2013.05.09 ミナ ペルホネン「piece, peace!」記憶の断片を集めて

*Calend Okinawaに連載していた田原あゆみの「暮らしの中の旅日記」から転載している過去の記録たち

Shoka: 沖縄

5月18日から始まるミナ ペルホネンの企画展、「piece,peace!」に向けて、私はミナ ペルホネンとの出会いと、そこからもたらされた影響について思いを馳せてみた。

様々な記憶の断片が頭の中に浮かんでくる。
バラバラに存在しているその欠片をかき集めて、そこから感じるもの、Shoka:や私の生活の中にもたらされたものを拾い集めてみたいな、と思ったのだ。

欠片を集めて、つないでゆくといつか一つの絵になるだろう。
それはまだ先のことだろうが、そこへ到る過程をこの記事で意識してみたい。

人との出会いから人生に受ける影響は大きい。
人は日々出会いと別れを繰り返しているが、そこから大小様々な影響を受け続けている。

もしかしたらそれは生身の人との出会いだけではなく、時間軸を越えた著作物を通しての出会いかもしれないし、絵画や彫刻を通して触れる誰かとの間接的な出会いかもしれない。
その出会いの前と後では、人生の質が変わるような、そんな出会いが私たちの人生にはちりばめられている。

私も、様々な人からあらゆる影響を受けて今がある。
ミナ ペルホネンのデザイナー、皆川明さんも私に大きな影響を与えた中の一人だ。

Shoka: 沖縄

HPを見ているだけでも、
国内外での年2回のコレクションの製作と発表
白金台店と京都店で行われている予約会
様々なデザイナーや作家とのコラボレーションによる製作と、その展示会
Shoka:のようなギャラリーや百貨店との企画展やトークイベント
と、かなりの仕事量をこなしていることが分かる。

その一つ一つを見ていても、それにまつわるデザイン、企画、制作、展示とかなり多忙な日々を送っている人だ。
きっと分身したいと思うことがよくあるのだろうな、と思ってしまうほど。

1分1秒も惜しいだろうと思えるような時間の流れの中で暮らしている皆川さんなのに、対面するとその時間はゆっくりと流れているように感じられるのが不思議だ。
頭の回転の速い人だし、決断も早い。
けれども、言葉を選んで意識して紡ぐせいか、ゆっくりと話している感覚になる。

そして、出会っている時間にとても誠実に対峙しようとする人だから、その時間の中に共に「居る」という感じが場にいる人々の中に充ちるのだろう。
向き合っている今に集中すると、その時間の画素数が上がるような感覚になる。

例えば、サインをお願いされるとゆっくりと丁寧に絵を描いてくれる。
サインに並ぶ人の列を見て時間配分をすることもなく、向き合っている「今」に集中してそこから湧いてくる感覚をペンでなぞっているように見える。

Shoka: 沖縄

「さらさらっと書けるのに、どうして、そんなにゆっくりとサインをするのですか?」

ある人に質問されて、

「さらさらっと書くと2~30秒で終わるかもしれないけど、意味なく流れる2~30秒より、意味のある3分の方がいいと思うんです」

この言葉に、この人の生きる姿勢が集約されていると私は感じています。

Shoka: 沖縄
forest parade と名付けられている37種類のモチーフが連なるこのレースは、皆川さんが描いた絵の線一本一本を 職人さんがスキャナーで読み込んで、プログラミングされた後水溶性の紙布に刺繍される。
一本の針が37のすべてのモチーフを仕上げるのに3日かかるというほど時間を重ねて仕上げられた後、布を溶かして花や木や鳥達のレースが仕上る。皆川さんは「機械と僕と職人さんのコラボです」と。

今起こっていることの中にちゃんと居る、ということ。

目の前で起こっていることをきちんと見て、感じて、思考する。
そしてそこからぶれずに発信し、ものや人と交流する。

これは中々大変な事。
外からも中からも情報が溢れ来る現代の生活の中では、頭は過去の出来事に釘付けで、身体は先を急ぎ、心は未来へ飛んでと、バラバラになっていることの方が多いのだから。

その慌ただしく流れている日常の中で、きっと私たちはバラバラになった自分の感覚や思考が一つになる地点を、いつも無意識に探しているのかもしれない。

記憶を辿りながら書いていて、ああそうか、と思うこと。

皆川さんが、ちゃんと「今」に居て発信しているから、私達はその言葉に引き込まれるのだと。
友人の結婚式に出席した時に、同じテーブルに同席したことがきっかけで皆川さんと知り合ったのだが、その時の皆川さんのスピーチに引き込まれて、私はミナ ペルホネンに興味を持った。

言葉はほとんど覚えていないが、その時に感じた自分の感覚はよく覚えている。
皆川さんがスピーチしている、その場と時間に時間に釘付けになったのだ。
その場に誠実に向き合って言葉を紡いでいる姿そのものに感動したのだ。

サインをしてもらっている人達もきっと同じような感覚になるのだろう。
受注会で皆川さんに出会った人も。

誰かが自分の存在にちゃんと向き合ってくれている、その経験は時間の多少を越え喜びに繋がっているのだ。

Shoka: 沖縄

piece, peace!

ミナ ペルホネンはテキスタイルから作っているアパレルのブランドの一つだ。
ただ、テキスタイルには詩のタイトルのような名前がついていて、服を作った後のハギレも最後まで大事に使い切るという姿勢は他に類を見ない。

その様々な形のハギレ達を使って、クッション・バッグ・服・小物等を作っているのが piece, という企画だ。
そこには、本当に胸踊るようなものたちが溢れている。

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photo by Koji Honda

小さなハギレたちはバッヂになって、誰かにつけてもらうのを待っている。
その一つ一つに名前があって、表情も少しずつ違う。

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photo by Koji Honda

ハギレを組み合わせて作られたバッグ。
こうやって大切に使いきられる背景には、プロダクトの生まれるところから未来まで、きちんと向き合う真摯な姿勢が感じられる。

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このうさぎクッションもまた同じように、平面のハギレへ思いやるきもちが吹き込まれて形が出来たのだろう。
今は、うちのかわいい姪っ子のうさぎちゃんになった。

Shoka: 沖縄

このpiece,のデニムは、私の親友のお気に入りだ。

自分自身で居ることを受け入れて、今に誠実に向き合って発信する時、一人の人間の存在は個人を越えるんだとつくづく思う。
皆川さんがミナ ペルホネンを通して表現するものとこと、どこをどう切ってもやっぱりミナ ペルホネンなのだ。

Shoka: 沖縄

Shoka: 沖縄

5月18日(土)から26日(日)まで Shoka: で、ミナ ペルホネンの piece, の企画展を開催します。

piece,bag や one mile bag・リメイクTシャツやうさぎクッション・Thank you very badge など、
ミナ ペルホネン ピース,ならではのアイテムたちがShoka:に並びます。

それから、開催に伴って、5月17日に皆川明さんと一緒にバッグを作るワークショップと、同日夜にはトークイベントをすることになりました。

パソコンや本を前にして、机上で学ぶことよりも、人から直接学ぶことの方が学ぶことは深くてその後も広がってゆくと私は信じています。
一方的に与えられる情報よりも、場の空気・表情・物腰・言葉・声の響きなど、場を共有することで得るものは半永久的にその人の中で育つものです。

自分に目覚めて、今を大事に行きている人は種を撒く人なのかもしれません。
いつか発芽する環境が育った時に、芽吹いてその人とともに育ってゆく。

もしかしたらもう種は自分の中にあって、その環境に光を注ぐ人の、と言った方がぴったりなのかもしれません。

私の文章を読んで、行きたい!と感じた方は是非時間を作っていらしてください。
時には思い切って行動に出ないと中々、変化を促すような体験は得られないことも多々あります。
がんばって!

詳細は以下のようになっています。

自分が暮らした時間の断片がいつか一つの絵になろうと、集まっている。
その過程こそがとてもすばらしいと思います。

私のような行き当たりばったりのタイプは、今目の前にある欠片を作り続けて、ある日気づいたら一つの絵が出来ている、そんな感じなのかもしれません。

皆川さんは、未来を描ける人の一人。
その未来の欠片を意識しながら一つずつ作っている、そんなふうに私からは見えます。

それもまたとても興味深く、感動的で人の生き様ってそれぞれきれいだなと思うのです。

Shoka: 沖縄

終了しています「piece, peace! 皆川明氏トークイベント」

日時 2013年 5月17日(金曜日)
時間 19:00開場
トーク 19:30~21:00
会場 Shoka:
参加費 500円(駐車場からのタクシーの送迎代金込み)
*トークイベントの方はまだ定員に達していないため申し込み可能となっています*

お申し込み方法
1.参加者名(全員のお名前を書いてください)
2.連絡先(ご住所・携帯電話番号・メールアドレス)
3.「トークイベント参加希望」と必ず書いてください。

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Shoka:

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2013.04.25 世代を超えて残るもの  手編みのゴートメッシュと、大切に作られた服

*Calend Okinawaに連載していた田原あゆみの「暮らしの中の旅日記」から転載している過去の記録たち

Shoka:

TOUJOURSのこのシルクのドレスを初めて見たとき、色の深さと素材の質感が絶妙のバランスなのに引き込まれた。

TOUJOURSの服を着たことのある人は知っていると思う。
肌触りが圧倒的に良いのだ。
日常着を作ることに徹しているブランドなので、着心地には相当こだわっているのだろう。

肌への馴染みの良い風合いを出すために、素材を何度も洗ったり、揉みを入れたりしながら独特の風合いを出す。

デザインも、軽くて身体のどこも締め付けない、風通りの良い形をしている。

Shoka:

季節の風が通り抜けてゆく。

Shoka:

前を開けて羽織るように着てもいいし、紐をちゃんと結ぶニュアンスのあるドレスに。

感覚なので言葉にするのはもどかしいような気もするけれど、とにかく身体がうれしくなるような服を作るブランドなのです。
私は綿素材のカットソーを着てから、その着心地の良さの虜になってしまいました。

セリシン(シルクの糸に元々付いているタンパク質)が程よく残った素材なので、着て洗ってを繰り返すうちに、とてもしなやかに変化していきます。
いいものは経年変化もうつくしいのです。

それから、TOUJOURSやARTS&SCIENCEの染めの仕事には感心します。
藍染め等の天然染料を使った染色は、発色のうつくしさと、その後の色落ちの具合で仕事の技量を測ることが出来ます。

2社ともに、個人の顔が見える日本の工房や小さな工場と契約をしていて、関わっている職人さんたちの染色の技術の高さが伺えます。
もちろん、科学染めも天然染めも、洗濯や着用時の摩擦、そして光による退色は当然のことです。
それでも、やはりうつくしい色や風合いの変化と、そうではないものの差は歴然としています。

自分の仕事へ愛と誇りを持つ人々の手にかかったものは、経年変化もまたうつくしいのは当然のことなのかもしれません。
もちろん、使い手の側の扱いによっても差は出てきますが、誇りを持った仕事にひかれてくる方達はやはりものを大切に長く使いたいという思いを持っている方がほとんど。

ものもそうだけれど、私たち人間も良い経年変化を辿りたいものですね。
同じシワでも、笑い皺を刻みたいと常日頃心がけている私です。

経年変化といえば、ゴートメッシュ(山羊革のメッシュ)のバッグや雑貨の変化にはすばらしいものがあります。

Shoka:

実家のベンチの上に無造作に置かれていたのは、私の母のゴートメッシュのバッグ。
使い始めてから10年ほど経ったもの。
最初はきしきしと締っていて、張りのある山羊革。
牛革よりも軽くて薄く、使うとどんどんしなやかに柔らかくなってゆくのが特徴です。

面白いのは、風合いの変化をみせようと、古いものを見本に置いていると、それを欲しがる人が多いということ。
新しいものよりも、使われてしなやかさと艶がましたものの方がずっと良く見えるのです。

写真のように、真新しいメッシュには独特の張りがあります。
使っているうちに、深い艶が出てきて、柔らかくなっていきます。

Shoka:

こちらは変わり編みを施されたバッグ。
革ひもの幅を変えながら、一体どうしてこの形に収まるのだろうか?と不思議な気持ちになります。

くたくたになった5年後は、一体どのような表情に育っているのでしょうか?

Shoka:

この緑色と白灰色の楽しいメッシュのバッグも、今はこんなに張りがあるけれど使ううちにすごく良い表情になりそうです。

これはとてもいいバッグに育ちそう、私はそう確信しました。

使い込むうちに、自分の手でしなやかに育ってゆくバッグ。
私は20年以上このゴートメッシュのバッグたちを見てきていますが、こんなに愛される素材は他にはなかなか無いと思うほど、ファンの多い素材です。

なかには20年前のメッシュのバッグを持っている方もいらして(私も持っています)、そのバッグの素敵なことといったら!

飴色になったしなやかな外見と、深い艶。
思わず撫でまわしたくなるような雰囲気が漂っています。

Shoka:

先ほどご紹介した、母のバッグもその仲間の一つです。

使い込まれてくたくたに柔らかくなったメッシュのバッグの中には、同じ素材のお財布やポーチが入っています。

母はメッシュのバッグが大好きで、コツコツ集めてきたもの。
実はまだまだあるのです。
どれもこれも柔らかく光っていました。

何が入っているの?
おかあさん。

Shoka:

「ポーチの中には、大事なことをいろいろ書く無印のメモ帳を入れてあるのよ。他にも色々とね」

覗いてみると、切り取られた新聞の記事が挟み込んであったり、気づいたことや忘れないように書かれた箇条書きがメモ帳にはちらほら。

「お財布もね、メッシュのが大好きなのよ。そうそう、これあなたがプレゼントしてくれたのよね。冬の間は仕舞っておいて、春に出して使い始めるのよ。ほら、良い色になったでしょう?」

Shoka:

お財布のなかに1ドル紙幣が入っているのが、コザで長年お店を経営していた母らしい。

大事に使ってくれてうれしいな。
ティーアンダ(手の油や手からこぼれる愛情)で、よりいっそう深い緑色になっている。

Shoka:

こちらも母のメッシュのバッグ。
何だか新品よりもいい感じに見えます。

手でいっぱい触ると、このように風合いが育つのです。

うちの母は大胆な性格で、細やかに手入れをするタイプではまったくもってありません。
例えば、思い立ったらこのような格好でいきなり畑仕事を始めたり、ヨーガンレールのシルクのスカーフで犬の口周りを吹いているのを家族に目撃されています。

そのシルクのスカーフは、古くなっていて穴が開いているからだと本人は言っていましたが、その大胆さには度肝を抜かれることもしばしば。
他にもびっくり仰天の逸話を数多くもつ母。
続きは、Shoka:にてお茶のともにお話しいたしましょう。

Shoka:

生まれてからウン十年。
経年変化を経たうちの母。

私たちShoka: ・ ten ・ Roguiiの3人姉妹の親分です。

3人が束になってもかなわないようなスター性を持つ母は、現れるとその場の空気を全部かっさらってしまうほどのバイタリティの持ち主。

庭仕事をしていた母にお願いをして、写真を撮らせてもらったのですが、ささっとお気替えをしてきてくれました。

「ネックレスまでつけちゃって、大げさじゃない?外した方が自然じゃない?」

と私。

「あら、私はいつもネックレスはつけているのよ。外すと落ち着かないわ」

と、母。

バッグの中味を出して紹介している写真を撮っていると、

「ちょっと待って」

Shoka:

おもむろに手を上げて、しばし停止。

「こうすると、手がきれいになるのよ。
ま、一瞬だけどね」

こうするとどうやら、手に浮き出る静脈が引くらしい・・・。

Shoka:

撮影中ずっと開いていたバッグのファスナーを最後に閉めた母。
お茶目な母が愛する山羊革のメッシュ。

中国の職人さんに編んでもらっているのですが、やはり中国でも職人さんたちの高齢化が進んでいるようです。
この風合いの良さを知ってもらって次世代が育つことを願うばかり。

Shoka:

Shoka:

今は真新しいゴートメッシュのバッグやサンダルたち。

使い手と一緒に楽しい時間を刻みながら、誰かに撫でられて柔らかくなるのを待っています。

Shoka:

「ゴートメッシュ展」は5月6日(祝日月)まで。

この機会に、是非手に取ってその風合いの変化を感じてみてください。

Shoka:

「ゴートメッシュ展」
5月6日(祝日月)まで。

山羊の革を職人さんが手で編んで仕上げた、メッシュの製品がShoka:に集まりました。
バッグ・サンダル・ポーチ・財布・小銭入れ・名詞入れ・キーホルダー etc

Shoka:

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Shoka:

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2013.04.12 暮らしの中の旅日記「誰かのために、誰かがしていること」

*Calend Okinawaに連載していた田原あゆみの「暮らしの中の旅日記」から転載している過去の記録たち

Shoka:

手のひらに載っているのは、フードムードのココナッツチョコクッキー。
東京の国立市にあるこのお店のクッキーは、
包みを開ける時にもどかしくなるほどおいしくて、即日完売の人気というのも納得です。

しかもこの手のひらの上のクッキーは、私にとっては特別なものとなったのでした。

私たちの身の回りにあるもの。
食器や、服や、珈琲豆や紅茶の葉、ノートや、鉛筆、ボールペン、弁当箱や、クッキーや、ほうれん草に到るまで、どれも全部誰かの手を経て私の家へやってきている。

仕事はお金をもらう為にやっている経済活動だ、ライスワークだと割り切っている人もいるのかもしれないけれど、立ち止まって見渡すと、私たちの生活は誰かのした仕事のお陰で成り立っている。

顔を見たことも無い誰かが、どこかで生活していて、家族がいて、食品を詰める工場で働いている。
その人の手を借りて、私は沖縄の家で珈琲を飲む。

この珈琲豆はどこかの国で、あるおかあさんが背中にあかちゃんをおんぶしながら摘んだものなのかもしれない。
もしかしたら、大きな摘み取り機でごーっと摘まれたものかもしれないけれど、その機械だって誰かが操縦しているのだ。

そうやって思いを馳せると、私たちはそんなに遠くへいかなくても、誰かがどこかではたらいているお陰で色んなところから、まるで磁石のように身近にものを引き寄せているかのようだ。

夢の生活を送っているのではなかろうか?という気持ちになる。

Shoka:

「このクッキー知ってる?とてもおいしいんだってね。友達が送ってくれたのよ」

むふふ、と笑いながら私たちをもてなしてくれた赤木智子さん。
去年の夏にShoka:で「赤木智子の生活道具店」を開催した時にその楽しく暖かな人柄に触れた人もいるでしょう。

今年の3月1日から数日間、赤木夫婦のお招きを受けて輪島におじゃやましたときのこと。

夜のおしゃべりタイムに智子さんがこのクッキーの箱を一箱開けて、みんなに出してくれました。
私はチョコクッキーの魅力にそわそわ。
人数と、クッキーの数が気になります。

一個丸ごと食べたいけれど、でも、そうしたら誰かが食べれないのでは?
悪いからチョビット割って、もう少し割って、これおいしいのよたおも食べる?と、聞いて、相手がいらないと応えるとその分も食べたり、もぐもぐしているうちに、智子さんにチョコクッキーが好きなことがばれたのでした。

えへへ、と笑って照れ隠し。
大人げなくてばつが悪かったのです。

「智子さん、これとっても貴重なクッキー無くなっちゃうけど大丈夫?家族の分ある?」
自分の食欲が、クッキーを全部飲み込んでしまいそうで、心配になって聞いてみたら、

「うん、大丈夫よ。もう1箱あるから」

良かった、と安心して、夜はクッキーのもたらすしあわせとともに更けていったのでした。

Shoka:

翌日帰ろうとしていると、智子さんからお土産の小さな袋を娘が受け取った。
多治見に向かう道すがら開けてみたら、そこにはあのチョコクッキーの一包みが。

家族用のもう一つの箱の中から、これを分けてくれたのだ。

ああ、こんなところが、「赤木智子の生活道具店」のエッセンスなんだな。
そう感じて、じーん。

そんな智子さんの料理は、育む料理。

Shoka:

飾らず、素朴で、素材がのびのびとしている。
智子さんの仕事はその料理のように、家事や道具店に到るまで、誰かを育んでいるのだろう。

Shoka:での「赤木智子の生活道具店」はまだずっと先の、2015年の3月です。
まだまだ遠いですが、東京在住の方は gallery fu do kiにて明日から開催されています。

2013.4.5(fri)→4.14(sun)
赤木智子の生活道具店+しあわせの素

智子さんの「しあわせの素」は、おもいやりとユーモアなんじゃないかな?
クッキーの一件で、ますます智子さんのことが大好きになった私はそう感じているのでした。

Shoka:

あっという間に4月も二週目。

先週は東京出張へ、今週が過ぎて半ばにはまた東京。

写真はミナ ペルホネンの今年の秋冬物のコレクションを見に行ったときのもの。

ミナ ペルホネンの展示会場には、立ち止まって見つめていたくなるようなディスプレイや、花が飾られています。

コレクションから伝わってくるものと、お花たちが一緒に呼吸しているような感じです。

Shoka:

桜が満開の東京で、2シーズン先の季節を覗くのは不思議な気がします。

いつか誰かが着る服を、その時の時間を未来から引き寄せて作っている人達がいるのです。

考えてみたら、どんな仕事でも誰かの必要のために、誰かが働いているのですね。

誰かのために何かが出来るって、大人になって仕事をするって素敵なことだと感じます。

ものの色や形、質感、空間全体を満たしている空気。

とても細かい光の粒子が、にこにこ笑っているような、そんなコレクションでした。

出会いと、始まり。

終了と、旅立ちの春ですね。

しあわせって、当たり前だと思っていることが、違って見える時感じられるのかもしれません。

Shoka:

今年の春夏のミナ ペルホネンのテキスタイル「dandelion 」
色んなところに咲いているタンポポには、生命力とたくましさ、それから屈託の無い明るさを感じます。
クレヨンで描かれたタッチに、何だか胸がキュンとしてしまいます。

Shoka:

想像していませんでした。
私の人生が
こんなに絵を描くことになり
そこから溢れるほどの
生き甲斐をもらうとは。
偶然のように始まったこの仕事を
今は情熱の全てを尽くして
続けたいと思います。
私という存在が私の絵を
もって記憶されたなら
なんて幸せなことでしょう。

ミナ ペルホネンから届くletterに載っていた、皆川明さんのことば。

自分から溢れるものを形にして、それが誰かの喜びに繋がっていることを体感した時、

人は自分一人のうつわを越えるような力が湧いてくるものかもしれません。

ミナ ペルホネンの服に心が触れた人は、ぱっと笑顔が広がるのを私は何度も見てきました。

それは皆川さんが、この仕事を通して人の繋がりの中に居ることの喜びを見つけた人だからだと感じています。

偶然のような必然と、思いもよらなかったギフトに気づいたときの喜び。

それは、皆川さんや私たちが普段特別な人だと思っている人だけに与えられたものではなくて、私たち一人一人の暮らしの中にちりばめられているものです。

それを発見したり、暮らしの中で気づいていけたとしたら、それはなんて素敵なことなのでしょう。

Shoka:

マーメイドの刺繍が裏に施してあるミナ ペルホネンの always のデニム。
履き込むほどに、表地にマーメイドの模様が出てくるのが楽しい服。

古くなるのが待ち遠しいなんて、とても新鮮。
私たちもそうやって、味わいのある歳を重ねて行きたいものです。

Shoka:

そして翌日は、ARTS&SCIENCEの秋冬の展示会へ。
ARTS&SCIENCEのものづくりのスピリットは、着た時に体感することが出来ます。
私は去年パンツを履き込んでつくづく実感しました。

不思議なほど何度も履きたくなるパンツなのです。
身体のラインが奇麗に見える、履きやすくて決めやすい。
そして、自宅で洗えて、洗濯後の風合いが良いのも大きな魅力です。

私の憧れはARTS&SCIENCEの肩のラインが落ち気味のブラウスや、ワンピースをかっこ良く着れること。
残念なことに、私の方は錨肩。
自分に似合わないことがほんとうに残念ですが、ARTS&SCIENCEのブラウスやワンピースのラインのうつくしさといったら、見ているだけでもため息がでます。

Shoka:

関根はとてもよく似合うので、コレクションの会場で2人で盛り上がって楽しみました。

ソニア パークさんのセンスの良さと、ディテールへのこだわりには感慨深いものがあります。
自分の着たい服を徹底的に追及した究極の形が、ARTS&SCIENCEの服のラインには表れているのです。

ソニアさん自身が気にいっていたアンティークの服のラインを基本にして、現代の生活の中での「道具としての衣服」というコンセプトを元に編集した形。

素材選びもすばらしい。
日本の職人技で織り上げた、とても細い上質のコットンやリネンの服は着る人に、時間軸を越えた特別な感覚をもたらすのを感じます。
生活の道具としての日常着であるとともに、形の中に気品が息づいていて、着ている人を見ていても心ひかれる。

余韻のある服たち。

自分のために追求した形や素材選びが、誰かの日常の中に愉しみを運んでいく。
ソニアさんの仕事からは、質を追う気高さを感じました。

Shoka:

出張や移動の多い春でした。

出かけるたびに、大好きな人に会って、その人のしている仕事に触れる。
こんなにも、誰かのしている仕事に感銘を受ける日が来ることを私は想像したことも無かった。

仕事って自分を開いて、社会に差し出すものなのかもしれない。
私はこんなことが出来ます、と、才能を差し出す。
それは計算力、整理する力、企画する力、まとめる力、我慢強さや、伝える力や色々、ありとあらゆる能力を社会は必要としているから。

そしてお金をもらって生活出来るということは、何だかとても素敵なことなんじゃなかろうか?
どうせなら思いっきり、出し惜しみなく仕事をした方が、楽しそうだ。

さあ、4月13日(金)から「初夏のお出かけ展」が始まります。
私たちShoka:チームも、みんなで才能をシェアし合って働こう!

どんな空間を作ろうか?
どんなことを伝えたいか?

感覚を伝えあいながら、明日は肉体労働にはげむつもりでございます。
誰かの笑顔や、暮らしの中の愉しみへ繋がってゆくように。

Shoka:

「初夏のお出かけ展」
4月13日(土)~28日(日)月曜定休、月曜が祝日の場合は翌日の火曜がお休み

じゃぶじゃぶ洗えるリネンやコットン素材。
誰かに会いにいきたくなるような、うきうきするようなワンピース。
お洗濯すると乾くのが待ち遠しくなるような、履きやすいパンツやデニム。
日常の中で活躍するアイテムと、ちょっとお出かけ気分で着たい服。

日常をより楽しく過ごせるような、お洋服や雑貨を揃えてみなさんをお待ちしています。

暮らしを楽しむものとこと
Shoka:

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2013.03.29 「初夏のお出かけ展」

*Calend Okinawaに連載していた田原あゆみの「暮らしの中の旅日記」から転載している過去の記録たち

Shoka:

肌寒さと、暖かさが交互にやってきて、
ああ春だな、と思っていたら
あっという間に初夏がやってきた。

今日の空を見ていたら、ゴロゴロと雷が鳴り響き、
水気を含んだ雲は重く、海に落ちている。
ざざーっと大雨が降ったりやんだりした後に、強い陽射しが突然差してくる。

久しぶりに感じる夏の気配。

身体の中からふつふつとどこかへ行きたくなるような、誰かに会いたくなるような、
そんな気持ちが湧きあがってくる。

夏にはそんな力がある。

お出かけ前の最後の片付けを済ませて、さあ、どこへ出かけようか?

Shoka:

春のほわんとした色の花から、夏のくっきりと鮮やかな色の花達にバトンタッチした庭。

白・水色・藍・緑・赤・濃い紅色・ひまわり色

濃い緑の中に、そんな色が散らばっています。

Roguiiの美佳ちゃんが着ている青い色のサンドレスは、薄手のコットン100%。
風にそよぐ気持ちの良い素材で、裾のスリットとボンボンがかわいらしい。

ヨーガン レールのblue lavelのお洋服。

Shoka:

ちびちゃん、お待たせしました。
さあさあ、遊びに行きましょう。

今日もきっと楽しいよ。

よくある家庭での景色も、こうやってみるとうつくしいものです。
写真で見ると、全く同じ瞬間が無いということが客観的に分かります。

ノアちゃんが持っているたんぽぽの種も、今頃どこかで目を出そうとしているのかもしれません。

Shoka:

ノアちゃん、ちょっと早いサンドレスを着て、たんぽぽを探しにてくてく。
80サイズが丁度なのですが、一つ大きい90サイズを着ています。

ミナ ペルホネンの子供服の中でも、お家で洗えるカットソーのシリーズが沖縄の夏にはむいていると思うので、かわいくて扱いやすいものを中心に揃えています。

このタイプのワンピースは、結構大きくなってもチュニックになり、ブラウスになり、と長~く着れるものなのです。

Shoka:

ミナ ペルホネンのテキスタイルは、どれも着ている人ももちろん、それを見る人まで幸せな気持ちが伝染するような気がしませんか?

pome という名前のワンピース。
何年か後に、着古したこのワンピースを見ていると、色んな時間が笑顔とともに蘇ってきそうな気がします。

Shoka:

何を見ているのかな?
てくてくてくてく、ノアちゃん。

Shoka:

mingling - 集まって交流している様子
という名前のテキスタイル。

不思議な鳥達が、おしゃれをして集まっています。

いつもの庭が、鳥達のささやきやさえずりでにぎやかです。

Shoka:

今年もARTS&SCIENCEのスーパーファインコットンはすばらしい仕上がり。
とても細い上質なコットンを、技術ある職人さんが織って仕上げた布。
きっちりと丈夫で、美しい。

家庭で洗えるのもやっぱりうれしい。

リネンのパンツも、沖縄では3シーズン気持ちよく履けます。

私は去年初めてARTS&SCIENCEのパンツを履き始めたのですが、あまりのラインの良さと着心地の良さに、お洗濯した後乾くのが待ち遠しいほど。
ARTS&SCIENCEはパンツのラインには自信があると言っていました。
ソニアさんは、本当に私たちアジア人の体系を美しくみせるラインを知っているんだな、と感じています。

お気に入りの一本、きっとあると思います。

Shoka:

ARTS&SCIENCEの革が良いのを知っていますか?
仕上げの風合いが渋いのです。

デザインが良くて、仕立ても素材もいいものって以外と少ないのです。

何年経っても履いていたくなるような、シンプル且つ個性のある形。
今年の後半には、バッグや小物も入ってきます。

春の花から夏の花へバトンタッチした初夏の季節。

Shoka:で久しぶりの企画展が始まります。
3ヶ月企画展をお休みして、リセットした私たち。
心も身体もむくむくとパワーで満ちてきました。

わくわくと楽しい空間にしたいと思っています。

Shoka:

「初夏のお出かけ展」
4月13日(土)~28日(日)

じゃぶじゃぶ洗えるリネンやコットン素材。
誰かに会いにいきたくなるような、うきうきするようなワンピース。
お洗濯すると乾くのが待ち遠しくなるような、履きやすいパンツやデニム。
日常の中で活躍するアイテムと、ちょっとお出かけ気分で着たい服。

日常をより楽しく過ごせるような、お洋服や雑貨を揃えてみなさんをお待ちしています。

Shoka:

そうそうそれから、4月からShoka:へ新しいメンバーが加わります。
金城由桂ちゃん。

今までのShoka:へ新たな風を呼び込んでくれそうで楽しみです。
みなさまどうぞよろしくお願いいたします。

Shoka:

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Shoka:

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2013.03.08 暮らしの中の旅日記「人を巡る旅 ー 記憶のモンプチ編」

*Calend Okinawaに連載していた田原あゆみの「暮らしの中の旅日記」から転載している過去の記録たち

トラネコボンボン

誰かに会う為の旅。

子どもの頃、大好きな友達と一緒に遊ぼうと、迎えにいくときのわくわくした感覚。
あの感覚のことを幸せというのではないか。

最近当時の感覚をよく思い出す。

私はほんの数年前まで、大自然の中で出会う夕日や朝日、変わりゆく光の色や動物たちとの出会い、そんな景色の中に身を置くことが旅の醍醐味だと思っていた。

知らない町や、初めて身を置く自然の中を彷徨うような旅を何度も繰り返していた。
そんな旅はどこか自分探しのように心もとなかった。

ある時を境にそんな旅が物足りなくなってしまった。
魅力的で、どこか懐かしいような人々との出会いのせいなのだろう。
もしかしたら私が変化して、人に心を広げられるようになったからかもしれない。

今は、誰かに会いにいくための旅、それが一番楽しい。
たとえそれが仕事であろうと、あの人に会える、そう思うと行きなれた街も色が増す。

今月の頭、漆作家の赤木明登さんの工房に勤めるお弟子さんの一人の、年季明け式に参加するため輪島へ。
そのあとは、丁度岐阜県の多治見にあるギャルリ百草で開催されている友人の「記憶のモンプチ」という企画展へ行こうと決めた。

沖縄を出た日の気温は25℃。
鈍色の波が砕け散る日本海を抜けて輪島に着いたら、そこは0℃。

トラネコボンボン

その日も風は強かった。
日本海から吹く風は凄まじく、恐いもの見たさで行ってみた漁港では体中を風にぶたれているように感じた。
髪の分け目にまで氷の針が突き刺さるような寒さだ。

トラネコボンボン

赤木家の暖炉の側、冬になると次々と咲くというハイビスカス

赤木家は暖かかった。
住宅と工房が一つになったその場所では、生活も、仕事も、共に呼吸していた。
暖かく燃える火を中心に、ものも人も、そこで行われるすべての営みが一つの世界で調和しているように感じられたのだ。

有形無形の美しさの種が、自然に発芽する。
そんな空間がそこにはあった。

けれどこのお話は、また今度。
じっくりと発酵を待ってみなさまにご報告いたします。

ここでは、輪島から車を走らせること4時間半。
雪の日本アルプスを越えて、赤木夫妻と友人達との楽しい夜更かしから来る睡魔と戦いながら向かった、
岐阜県多治見にある、ギャルリ百草で行われている、中西直子(なちお)の「記憶のモンプチ」のことを紹介いたしましょう。

トラネコボンボン

私はこの人に久しぶりに会うのが楽しみだった。
この人の作る料理と、その人が作るもので満たされるその空間を愛しているのだ。

トラネコボンボン

トラネコボンボンを主催するなちおのご飯。
植物を愛する彼女の料理は、素材が生き生きとしていて、いい具合に刺激がある。

料理もまた、ものと同じように作り手に似る。

その日の
「トラネコランチ」

サラダ カシューナッツソース
南京・人参・カリフラワーのスープ
玄米
葱フライ
牛蒡の唐揚げ
蓮根揚げ炊き
ブロッコリーのナムル
白菜甘酢
大根の韓国味噌

おいしかった。
その日の彼女と対面するような味わい。

トラネコボンボン

「記憶のモンプチ」は3.11の2週間後から、なちおが毎日発信し続けているイラストの原画展。

あの日を境に生活が変化した人はとても多いと思う。
自分自身と、大切な友人達に起こったこと、様々な出来事に衝撃を受けて2週間は何もできなかったという彼女。

ある、大切な友人に「何か出来ることない?何が必要?」と聞いた時に、
「毎日動物の絵を描いて送って」と、言われたことがきっかけになって彼女のブログは始まったという。

『記憶のモンプチ』 http://bon.toranekobonbon.com/

それから毎日描き続けている原画が、3月17日までギャルリ百草に並んでいる。

トラネコボンボン

彼女と知り合って15年。

植物を愛し、感動的な庭を造る人
うまいよ~~~~、と、涙が頬をぬらすような料理を作る人
絵本の中のある1ページをかいま見ているような、不思議楽しい動物の世界のイラストを描く人
イラストと同じく、空間までも物語のワンシーンのような心躍るものに変容させる人
一生懸命で、ちょこまかとよく動く人
感情が波打つように変化する人

彼女は私にとって、とても印象深い人の一人だ。
それぞれの人の中に自分自身のリズムを刻むメトロノームがあるならば、彼女と私のメトロノームのリズムは全く違う。
だからとても興味津々、彼女と向き合うのだが、毎回どぎまぎしてしまう。

今回も、一生懸命作品の背景を語ってくれたなちお。
笑ったり泣いたり、思いを込めて話してくれた。

話しを聴いていて、その情報の大きさと早さに圧倒される私。
聞いているとその世界に引き込まれて、そして何かが痺れてしまう。

気の利いたことを言いたくて、外してしまう。
痺れたまま、消化出来ないまま彼女のリズムについていきたくて。

大体外れてしまうので、きっとなちおは気持ちを汲み取ってもらえていないような気持ちになるんだろうな。

そんなことを今更考えている私は、きっと彼女とは違う種類の動物なのだ。
トラネコボンボン

トラネコボンボン

3.11あの日から約2年。
毎日描いたという様々な動物のイラストたちが、その世界のストーリーの一部と一緒に百草に集う。

約700点近くのイラストが展示されている。
ブログを覗いたことのある人は、きっとそのセンスの良さを知っているだろう。
一枚一枚色もデザインも楽しくて、尾を引いてしまうようなストーリーが広がっている。

彼女のイラストを通して、私自身の2年という時間が記憶とともに湧き上がってくる。

胸が一杯になり、言葉にならない感覚が身体中に染みてゆく。
それとは反対に、物質的な私はぱたぱたと用事を片付けていた。
妹たちから頼まれていた食器を選んだり、安藤明子さんと打ち合わせをしたり、安藤雅信さんと久しぶりの再会に軽口を叩き合ったり。

なちおの話しを聴いて、是非原画も持って帰りたいと思っていた。
それもじっくりと選びたい。

心の一部はじ~んと痺れたまま。
友人のために、まだ見ぬ仲間に向けて発信された数々のこと。

時間をかけて、空を飛んだり車を走らせてでも、会いたい友人がいる嬉しさ。
様々な形の出会いと分かれ、誰かの心細さや、誰かの優しさ、小さな感情の欠片がちりばめられた一つの世界。

こんな友人達が一緒の時代を生きている。
そのことにも痺れていた。

トラネコボンボン

なちおがトラネコなら、私はどうもアザラシらしい。
不服だが、みんなが口を揃えてアザラシのイラストにそっくりだと・・・

そうか、分かった。

わたし、海から来たアザラシ。
イカしたトラネコに興味津々。
けれど、動きが速くてついていけない。
いつも目で追っている。

たまにネコ同士の挨拶をまねてみるのだけれど、何だかきまらない。
話をしても展開が早くて、生煮えのまま。

ワタシ皮の分厚いアザラシ。

あなたしなやかで、動きの速いネコ。
言葉もちょっと通じていない。

分かっていないニヤー、と、爪を立てられても
皮が分厚くて神経まで届きません。

けれど、気になってたまに会いたくなる。

今回も慣れない陸を、ドキドキしながら旅してきたよ。

今アザラシは沖縄へ帰ってきたよ。
海を見ながら、思い出しているよトラネコのこと。
会いにいってよかったな、って。

またいつか泳いで、会いにいくよ。
トラネコのことも料理も、アザラシは好きだから。

いつかのトラネコ

トラネコボンボン

トラネコの家で食べたね
食べてばかりでごめんなさい
アザラシは反省しています

トラネコボンボン

大好きだったトラネコの庭
小さい庭なのに ひろかった

トラネコボンボン

トラネコ夫婦
アザラシは2人でいるトラネコ夫婦を見ていると
うれしくなるよ
トラネコボンボン

日々は少しずつ変化しながら積み重なってゆく。
下の方はもうどんなことがあったのか思い出せないでいるけれど、今の土台になっている。

トラネコは、夫の中西義明(ヨッシーさん)ときっとこれからも、いろんな人と出会って、たくさんの人に喜ばれて、変化のさざ波を世の中に送り続けてゆくんだろうな。

この記事を読んだ方、是非百草へ。
行けない方は、なちおのブログをどうぞ。

『記憶のモンプチ』 http://bon.toranekobonbon.com/

トラネコボンボン

なちおと出会った頃2才だったたおは16歳になった。

この春、家を出て埼玉の学校へ通う彼女になちおは言った。

「たお、あの学校に行ったらいっぱい友達を作るといいよ。
友達って良いよ、私は今友達のお陰で生きているんだよ」

楽しみだね、たお。

今回の旅は人の繋がりを強く感じた旅でした。
誰かが誰かに影響を与え合って、それが様々な変化を起こしている。

赤木夫妻の住む輪島から、なちおと旦那様の中西さんがいる多治見の百草へ。
百草は安藤雅信さんと明子さんという友人がいる。
その人達に会いに行く旅。

そしてみんなそれぞれが、時間や距離を超えて繋がっている不思議。
これを読んでいるみんなも、読んでいない人も、結局みんな繋がっている不思議。

人は、人と人の間に入って人間になっていくのだという。
今も、私が感じている未来は暖かい。

「記憶のモンプチ」

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