、どんな時間が染み込んでゆくのだろうか。

光の下でまっさらなうつわたちが、静かに待っている。
最初は名前が無いようなぺたんとした肌も、使い込まれてゆくうちにその暮らしの表情が刻まれてゆく。
大切にされたものには、ある種の深い輝きが宿る。

人の数だけ暮らしがある。
毎日という旅の中で、様々な道具たちが一緒に暮らしている。

よく西洋を旅する友人に、西洋文化圏の暮らしと、日本人の暮らしと、どちらにゆたかさを感じるか?
という質問をした。

「向こうの人は余暇や、旅や、家族で過ごす時間を充分にとるようにしている。それはとてもゆたかだなあ、と思う。けれど、日本人はせわしいといわれる日常の中で、暮らしの道具を大切にしたり、ちょっとした季節の変化に心を留めたりする、それもとてもゆたかだなあ、と感じる。それぞれのゆたかさがあるんだね」

と、友人が答えた言葉が、じわーっと心を満たした。
そんなことを思いながら、クラフトフェアをぶらぶらと歩いた。

松本クラフトフェア

原毛のうつくしさ。
そのうつくしさを知れば知るほど、感じれば感じるほど、作り手は謙虚になるのかもしれない。

松本クラフトフェア

27日の夕方に松本を出て、白骨温泉へ出発。
途中で出会った、神々しい木。

写真に納まりきれないほどの輝き。
こんな時に、自分の技術のつたなさに舌打ち。
自然の奥深さには畏怖の念を。

白骨温泉はよかった。
あまりによかったので、写真を撮るのを忘れてしまいました。
白濁したぬるめの温泉は、炭酸を含んでいるので肌に泡が着いてきます。
ゆるゆると、身体を湯船に預けて、なんにも考えないでただただ感覚的に過ごした2日間。

インターネットもつながらず、携帯も圏外になりがちな山の中。
海に囲まれた沖縄から、全く違う山の国へ。

きっと私の脳みそは、かなりの状況の変化に適応すべく大忙しだったに違いない。
なので、帰って来た今も、私は未だに余白の中にいるようだ。

松本クラフトフェア

大木に咲いた白藤のようなうつくしい花が、至る所に満開。
空に伸び上がった枝からこぼれた、可憐な花房。

アカシアの花を初めて見た。
あたりには気高くてやさしい香りが漂っていた。

松本クラフトフェア

アカシアのハチミツのことが急に宝物の様に思えて来た。
だってこんなに素敵な木の花の蜜なんですから。

松本クラフトフェア

ニリンソウの白い花。
上高地にて。

写真は撮れなかったけれど、山道では野生のニホンザルに出会った。
つかの間の出会い。
わっさわっさと山肌を駆け上がっていった彼と一瞬目が合って、その力強さが流れ込んで来た。

そして最終日には、山道の脇の出っ張りにニホンカモシカがこちらを見ながら、草をもぐもぐと食べていた。
圧倒的な存在感。
そしてなんて可憐な目をしているのだろう。
自分が運転している車が、何だかとても暴力的にも感じられた。
私は、一瞬であの可憐な命を奪うことも出来るんだ、と。
けれど彼らから感じる生命力は逞しく、強烈で、それは私に力さえ与えてくれる。

私たちの生活のそばで、ニホンカモシカが生きている。
そんな世界がまだ私たちの世界には残っているのだ。

私たちの生活は、彼らの生活の場にものすごい変化を強いているのだろう。
今度は私たちが変わる時なのだ。

使い捨てから再生のサイクルへ、大量生産の10点から、大事に使う一点へ。
スタイルから、心がこもった内容へ。

私たち人は、自然をいじることが出来る。
壊すことも出来るし、再生し、共生することも出来るだろう。

ものを作る時、やはり私たちは自然に触わる。
その時にどんなものを作るのか、何を込めるのか、逆に何を込めずに形作るのか。

そうして作り手の生活という旅の中から生まれた暮らしの道具たち。

その道具たちもまた旅をして、誰かのもとへと届くだろう。

使い手はまた、暮らしという船の中で道具と一緒に旅をする。
私たち人は、移動してもしなくても、思いを馳せて旅をする。

道具の来た道、作り手の暮らし、今、昨日、明日、過去や未来へと。

松本クラフトフェア

松本の路地裏の花。
小さな古いお家の女主人が、きっと手塩にかけて育てた薔薇の花。
私たちが写真を撮っているのを横目に見ながら、にやりと笑って奥へ引っ込んでしまった。

さて今回は、私の実際の移動の旅と、頭の中の旅をとりとめもなく記事にしたためました。

Shoka:は新たな展開へ向けてリセット期間です。
今回の旅の空白が、じわじわと染みて来た頃リニュアルした空間で再会しましょう。
再会するまでは、私の旅の記録と記憶を隔週でお届けします。

短いのも、長いのも。
毎日の生活の中で素敵な旅を。

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邂逅vol Ⅻ 2012/5/17

ハーモニーが聴こえる

文・写真   田原あゆみ三谷龍二さん・安藤雅信さん・皆川明さんのトークイベント

いつもとても不思議な感覚になるのだけれど、ずっと心待ちにしていた事も必ずその日がやって来て、そして必ず過ぎていってしまう。
当たり前のことだけれど、なぜかいつも新鮮に不思議に感じる。
昨日はあんなに待ち遠しかったのに、今朝はもう思い出になってしまっている。

あの大切な時間は、目の前からは消えてしまったけれど、「明日」という未来に多くの種をまいてくれた。
何かが生まれる原動力があの晩生まれて、わくわくの波紋と一緒にこの南の島にどんどん広がっている。

それは、場を共有した人達だけで終わる事のない何か。
あの場で生まれた一つのメロディが、胸に満ちて溢れ出て、それぞれの歌や、口笛となって方々に散らばってゆく。
そんな景色が見えてくる。

そうして、その友人や仲間たちにもそのメロディは広がってゆく。
静かにゆっくりと。

今日の雨音のむこうに、様々な個性を持った音色で奏でられるメロディが小さく波を打って聴こえてくるようだ。

それはもしかしたら「田原さん、3人のコラボレーションを沖縄でしませんか?」と、問いかけて来た皆川さんが吹き始めた口笛から始まったのかもしれない。

いつか、あの日に生まれたメロディが一つの軸となって、様々な個性と混じり合い、常にうつくしいハーモニーが流れ続ける土地になる。
そんな事を夢見てみる。

5月11日(金)にスタートした NO BORDER, GOOD SENSE に合わせて、三谷龍二さん・安藤雅信さん・皆川明さんのトークイベントをRoguiiにて開催しました。

人生のちょうど真ん中あたりの年齢にいる3人の作り手のバックグランドや、普段の仕事への思い、そして作り手にとどまらず、使い手としての視点も織り交ぜながら語られたストーリーのもたらした感動は、3人の中心で渦を巻き、会場全体をやさしく包んでいきました。

三谷龍二さん・安藤雅信さん・皆川明さんのトークイベント

南の島沖縄を、許される時間のぎりぎりまで楽しんだ3人は、ほんのり日に焼けています。
そして、ついビーチサンダルのまま会場に来てしまったという皆川さんの挨拶で、リラックスした空気はあっという間に会場に伝わって、和やかな楽しい空気が満ちたのです。

「NO BORDER, GOOD SENSE というタイトルにした理由」

「僕たちセンスいいでしょ、と、言いたかった訳ではありませんよ」
恥ずかしそうに笑いながら、皆川さんは話してくれました。

「タイトルを付ける時にNO BORDERという言葉がまず決まった時には既に、木と土と布という全く違うジャンルで仕事をしている3人が、境界線を越えたところでものづくりをしたらどうなるんだろう、というわくわくは感じていました。
そのあとに続く言葉を考えているうちに浮かんだのが、GOOD SENSEという言葉です。
生活を基盤にするという観点から、僕たち3人はものづくりをしています。
なので、選んでくれている人というのは、作り手の生活の感覚にある意味共感しているのだと思うのです。

そこで一度引っかかるけれども、ものを作るという側の人間が、GOOD SENSEだと言える気概がないことはおかしいことなので、ここは一つ言い切ってしまおうと思った訳です。
選ぶ人と作り手との間にある、共感、それをGOOD SENSEという言葉で表現したかったのです」

笑顔でゆっくりと話す皆川さんのリズムと、タイトルに込めた思いを聴いて、聞き手と語り手のあいだの最後の壁も溶け、場は一気に一つになったのでした。

三谷龍二さんの言葉

「NO BORDER という言葉を考えた時に、ジャンルという観点でものごとを見ると、確かに様々な境界線が見えてくるのかもしれません。
けれども、僕の場合「生活」という視点で見てみると、そこには境界線というのはないのかな、と思います。
絵を描く事も、料理をする事も、仕事をする事も、すべては僕という人間の感覚やリズムをもとにしています。

生活の中の実感を軸にすると、様々な縛りは解けてゆくのではないでしょうか」

三谷龍二さん・安藤雅信さん・皆川明さんのトークイベント

三谷さんの視点は、生活の中の実感が軸になっている。
食べることが好きで、その時に使ううつわがどんなものであったらもっとその時間を楽しむ事が出来るのだろう、と、うつわの形や、持ち手や、納まり具合などのディティールに執着する。

と、同時に、そんな事よりもおいしく楽しく、それが一番だ、という開放感も持ち合わせている。
三谷さんは、「実感」という感覚を意識する事でものづくり全体を、生活という視点から俯瞰することが出来るのだ。

三谷龍二さん・安藤雅信さん・皆川明さんのトークイベント
三谷龍二さん・安藤雅信さん・皆川明さんのトークイベント

山桜の四方皿(上)小さな豆皿とスプーン

荏胡麻油や紅花油で時々お手入れをしながら使うと、何ともいえない艶と深みが出てくる。
手に取って嗅いでみると、ほんのりと桜の香りがする。
手でうつわの表面をなでながら、何を盛ろうかと思い描くのも至福の時間。

全体をとらわれないところから見る事が出来るから、三谷さんの作るうつわは料理を盛るだけではなく、集まる人のしあわせな時間も一緒に盛りつけてくれるのだろう。

もちろん、うつわやカトラリーのサイズの大小は関係無く、穏やかなぬくもりで包み込んでくれる。

三谷龍二さん・安藤雅信さん・皆川明さんのトークイベント

三谷さんが自宅で使っている木のうつわを料理会用にお借りして、小島さんの料理を盛りつけています。
何十年も使い続けて来た木の肌は、とてもいい感じになっています。
きっと楽しい時間も一緒に記憶しているからなのでしょうか。
時に新しいものよりも、使っているものの方に愛着がわくのも、この深いたたずまいを目にするとうなづけます。

「木の良さは触れて使ってみないと伝わらないけれど、当時木工といえば家具などの大きなものしかなかった。
僕がうつわを作り始めたのは、テーブルは買えないけれど、スプーンなら気軽に買える、そんな事がベースにあった。
うつわやカトラリーなら毎日触れることが出来るし、木の良さが伝わるだろうと」

料理をする事や、食べる事の他にも、音楽、旅、散歩、人と会う事、などなど生活にまつわる様々なことを三谷さんは心から楽しんでいるように感じる。
興味があることに対してフットワークが軽いのだそう。
そして、三谷さんはいい聞き手でもあり、観察者でもある事を今回の交流の中で知った。
好奇心と実感に重きを置いている三谷さんは、生活の探究者なのだ。

安藤雅信さんの言葉

「今回の3人での企画展のオファーを聞いた時に、ジャンルが違う仕事をしている3人ではあるけれど、以前から互いの生活感覚には似たものを感じていた。なのでジャンルの境界線に対する違和感は全く感じなかった」

と、安藤さんはにっこりと笑った。
3人の間に流れている空気は心地よい。
信頼感と、尊敬がベースになっていて、皆お互いの事が大好きだということが優しいまなざしから溢れている。
そんなやさしい関係に、聴き手の私たちは照らされている。

若い時に憧れていた西洋美術。
「それを学ぶために入った美大は西洋アカデミズムを教えるところで、日本人にとって美術とは何かを学ぶところではなかった」

三谷龍二さん・安藤雅信さん・皆川明さんのトークイベント

体制を反体制側から見て、その壁を壊すところからアプローチを始めた様に見える安藤さんの仕事。
けれど、そのアンチテーゼは、安藤さんが日本人としての精神性という大地にこそ自分は根を張ることが出来るのだ、という事に気づいたからこそ発する事が出来たのだろう。

それは、若い頃に自分の表現の軸を求めて旅をし、仏教に出会い、外に感じていた様々なカオスは自分が生み出していたものであるという事に気づき、「空」という感覚を体験したことが大きいのだろう。
外から見た日本文化、そしてその中で日本人である自分自身の表現がどうあるべきか、安藤さんは感覚で捉えたそのことを探究して形にし、その美学を伝える事に力を注いで来た。

明治以降失われてゆく一方であった、日本という土地の育んで来た美意識。
そこに光を当てて、現代の生活様式にあった変化をふまえて日常生活の中に再構築する事。

安藤さんの仕事には細かいところにまで厳しい一貫性を求める知的な鋭さと、冒険が好きで、食べる事も、音楽も好き、五感で感じる事がたまらなく好きだという無邪気な感覚が同時に存在している様に見える。

その相反するような二つの面が自然に溶け合うことが出来るのは、やはり自分の感覚を信頼し軸を見つけた人のしなやかさなのだろう。

西洋美術に多大な影響を受けながら、生活様式というものは環境から生まれる事、そしてその環境で人は精神性を育んでいる事に気づいた安藤さんは、様々な経緯からそれまで遠ざけていた陶芸の世界へ表現の場を決めた。
当時の日本人の生活様式の変化を敏感に感じ取り、食習慣が変わる事はうつわの使い方が変わる事だと着目した。

鉢や椀をたくさん使って食事をしていたそれまでのスタイルは、西洋の食文化が日常生活に溶け込んで来た事で崩れ始め、これからは大きめの皿一枚が様々な役目を果たす事になるだろうと踏んだのだ。
その時には、うつわの世界に希望を感じたのだという。
うつくしいいい皿を、普遍的な形で作りたい、そう安藤さんは思った。

「いい皿を一枚持っていたら、それを使っていろいろな料理を楽しむことが出来る。自分がそれまで見て来た、うつくしいと感じる形を陶器で作ってゆこうと決めた」

三谷龍二さん・安藤雅信さん・皆川明さんのトークイベント三谷龍二さん・安藤雅信さん・皆川明さんのトークイベント

彫刻家でもある安藤さんのうつわは、それだけでも独特の存在感がある。うつわがまるで、土を彫った彫刻に見えるのは私だけではないだろう。

けれど、料理を盛った時に素材が生き生きと映え、食材とうつわが一つの絵の様に完成するのだ。

「そして、作り手としてだけではなく、使い手の文化を大事にして来た日本人の感性を伝えたいと、日本人の生活様式の中に在る美学を肌で感じる事の出来る場を作ろうと思い、ギャルリ百草という空間を作った。
美術館のミニチュアであるギャラリーではなく、自分にとって理想のギャラリーを作りたいと思ったから」

オランダ皿、イタリア皿などの洋皿を写し、自分の形に落とし込んで作る事もしている安藤さん。
西洋のスタイルを受け入れながら、しかしそこに静かな調和を感じるのは、彼の仕事の根源にある普遍的な美への憧憬がぶれていないからなのだろう。

日常の中の美を愛でる心の中にこそ、日本人としての精神性があると安藤さんは言う。
それを現代の生活の中に復興させたいという思いが原動力になっているからこそ、作陶・作り手を育む場作り・ギャルリ百草での企画展の運営などの精力的な活動が出来るのだろう。

今ここで耳を澄まして、百草の空間や、安藤さんの作品を思うとき、聴こえてくるものがある。
それは、経年変化とともに生まれる美を愛でる、静かな賛美歌のようなもの。

皆川明さんの言葉

皆川さんが話しだすと、時間と空間の質が変わる。
ゆっくり訥々と語られる言の葉に、私たちはなぜか釘付けになる。

安藤さんは、そのことを、
「問いかけた質問に、すべて即答で、しかも全く思いもしなかった意外な答えが返ってくる。それがぽーんと腑に落ちる内容。それがおもしろくってたまらない」
と、目をきらきらさせて言う。

三谷龍二さん・安藤雅信さん・皆川明さんのトークイベント

20代の頃からその仕事ぶりに憧れ、尊敬して来た三谷さんと安藤さんと一緒に仕事ができる事が、ただただうれしいという皆川さん。

皆川さんの俯瞰する範囲は、空間・時間ともにとても広い。
そして自身のその感覚を信頼しているから、ひらめきがまずあって、それにあと付けをする様に仕事を進めてゆく事も多いのだという。

今回の企画展も、そうだった。
私にオファーしてくれた時のこと。
そう、2011年の1月の終わり。
皆川さんと対面したのはまだ2度めだった。

「田原さん、沖縄で、三谷さんと、安藤さんと僕のコラボレーション展をしませんか?」
と、言ったその時点では、まだ三谷さんも安藤さんも、そんな企画がある事を全く知らなかったという。

「沖縄だったら、みんな行きたいんじゃないかと思って、そしたら実現するかな、と」
ふふふと笑い、つられて会場のみんなも笑ってしまう。

皆川さんにはもともと、この沖縄で3人が集まっているこの景色が見えて、そしてこの会場の空気や一体感までも最初から感じていたのではないだろうか。
そんな不思議な能力がありそうな人なのである。

直感力と、俯瞰力、そして現実との間にある隙間を埋める実行能力を併せ持つ皆川さんは、まるで時代の笛吹きのようだ。

こちらへ、こちらへと笛を吹いてやって来て、その音色に共感する私たちを誘導する。
誘導している先の世界が彼には見えていて、私たちはその世界の光とぬくもりを感じて心が躍る、身体が動く。
その列に参加する人数がどんどん増えてゆくのを感じる。

三谷龍二さん・安藤雅信さん・皆川明さんのトークイベント

丁寧に時間をかけて描いてくれるサイン。
今目の前にあることに気持ちを注ぎ、ただ流れていってしまうかもしれない時間を止めて、本質的で意味のある出会いへと時間を変容させる。

「どうして、そんなに時間をかけて丁寧にサインをするのですか?」

そう尋ねられて、皆川さんは答えた。

「さらさらと描いたら20秒で描く事も出来るけれど、ただ流れていってしまう20秒よりも、意味のある2分の方を大事にしたいと思うんです」

三谷龍二さん・安藤雅信さん・皆川明さんのトークイベント

その誠実さがしあわせな空間を生み出す。

三谷龍二さん・安藤雅信さん・皆川明さんのトークイベント

皆川さんがサインをしている間、周りには何とも言えないやさしい空気が充満していた。

「何かを作る時、ディティールにこだわる執着と、そんなものはどうでもいいんだと開放的になる無頓着。そのどちらも僕は大切だと思うんです。自分の感覚に一貫した軸を持っていたら、その軸を中心にして右の執着と、左の無頓着に大きく振れていいんです。
軸がないと、単に二面性があるというところで終わるのですが、軸を持つ事で中心が出来る。
そうするとある一貫性を持っているので、右と左に触れる大きさが、そのままものづくりの力になるのだと思います。

そしてそれが『生きる力』にもつながると思うんです」

皆川さんがプロローグの笛を吹き始めたことで始まった今回の企画展は、その言葉で締められた。
そして、この言葉こそ、三谷さんの話した、ものを作る「実感」という軸の事であり、安藤さんが語った「普遍的な美」という話しの核にあるものなのだと私は思います。
3人が奏でた協奏曲がすばらしいハーモニーとなったような瞬間でした。

そのことを言葉で説明をしようとすると、それはそれは深い考察と、史実や、この3方の研究など、言葉がたくさんいるのかもしれません。
けれど、「生きる力」という言葉の中に、すべては集約されているように全身で感じる事が出来たのです。

生きる実感を軸にする事、それはとてもしあわせなこと。
その感覚をGOOD SENSEだと自分で感じることが出来る。
そんな人が社会の中で、自分の音楽を奏でたら、自分の歌を口ずさみ始めたら。

きっと年を重ねる事も、生きる事自体も楽しくなる。
そんな仲間が増えてゆく、それを思うと、南の小さな島から始まった音楽が、一人一人の中でメロディとなって広がってゆき、いつしかうつくしいハーモニーとなって私たちの暮らしを包んでいる。

そんな事を思い描きながら、そんな世界を感じながらこの記事をまとめています。

Shoka:の空間では3氏の作品と、コラボレーションしたしあわせな道具たちが、私たちを迎えてくれます。

三谷龍二さん・安藤雅信さん・皆川明さんのトークイベント

三谷さんの山桜のリム皿を、皆川さんデザインの海のチェックが包んでくれる、お皿のセット。
携帯して外へ持ってゆけます。
家族や友人達と、ピクニックへ。

三谷龍二さん・安藤雅信さん・皆川明さんのトークイベント

三谷さんの手にすっぽりと収まるやさしいカップ。
ミナ ペルホネンのケースがついています。
コーヒーもお茶も、ワインだっていいのです。

三谷龍二さん・安藤雅信さん・皆川明さんのトークイベント

安藤さんの器に皆川さんが絵付けをした大皿。
とてもバランスの良い、力強い作品です。

そして、ミナ ペルホネンの服たちは、着る人を無条件でしあわせにしてくれる楽しい服。

三谷龍二さん・安藤雅信さん・皆川明さんのトークイベント

三谷龍二さん・安藤雅信さん・皆川明さんのトークイベント

初めてミナの服を着たかわいい2人。
どんどん笑顔が広がって。

「いい仕事をして、買える様になりたいです」
仕事のことや、自分が考えているこれからの事、いろいろと話しながらどんどん顔がきりりとしてゆくのが、見ていて眩しかったです。

女性にとって、自分に合った服を着る事は大切な自己表現。
ミナの服は乙女心を呼び覚ましてくれます。
年齢や、今までの観念から自由になるような、そんな開放感を感じて、みんなでにっこり。

三谷龍二さん・安藤雅信さん・皆川明さんのトークイベント

安藤さんの焼いた陶板に皆川さんが絵を描いた「旅に行く日に」

3氏も、沖縄での時間がとても楽しかったそうです。
「3人の仕事に関する感性が、和音となって響いたような時間でした。また沖縄へ来たいです」と。
そうして、この楽しい仕事は、2年後に続く事になったのです。

三谷さん・安藤さん・皆川さんの生きる力に溢れた、楽しい空間はあと4日間。
まだみていない方も、もう一度触れたい方も、Shoka:へどうぞ。

今週の日曜日までです。

5月20日(日)まで
NO BORDER, GOOD SENSE

Shoka:
098 932 0791

12:30~19:00

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