静謐

クロヌマタカトシ Shoka:

言葉にならない時間のなんと尊いことか。

「白へ向かう」 クロヌマタカトシ 木彫作品

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和井内京子のバッグ

Shoka:

カレンド沖縄にアップした今週の記事を転載します。この記事の続きは近日中にこのサイトにアップしますので楽しみにしていてくださいね。

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人生の中で一番嬉しいのは、面白いと感じる人と出会うこと。

Shoka:の次回の次回企画展は

「LONDON便り 和井内京子のバッグと友人マグダの皿たちと」

10月14日(金)~23日(日)

ロンドン在住のバッグデザイナー和井内京子氏のストーリー性あふれるバッグを中心に、フランスのアンティークの服、インディゴで絵付けされた皿たちがやってくる。

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2015年の夏に訪れた時アトリエはサウスロンドンの鉄道沿いにあった。

面倒見のいい彼女の周りにはいつも若い人々が集まってくる。

アトリエで働く彼女は、小さな頃から京子さんのアトリエに通いつめては布に触ったり、仕事を眺めたりするうちにデザイナーの道に進んだ。卒業後よそで働くうちに、「やっぱり京子のところで働きたい」と戻ってきたそうだ。

どこで暮らしていても、どんな職業であっても、人が何かに打ち込んでいると人を引き寄せ影響を与えることになる。まるで最初からそうなることが決まっていたかのように。

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様々なバッグが壁に掛けられていて、それぞれのバッグに惹きつけられる人はきっと全く雰囲気の違う人なんだろう。なのにどれを見ても一貫して和井内京子の世界を感じる。

日常と非日常の隙間に存在する京子劇場の中から生まれてきたバッグたち。

彼女自身がまるで「あるおとぎ話」のようだからか。彼女と出会った最初の年に私はそんな印象を彼女と、彼女の作るバッグたちに感じていた。

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このバッグはリュックにもなるし、前掛けバッグにもなる不思議な形。

なんだか洋服の一部のように存在感がある。

彼女の作るバッグたちは外観に劣らず、中の仕上げも丁寧で使っていて楽しい。

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食べることが人生の中心の一つになっている京子さんの作るピクニックバッグ。

生地は袴を作る時に使われるツヤとハリのある素材を使用。見ていると気持ちが明るくなるバッグだ。

このバッグを持って友人が来たら、中から何が出てくるのか目が離せなくなりそうな気がする。唾をごくんごくんと飲み込みながら彼女が「さて、そろそろご飯にしましょうか」と言うのを待ちきれないでいるだろう。

スモークサーモンとイチジクとブリーのサンドイッチかしら?それともルッコラと生ハム???

空想だけで胸もお腹も膨らみそう・・・・・。

ごっくん。

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バッグの中はこんな感じ。

色を変えてコーディネートしていたり、たくさんポケットがあったり。

中身を整理しやすいように様々な工夫が加えられている。

色のトーンはカラフルなのに落ち着いていて大人の遊びを感じる。

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こんな風にドリンク用のボトルホルダーが付いているのも嬉しい。

仕事に持って行く時には水筒を入れてもいいし、このバッグならピクニック気分で仕事に行けそうだ。

去年私はこのバッグを見せてもらった時、う~ん私の生活の中ではもう使わない感じだな、と、そう思った。

1年前の私はワーカホリックで、運転手はお酒が飲めないからワインを持ってビーチに行くのもなんだし、子育ても終わったから子供を連れて海や山に行くこともそうそうないし・・・そう思って見ていたのだ。去年の私は視野が狭かったなあ。

今年の私は、このバッグに美味しい飲み物とお弁当を入れて、仕事道具やいろいろと一緒に出勤したいと感じる。見ていて楽しい気分になるのだ。バックの中には誰かに飲み食いして喜んで欲しいものを入れたくなる。自分のためだけでなく、誰かの美味しい顔が見たくて中に色々詰め込みたい。

1年でこの違い。人が変わるのは自然なことだけれど、自分の心がこの1年で緩んだ気がしたのはなんだか嬉しい。

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そのアトリエで私はこのバッグに恋をした。

ちょっと粗めの古い麻の布と革のコンビネーションが良くて、大きさや形も好みだった。

ポストマンバッグと名付けられたこのバッグは、ヨーロッパを旅する度に見つけてきた麻の布を使って作られている。一昔前までは郵便局員たちはこの麻布の袋に郵便物を詰めて肩に担いで配達して回っていたという。彼女がロンドンに居を構えた 80年代にはまだこのような麻袋が一般的に使われたいたという。

私は彼女のアトリエにあった布の中から好みの布を選び、革の色を選んで自分のためのポストマンバッグを注文したのだ。

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そしてそれから1年後、私は再びロンドンの彼女の新しい工房を訪れた。私が注文したバッグが出来たというし、私はもう一度しっかりと彼女の世界を確認したかったから。

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彼女が「運命の女神に導かれるようにして出会った」と語る新しいアトリエは古いレモネード工場の一角にある。窓から見える景色に私は心奪われた。

前回と同じくサウスロンドンの芸術大学や公園のある一角は静かで、独特の空気感がある。

私が注文したポストマンバッグは出来上がっていて、そのアトリエで夕日を浴びて私が来るのを待っていた。

Vol 2へと続く

*みなさんこんにちは、Shoka:の田原あゆみです。Vol 2はShoka:のHPにて近日中に掲載いたします。私は今青森に来ています。台風18号が熱帯低気圧に変わって、熱気を吹き飛ばした後の北の国はとても涼しくて、快適です。青森では憧れの北の海で拾い物をしたり、山や川の雄大な景色や季節の変化を存分に味わってきたいと思います。

14日から始まる京子さんのバッグ展、彼女のことを知らない人がほとんどだと思いますが、遊び心と情熱と、まるでおとぎ話の中の登場人物のように子供の心を持って大きくなってしまった個性豊かな人から生まれ出る世界はとてもとても面白く、たくさんの方に紹介できたらと思っています。

みなさん是非足を運んでくださいね。

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次回企画展

10月14日(金)~ 23日(日)

「LONDON便り 和井内京子のバッグと友人マグダの皿たちと」

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LONDONを拠点に、世界中を旅して集めた布を使う和井内京子のバッグから感じるのは、愛着と決別と旅。

好きなものを選ぶ時に捨てるもの、旅する時に選ぶもの。人間の営みの中にはいつだって、選別することは付いて回る。彼女の作品を見ていると、愛着の深さが感じられて、なんだか愛おしくなってくる。とても人間らしい目線で選ばれた材料たちが使われているからだ。古いものも新しいものも、友人と一緒に作ったボタンや、テキスタイル、アンティークの布やリボン。誰かに会いに出かけたくなるような、そんなバッグたちになのです。日常のお出かけがまるで旅のようになる、そんな作品たちに会いに来てくださいね

今回は、バッグの他に、アンティークの服、インディゴ色の絵付け皿、陶器のボタンがやってきます。

ただいまのShoka:

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○ミナ ペルホネン、ARTS&SCIENCE、humoresque、ヨーガン レール、トリッペンなど秋冬のアイテムがぞくぞくと入荷中です。革小物のアイテム、ブーツなどは今の時期、充実しています。

○2016年8月から営業時間が11:00 ~ 18:00へ変わりました。

少し早めのオープン時間になったので、きっとご旅行中の方や子育て中のママさんたちにもご都合か良いかなと思っています。詳しくはこちら

どうぞ、宜しくお願いします。

○Tavi Shoka:

Shoka:オーナー田原あゆみが自分の足で回って、自分の目で見つけてきたヨーロッパ、主にパリのアンティークを紹介しています。

絵本からとび出してきたようなキノコの版画や、古くに特殊な印刷で仕上げられた一枚。

お皿やカトラリーなどもどれも素敵なものたちばかり。

ヨーロッパの地からShoka:へたどり着いて続々お店に並び始めています。

「アンティークは誰かに見出され、愛されたからこそ受け継がれてきたものです。時間という篩にかけられて、残ってきたものには確かな魅力があるのです。そんなものを自分で見て回り集めてきました。ヨーロッパの銀製品や、手仕事を生かしたものたちには独特の雰囲気が詰まっていて、暮らしの中で使うと独特の景色が美しいと感じます。暮らしの中に、時間を超えたストーリーを迎えることも愉しいことだと感じます」

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暮らしを楽しむものとこと

Shoka:
https://shoka-wind.com
沖縄市比屋根6-13-6
098-932-0791(火曜定休)

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CALEND-OKINAWAに記事を掲載しました

田原あゆみエッセイ

この記事は4月7日にCALEND-OKINAWAのShoka:の連載に掲載されたものです。4月15日から始まるmon Sakata展に向けて書きました。

この記事を読むとmon Sakataの服は、坂田敏子さんの人柄や彼女の視点がベースになっているからこそ、楽しく着れるのだということが伝わるといい名と思って書きました。そして、誰かが生涯をかけて続ける仕事の奥の深さや、人間味に触れることで、ますます日常は当たり前のものではなくて、ギフトのような時間の連続なんだということが私は分かってきました。

以下その気時の本文です。みなさま楽しい一日を!

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朝の身支度を整えようとクローゼットを覗く。

仕事に行くのか、友人とランチなのか、それとも海へ?
出張、ライブ、結婚式・・・

その日の気分や、出かける目的と場所を考えて選ぶ服のコーディネート。

今までにいったい何度何を着ようかと頭を悩ませたことだろう。

母の代から服を扱ってきた私にとって、mon Sakataの服は日常着の救世主となった。

 

便利で間違いなく合わせやすいカットソーたちは、袖の長さや着丈、色のバリエーションが豊富で着心地がすこぶるよい。
落ち着いた秋色は様々なブランドの服にすっととけ込み、オレンジ・黄色・ミッドブルーの印象的な色たちは、日常に華を添えてシンプルなアイテムたちを際立たせる。

 

一見シンプル。けれどポケットや股上・裾などにさらっと個性が息づくボトムスたちは、履きやすく楽しくて、気付けば今日もまた着ている。気がつけばそんなお気に入りのアイテムになっている。

田原あゆみエッセイ

10年くらい前までは、カットソーが日常着の人気者だったけれど、今はブラウスやシャツなどの布帛が中心。

忘れ去られがちなニットだけれど、mon Sakataのニットは抜群だ。
重ね着して、素材の違いや色の重ねを楽しむことが好きな坂田敏子さんが作っている服たちだから、写真のように袖丈、襟ぐり身頃に工夫がしてあって、コーディネートを仕上げた後のディテールが楽しいのだ。

 

袖丈の長いロンスリ(ロングスリーブ)のカットソーと、袖丈の短いカーディガンを重ねる。カーディガンの袖口はくるっとしていて、互いの素材感や造形を楽しめるようになっている。

ニットの裾の仕上げも糸の持つ柔らかさや個性が奔放に現れているのも好きだ。

私は着ている時に、カーディガンの裾のくるくるを指先で触って楽しんでいる。

田原あゆみエッセイ田原あゆみエッセイ

田原あゆみエッセイ

あら、坂田さんニットを留めているものはなんですか?

それはくるくると何かが巻かれたブローチだった。

カーディガンはそのまま着ると、ふちに表情があり、アクセントになる。
こうしてお気に入りのブローチで留めると、また印象が変わる。

mon Sakataの服の特徴の一つに、「余白」を残していることを感じる。

このシンプルな前秋のカーディガンのように、形を決めてしまうのではなくてその人が好きなようにアレンジできる余白を残しているのだ。

田原あゆみエッセイ

ボタンがついているカーディガンでも、その形は決まっているような、決まっていないような不思議な余白を感じるのだ。

着る人の身体のラインや、下に重ねるものの素材感や色、袖をまくるのか袖口のボタンをしめて仕上げるのか。
着る人が参加して、普段の動きの中で表情が変わる服。

 

mon Sakataの服は、日常の中で素材と遊んでいるような感覚になる。

田原あゆみエッセイ

「そうそう、田原さんこれ見たことあったかしら?」

そう言って坂田さんが持ってきた写真。

じっと見ていると、糸くずが集まってできたフェルトのように見える。

まさしくこれらの固まりは洗濯機の糸くずフィルターに溜まったmon Sakataの服のかけらたちなのだ。

地ならしで洗った布や、坂田さんの私服のお洗濯、製品の仕上げに洗いをかけたとき。布からこぼれた糸くずたちが、その時の色や素材のブレンドによって形も様々にぎゅっと固まった姿。

それを面白いと集めている坂田さんに、私は彼女の服作りの原点を感じた。

 

繊維の表情、配色の妙。
小さな糸くずの固まりに、mon Sakataのエッセンスが詰まっている。

坂田さんは素材を触るのが好きなことは前々から知っていたけれど、なんだか子どもの頃のただただ関心を持ってただただ見入る。その無垢な視線を素材に注いでいる坂田さん。

この仕事はどこを切っても、彼女の生涯の仕事なんだ。そう感じて、私はじんと来た。

 

田原あゆみエッセイ

その偶然出来た糸くずフェルトに合わせて、作家さんに専用の箱を作ってもらい納めている。巻頭の写真に写っている箱たちの中には様々な表情の糸くずフェルトたちが収まっている。

一つずつ専用に作ってもらったものだから何万円もかけたのだそう。
日常着の痕跡を、宝物にしてしまう。
この視点こそ現代アートの土台ではないだろうか。

 

田原あゆみエッセイ

この美しい色の写真たちはなんでしょう?

 

誰かと長くつき合っていると、だんだんと見えてくるものがある。今回の取材で、坂田さんと布や糸などの素材との結びつきが以前より深く伝わってきて、私の胸はジンとした。

坂田さんとともに過ごしたこの数時間は、私にとっては深く濃くて、とてもこの回だけで書き終られるようなものではなかった。

 

なのでこの話しは続きます。

vol2「坂田さん、39年間服作りをしてきて変わったことと、変わらないことはなんですか?」

こちらはShoka:のホームページに、4月13日頃にアップしたいと思います。

田原あゆみエッセイ

 

2012年と、2014年に開催した時の取材記事はこちらからどうぞ。

 

「mon Sakata がうまれる手」

 

mon Sakata のかたち

 

 

 

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trippen

Shoka:

 

trippenの秋冬のコレクションへ行ってきました。改めて職人や技術を継承していくことの素晴らしさや、手で大切に一つ一つを仕上げる決意をしたtrippenの職人気質な姿勢に敬意を感じています。

今年はモードなデザインを履きこなしてみたい。履き心地の良さを実感済みなので、遊んでみたいと、感じている。ベーシックを履きこなした5年。信頼をベースにもっと楽しもう。

今回の東京では、大切な友人たちと楽しくて深い時間を過ごしています。内なる声に耳を傾けて、表現し続けている真心の人たち。

ギフトを差し出し続けている勇者たち。そんな友人たちと過ごす時間は何ものにも代えがたい。昨夜は敬愛する先輩の語る、自分の仕事のあり方の原動力となった背景に耳を傾けて、夜が更けていきました。

暗い夜道をtrippenの靴に乗って、ぐんぐん歩いて坂下り。川を渡って帰宅。朝は寒くてベッドから顔と手だけを出してこのブログ。

さてさて。

今日はどんな1日なのか?

またとない日に繰り出しましょう。皆さんにも、わたくしにとってもすてきな1日になりますように。

 

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物語

アンティーク 銅版画 古い本の挿絵 羊と山羊

シープドッグのJは賢かった。

人間より早く危険を察知すると、耳をそばだて鼻で筋書きを読み取ると、皆の先頭に立って必ず安全な場所まで誘導しことなきを得るのだった。

羊の群れが狼の来襲を逃れることができたのも、霧に覆われ視界を失った群れが崖から落ちるのを避けることができたのも、Jのおかげだった。

山羊のVは羊が嫌いだった。

いつも日向で草を食べていて、危なくなるとJがさりげなく守ってくれる。

毛が伸びると、人間たちがで羊毛は財産だと、満面の笑顔でふわふわの毛を刈り取る。

ぬくぬくと暮らす羊たちはきっと脳みそが小さくて、自分で考えることはあるまい。ふん、鼻持ちならないただのモコモコの毛の塊だ。

Vの暮らす断崖絶壁にはまだ雪が残り、冷たい風が岩場を削るように吹く。蹄が乗るくらいのほんの少しの足場を見つけては、凍てつく風に吹かれながらVは今日も絶壁で草を喰む。

そして、日向の平地で人や犬に守られ、のうのうと暮らすモコモコよりも、己の知恵としっかりとした体幹で自立して生きる孤高さを誇りに思った。

今日もVは高い峰から羊を見下ろし、フン、と鼻を鳴らした。それよりも何よりも、あの草原を風を切ってビュンビュン走る、俊敏で美しいシープドッグのJがいつも彼らの周りにいることに腹が立っていた。

VはJに擦り寄られ、その長くて暖かな毛の匂いを嗅いでみたかった。Jに誘導され守られて平らな大地で眠りこけてみたかった。落ちる心配をしないで、横になってみたかった。Jが舐めて起こしてくれるまで、すやすやと。

けれど悲しいかな、Vの蹄は岩場のほんの小さな足場を探して次の一歩を踏み出すことをやめることができなかった。

のほほんとした羊と、切り立つ崖を住処にする山羊の物語。

 

私は、賢い犬も、もこもこの羊も、孤高の山羊も好き。

この「羊と山羊の絵」は19世紀の後半に描かれ、エッチングで本の挿絵になっていたもの。なんだかいろんなストーリーが浮かんできます。

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