邂逅vol Ⅺ 2012/5/3

文 田原あゆみ

写真 三谷龍二さん・ミナ ペルホネン提供ミナ ペルホネン

世の中はたくさんの「もの」で溢れている。
用を満たすという最低限のものから、無用ではあるけれどうつくしいもの、用も美しさをも兼ね備えたものまで。
意識の多様性がものとして表現されて、この世の中にどんどん生み出されている。

私はシンプルに生きたいと思っている。
けれども同時に、本当にいいものと巡り会いたい、それを使ってみたい、もちたいと欲してもいる。

いいものとは「うつくしいもの」。
では、「うつくしいもの」とは、なんなのだろうか?
この世の中に無数の価値感がある様に、「うつくしいもの」という定義もまた多様性に満ちている。

一体、私が「うつくしい」と感じるものはどういうものなのだろうか。

最近、ただ単にフォルムがきれいとか、色のバランスがいいとか、きめの細かい肌の具合がうつくしいとか、表面的な事ではなくてもっと感覚的なところへすっと入ってくるものに惹かれるようになった。
いや、もしかすると、ずっとそうやってものを選んで来たのかもしれない。
もちろんたくさん失敗もしたし、時間とともに色があせてゆくものも、逆にどんどん好きになってゆくものもある。

今の私が、うつくしいと思い、手にしたい、使いたいと思うものは、

「心に灯がともる」もの。

うれしくなったり、楽しくなったり、触れている人達の表情がぱっと明るくなるようなもの。
それは言葉にはならなくても、生きているって良いな、そんな感覚が静かに身体に広がってゆくようなもの。

自分自身の愉しみのために使いたくなるもの。
誰かと一緒に楽しみを分かち合いたく選ぶもの。

ミナ ペルホネン

ミナ ペルホネンのpiece,のバッヂたち。
ミナ ペルホネンのテキスタイルの端切れは、最後まで命を吹き込まれて私たちのもとに届く。

このバッヂをつける人は、どんな人なのだろう。
バッヂやブローチをつける人は、自分を楽しませ、自分が会う人の目をも楽しませる事のできる人なのかもしれない。

こんなバッヂをつけたら、楽しさと一緒に元気が伝染してゆくだろう。

ミナ ペルホネン

ギャルリ百草での展示の様子。

なんてしあわせな気持ちにしてくれるのだろう。
作り手がテキスタイルに愛情をもち、最後まで生かす事を考えている事、そのことが私たちの胸まで届くのだ。

東京と京都の2カ所にあるpiece,はミナ ペルホネンのかけら(ピース)を集めたショップ。
洋服を仕立てたオリジナルテキスタイルの残り布をパッチワークして、手作業により様々なものを生み出している。
今回のShoka:での企画展にもpiece,の製品がやってきます。

たくさん作って、たくさん捨てる。
そのような事が当たり前のだった時代に育った私たちは、あの頃、ものと同じように、自分が大切な存在だとはなかなか気がつけなかった。
だから、こんなに大切に作られ、最後まで命を吹き込まれるものがある事、そのような仕事をしている人達がいる事が、ただただ、うれしい。

そのような仕事の存在を知ると、私たちは、楽しさや喜びを注ぎ合える仲間としてここに生きているんだ、と、思える。

ミナ ペルホネン

ミナ ペルホネンの布をベッドに、出番を待っている三谷さんのスプーンとフォークたち。
木のカトラリーや器は、たまに植物性のオイルで磨くと深みとつやが出てくる。
楽しかった時間が木に記憶されて染み込み、かけがえのない生活道具となってゆく。

ミナ ペルホネン

使い終わったら思い出も一緒に布で包み込んで。
やさしい木肌が手になじむ。
暖かくて美味しいものを注いでゆくと、私たちの気持ちも一緒に充たされてゆくようなカップだ。
普段使いにもいいし、ピクニックにもって行くのに軽さがとてもいい。

漆で仕上げたやさしい器。

ミナ ペルホネン

カップと同じ様に拭き漆で仕上げた木のお皿。
みていると、懐かしい気持ちになる。
触れて、なでて、この上に何をのせようか?

黄色い卵焼きと、赤いトマトを挟んだシンプルなサンドウイッチ。
マスタードをたくさんぬって。

それともきれいな色をちりばめたちらし寿司?

ミナ ペルホネン

シンプルにバタートースト。

たまらなくなって、私は今フライパンの上でシナモントーストを温めている。
深入りのコーヒーも挽かなくちゃ。

器をみて、食べ物が浮かんでくる楽しさ。
健全で、健康な証。
三谷さんの木の器たちには、食べる楽しみと、使う楽しみが最初からこもっている。

きっと作り手の三谷さんが、それをうんと楽しんでいるのだろう。

ミナ ペルホネン

木のスプーンや、ホーンのスプーンを使う様になってから、私は金属のスプーンをあまり使わなくなってしまった。
木肌やホーンの滑らかさと、ぬくもりは私たちの肌にとてもやさしいので、食事がもっとおいしく感じるのだ。
元々私たちは、木やタケで作られたお箸で食べ物を口に運んで来た。
その感触とぬくもりと同じものが木のスプーンにはある。
木は金属よりもずっと、私たちの身体に近いような存在だ。

木のフォークが欲しくて、私はずっと三谷さんの作品が来るのを待って来た。
使う日がとても楽しみだ。

ミナ ペルホネン

ピクニックセットのひとつ。
中には上の写真の皿や、フォークやカップが収まっている。
これは松本にある10cmで展示されたもの。

Shoka:には一体どのようなピクニックセットがやってくるのだろうか?

ミナ ペルホネン

10cmでの展示風景。
皆川さんがデザインした、ちょうちょの羽のような形のお皿は2枚で一セット。裏はカットボードにもなる。

ちょうちょのお皿が二つ、それから丸いお皿二枚とフォークが二つ、木のカップ二つをミナ ペルホネンのバッグに入れたら、それがピクニックセットになる。
バッグの名前は緑色のが「山のチェック」、青いものが「海のチェック」。

何だかとてもHappyなセットだ。
使い続けて、年をとっておばあちゃんおじいちゃんになった時に、一体どれだけの楽しい時間をこの器たちと一緒に作っているのだろうか?
海や、山へ出かけて、みんなで分け合っていただく楽しさ。
それを布でくるんで、バッグに入れて、気軽に持ち運べる身軽さ。

この写真一枚をみていても、青空やそこに浮かぶ雲、風が運んでくるいろいろなもの、水しぶきと陽のきらめきが見えるようだ。
誰かのハナウタも聴こえてくる。

ミナ ペルホネン

このザッハトルテは誰かが食べてくれたのであろうか?
とてもおいしそう。
カップにはミルクティーを。
いや、シナモンチャイかな。
深入りのコーヒーをブラックで、の方がザッハトルテと合うかしら?

やはりいろいろと描いてしまう。
あとで聴いてみたら、この写真は、皆川さんが三谷さんの作品をザッハトルテに見立ててディスプレイしたのだそうです。
だから全体がとてもおいしそうに見えるのですね。

日々の暮らしの「食」に関わる道具たちは、生きる事に一番近いものたちに違いない。
その道具たちがちゃんと、食欲を刺激してくれるのはうれしく、楽しいことだ。
このお皿も、私も健康だ!と歌いたくなる。

ミナ ペルホネン

安藤さんが自分の中にある、うつくしいラインを捉えて彫りだす。
足す事も、引く事も出来ないようなシンプルなライン。
そこに絵付けをするというのだから、一体どのようなことになるのか、私には全く創造することが出来なかった。
皆川さんもきっと、腹を据えてとりかかったに違いない。

でき上がった写真を見ると、なるほどなるほど、お互いが引き立つというのはこういう事なのかと感じ入る。
ひとつの世界になっていることがすばらしい。

お互いの仕事に敬意があるからこその調和。

ミナ ペルホネン

安藤さんが器を作って、そこに皆川さんが絵付けをした椀。
これは・・・

風邪で臥せっているとき、誰かがこの器におかゆを容れてもって来たら、もう、私はすぐに病人をやめるに違いない。
もちろんおかゆは食べたいが、食べなくても気力がよみがえってくるだろう。
要するに私はこの器が欲しい。

しかし、きっともう誰かの手に渡っているのだろう。
なぜならこの写真はギャルリ百草で先日行われた「作りの回生Ⅱ」で展示されたものだから。

見たかった。

けれども、しかし、こんな器を人が作ることが出来るという事が嬉しい。

人が作るものはこのようななものであって欲しいと思う。

ミナ ペルホネン

最初に投げかけた質問。

「うつくしいもの」とはなんだろう?

誰かの心に灯をともすようなもの。

「うつしくあろう」「うつくしく生きよう」というところへ向かうきっかけとなる、
そのうつくしいものを作る人の、心の在り方がうつくしい。
その在り方から生まれたものごとが、「うつくしいもの」。

そんなうつくしいものたちが、またShoka:へやって来ます。

私の自宅を改装してShoka:が始まってから一年。
数えるのが苦手な私が、やはり日数のカウントを間違えて入れてしまった過密スケジュール。
次から次へと、行われた展示会にみなさんも私たちと同じく息が切れかけていたかもしれません。

5月11日からスタートする
NO BORDER, GOOD SENSE

この企画展がある意味ひとつのサイクルの終わりです。
始まってから一年とは思えない、分厚い時間を過ごしてきました。
そのお陰で、うつくしいものに触れ、それを作っているたくさんのぬくもりある方達に出会ってきました。

個人的にも社会的にも多くの出来事があった一年でしたが、こんな時代だからこそ、今ここにある豊かさを見逃したくない、多くの人と分かち合いたいと思っています。

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mina

NO BORDER, GOOD SENSE

三谷龍二 木工デザイナー

安藤雅信 陶作家

皆川明 ミナペルホネンデザイナー

場所や時間やジャンルを超えて、一緒にもの作りをしたわくわくが形になりました
「すきな時に、すきなところで、すきな人達と一緒に作ったもの」
友人達とピクニックに行きたくなるような、楽しい世界が初夏の沖縄に集まります

2012年5月11日(金)~20(日)12:00~19:30
*初日のみShoka:は18:00にてクローズいたします*

コラボレーションのうつわたち/三谷龍二の木の器/安藤雅信の陶器/ミナペルホネン 雑貨とランドリーの服

この企画展のあとShoka:は常設に向けてしばらくお休みとなります。
8月から、作り手も使い手も楽しく交流する場として、Shoka:はオープンいたします。
より楽しい場となるようチームShoka:でイメージを膨らましているところです。

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NO BORDER, GOOD SENSE 初日のトークイベントのご案内
NO BORDER, GOOD SENSE

ON BORDER

三谷龍二+安藤雅信+皆川明 トークイベント

2012年5月11日(金)18:30~

企画展「NO BORDER, GOOD SENSE」の開催にあわせて、トークイベントを開催します。自分の感覚を軸に仕事を確立している3氏が、時間や空間の境界線を越えて、コラボレーションをした今回の仕事。その制作を終えて、それぞれが自分のBORDERに立ち返って、今回の仕事を振り返る時間。
ものをつくるという事、それぞれが大事にしている事など、聴きたい事は山ほどあります。今回はミナ ペルホネンの皆川さんがインタビュアーになって、話し会を進めてゆくそうです。私たちもとても楽しみにしています。

日時: 2012年5月11日(金)
開場: 17:30
講演: 18:30~20:00

<完全予約制>
定員に達し次第閉め切らせていただきます
*当日のみShoka:は18:00にてクローズいたします*

会場:  Roguii
参加費:1ドリンク、軽食付き1500円

予約方法(必ず5/11のトークイベントの予約と明記ください)
1 全員のお名前
2 人数
3 メールアドレス
4 携帯番号
5 車の台数(駐車場スペースに限りがございますので、乗り合わせのご協力をお願いいたします)
6 住所(Shoka:からイベントの案内が欲しい方のみ記入をどうぞ)

shoka.asako@gmail.com  関根までメールでご予約ください。
◯Shoka:の展示期間中はお子様連れも大歓迎ですが、今回はお話に集中していただきたいことから大人のみのご参加とさせていただきます。ご理解のほどお願い申し上げます。
◯当日は立ち見の可能性もございます。予めご了承ください。
◯先着順で定員に達ししだい、締め切りとさせていただきます。
◯ご予約のメールをいただきましたら、こちらから返信をもちまして予約完了といたします。

*4月7日発売のミセス5月号180p~189pに特集が載っています*
*CASA BRUTUS 5月号にも3氏のコラボレーションの記事が掲載されています*

※ たくさんのお申し込みをありがとうございました。こちらのトークイベントは定員に達しましたので、ただいまキャンセル待ちにて受付させていただいております。楽しみにされていた方は大変申し訳ございませんが、ご理解のほどよろしくお願い申し上げます。 

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邂逅vol Ⅸ 2012/4/12

「NO BORDER, GOOD SENSE」仕事場を訪ねてⅢ「四番目の葉」  ミナ ペルホネンデザイナー 皆川明

2012.04.12

写真 田中景子 ミナ ペルホネン テキスタイルデザイナー
文 四葉の写真  田原あゆみ
NO BORDER, GOOD SENSE

皆川さんはデザイナーという職業をしているが、私が持っていたその職業に対する概念に収まらない人だ。
一人の人間の中に、一体どれだけの才能と可能性が眠っているのだろうか。
皆川さんの仕事に触れるたびに、私はそのことを感じてわくわくする。

陸上競技の選手を目指していた学生時代、ジャージしか着た事のない青年が、怪我をしたことからその道を断念、ヨーロッパへの旅に出た。
そこで出会った数々のもの達。特に北欧では、日用品のデザインが時代に左右されないものになっていて、人々が大切に使っている事を肌で感じ、そこに本質的な豊かさを感じ共感した。
また、同じ旅の途中、偶然が重なりパリコレでアルバイトをすることになった。
その時に初めて触れたファッションの世界に新鮮さと感動を覚え、その世界に関わる事を一生の仕事にしようと決める。
決めてやり続けたら、不器用な自分でも10年後にはある程度縫える様になるのではないだろうか、苦手な事だから飽きないのではないだろうか、と。

それから16年で、現在の様々な年代から支持されるブランド、ミナ ペルホネンとなった。

今ではもう、あまりにも有名になったエピソードだ。

その合間には、様々なストーリーが隠れている。

文化服装学院の夜間部に通い、留年もしたこと。
なかなか服が縫えなくて、卒業までに一着しか提出出来なかったこと。
テキスタイルからオリジナルで作るブランド“ミナ”を設立し、スタートしてから創業期の3年間は、昼までは魚河岸で70kg前後もあるようなマグロを解体し、そのあとから服を縫ったという。

皆川さんの現在に到るまでのストーリーの中には、ええ!?、と驚くようなエピソードが溢れていて、書き出したら何冊も本が書けそうだ。
そして多くの人は、謙虚で誠実な人柄がそのまま伝わってくる彼の語り口に耳を傾けながら、彼の中にある静かな情熱を感じてどんどん惹き付けられてゆく。

意外性というのは人間にとって一番魅力的な事なのではないだろうか。

詳しくは下記のリンク先からどうぞ。
皆川明トークイベント 前編 後編

そして、話を聴いた人達は、
あきらめないその意思の強さはどこから来るのだろう?
どうしてそんなに視野が広いのだろうか?
その審美眼はどのような環境で育ったのか?
どうしてそんなにぶれないのか?
どうしてそんなに、簡潔に答えられるのだろう?
なぜ、言葉が胸にすっと入ってくるのだろうか?

と、たくさんの疑問を皆川さんへ問いかけたくなってくる。
人はやはり意外性に引き込まれるのだ。

そうやって様々な人が皆川明という人に魅了されてゆく。
それと同時に、何だか嬉しくなって親近感を覚え、応援したくもなってくる。

もちろん多くのデザイナーに対して感じるようなあこがれや、尊敬の念も感じているのだが、それを越えるものを彼は持っている。
この人と一緒にやりたいと思わせる何か、人が応援したくなるような何か、そんな天性的な魅力に溢れているのだ。

NO BORDER, GOOD SENSE

人が自分自身を知るためには、机に座って辞書をひいても、インターネットで検索をしても見つからない。
本をたくさん読んでも、好みや独自の感動の源は分かるが、いざ社会の中での自分というものははっきりとはつかめない。

仕事を通して、社会の中で多くの人と関わったり、実体験を重ねていって、徐々に自分のことが見えてくるのだと思う。
特に、誰かに与えられた仕事をするときより、自分が責任を持ってやりたいと思っている仕事をした時にそれは顕著に現れてくるものだ。

やりたいと思っている事をやり始めると、そこには様々な雑務が発生する。
時には、誰かのサポートを得なければ出来ない事も多々ある。
けれどもすべては自分が表現したい事に向かってゆく過程の一部なので、苦手だと思っていた事も時間をかけて工夫してゆくと以外と出来るようになってくる。
そして、そこにまつわる様々なことを出し惜しみせずにやってみると、自分の中に潜んでいた才能が表れてくる。

その才能は時に思いがけないものであったり、以前からやりたいと思ってなかなか出来なかった事が、目的を持ったとたん発揮されることもある。
そうして社会の中で自分の姿が客観的に見えてくると、他者と違うところこそが、自分の才能なのだという事がはっきりと自覚出来るようになってくる。

それが自分にしか出来ない事につながっていたり、自分が社会と分かち合えるギフトなのだと気づくことが出来たら、それはとてもしあわせなことだ。
そのギフトを分かち合えばあうほど、その行為はまわりまわって自分自身の存在意義に豊かな栄養を与え、自己実現という喜びにつながってゆくから。

自分の喜びを知っている人こそが、周りをしあわせにすることが出来るのだ。

NO BORDER, GOOD SENSE

しあわせという言葉はみんなが知っていて、なかなかその実感を持続する事は難しい。

皆川さんから聴いた「四方良し」の話。
売り手よし(ショップに限らず売る人)、買い手よし(お客様)、作り手よし(製造者)、社会よし
その四カ所のどこにいる人達も「よし」と思っている所を、意識しながらものごと進めてゆくというミナ ペルホネンの仕事。

誰かが無理をするのではなく、関わるみんなが喜びを感じ、やりがいを感じている状態が崩れない様にバランスをとるのだという。

とても心に残った在り方だ。

私が一番最初に着たミナの服は「sometimes lucky」というクローバーが刺繍されたブラウス。
そのシリーズは最後に、ひとつだけ四枚目の葉っぱを手刺繍してから仕上げてある。
なのでどこかに四葉のクローバーがあり、それを見つける楽しさと、そのストーリーを一緒に着る喜びがある。

四葉のクローバーの中心にある茎を軸に、四つに広がった葉っぱたち。
その葉っぱに、自分の仕事と関わりのある人達を乗せて、その全員の喜びややりがいのバランスをとることを意識したとき、何が必要で何がいらないのかが感覚的に見えてくる。
そうしてバランスをとったところにしあわせという感覚があるのだろう。

そしてその四つをあわせる事を、「しあわせ」というのかもしれない。

皆川さんは四葉のクローバーを探すのが驚くほど早い。

NO BORDER, GOOD SENSE

「そして他人と違う個性を自分の中に見つけたとき、四番目の葉は、
その人の中にも存在するような気がする。」

文化出版社「皆川明の旅のかけら」より抜粋

ミナ ペルホネンの服や雑貨や、表現するものすべてに触れると、多くの人がにっこりとしてしまうだろう。
四番目の葉っぱを見つけることが出来た人という他にも、その理由はあると思う。

それは、皆川さんが始めた当初からいつも100年先をみていた事に起因する。
100年続く仕事を目指した時に、自分をスターターと位置づけ、その役割を全うしようと決めたこと。

そうやって時間軸を広げて見える景色の中には、いまバトンを持っているという責任と、それをいつか手放すという自由さを同時に感じることが出来るはずだ。
そして、常に100年先を見ながら、今出来る事は何か?と客観視する事で、プロセスの中の一部として必要なことが見えてくる。
特別な事を成し遂げる、というのでは無く、まるで日常のような仕事。
短いスパンで何かをしようとすると、それは時に特別なことになってしまう。
特別なことをしようとすると、どうしても力が入り、結果を期待してしまうのが人間だ。
時に期待というのは人を裏切ることもあるが、プロセスの一部だとみることが出来た時、人はぶれることが少ないのではないだろうか。

「常に100年先を見る」ということを決めているから、ミナ ペルホネンのものづくりには日常を楽しむような軽やかさと、ハーモニーが聴こえてくるのかもしれない。

NO BORDER, GOOD SENSE

紙に描かれたラインが形になってゆく行程。
飛び立つ日を、静かにじっと待っているさなぎたちにも見える。

自分自身の軸を確認しながら、長いスパンの中の今という時間や、時代とハーモニーを奏でる様に作る服。
ぼんやりとしていたイメージや形がどんどんはっきりとして来て、ある時ぴたりと一本のラインになる。
そうして生まれて来たものは、なるべくしてなった確信に満ちていて、感動が生まれるのだという。
創造の核がしっかりとしたものには力がある。

その力というのは、自然の中の軽やかな風のような力。
その服を着て、外に出て、風に吹かれて歩きたくなるような、進行させる力。
そんな風なら、いつでも吹いていて欲しい。

NO BORDER, GOOD SENSE

NO BORDER , GOOD SENSE

5月11日(金)から10日間の企画展のタイトル。
木工デザイナーの三谷龍二氏・陶作家の安藤雅信氏・ミナ ペルホネン デザイナーの皆川明氏の3人のコラボレーションによる初めての企画展。

NO BORDER, GOOD SENSE 仕事場を訪ねてⅠ 「静けさに耳を澄ます」陶作家 安藤雅信

「NO BORDER, GOOD SENSE」仕事場を訪ねてⅡ 「大人の愉しみ」

この企画展は、皆川さんと2回目に会った時に、「安藤さん、三谷さんと、ミナ ペルホネンのコラボ展を沖縄でやってみませんか?」と提案してもらったのがきっかけで開催することになった。
何度か3人でコラボ展をやったことがあるのだと思っていたら、後で三谷さんに尋ねてみたら初めてだということが分かり驚いた。
しかもその時、後の二人はそのことを全く知らされてもいなかったという。

ゆっくりと言葉を選びながら話す人だが、直感が働いた時の行動と決断は早いようだ。

皆川さんは、安藤雅信さんや、三谷龍二さんの仕事ぶりをみていて、いつか一緒に仕事をしてみたいと思っていたという。
この三人の共通点は、自分の感覚に根ざしているという事。
自分の感覚に耳を澄まして、あらゆる可能性の中の明確な一本のラインを見つけ、ものづくりをしているという事。

その三人が、お互いの境界線を越えてものづくりをした今回の企画展で一体どのような世界に触れることが出来るのか。
私もとても楽しみだ。

元々オープンで、いいと感じるものをどんどん取り入れながら、独自の文化を作って来た沖縄の文化。
その沖縄でこのような企画展を開催出来る事に、必然性と大きな喜びを感じています。
みなさんもShoka:でこの交流を楽しんでください。

*4月7日に発売の文化出版社「ミセス 5月号」に今回の企画展とShoka:のことが載っています。
よかったら読んでみてください。

NO BORDER, GOOD SENSE

皆川明 ミナ ペルホネン デザイナー

1995年に自身のファッションブランド「minä(2003年よりminä perhonen)」を設立。オリジナルデザインの生地による服作りを進め、国内外の生地産地と連携して素材や技術の開発に注力する。デンマーク kvadrat社、英リバティ社をはじめとするテキスタイルメーカーにもデザインを提供。国内外で様々な展覧会が開催されている。2011年には2012年5月にオープンする東京スカイツリーの制服も手がけ話題となる。

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直近のShoka:でのイベント情報

NO BORDER, GOOD SENSE

「2年ぶりですね mon Sakata展」

4月20日(金)~29日(日)
初日には坂田敏子さん在廊予定
12:30~19:00
※初日はトークイベントを開催のため、18:00までの営業となります。

素材を手でしっかりと味わってから作られるmon Sakataの服。
逆さまにしたり、重ねたり、自由な着こなしが自分流に楽しめる。
洗ってくたくたになってからがまた気持ちがいい。
自由な発想、自由な着こなし。
ニットは8年前に買って、一番のお気に入りの麻のニットを
坂田さんがリバイバルで作ってくれました。
本当にいい形です!
ちなみに上の写真のパンツは「gagaパンツ」という名前だそうです。
2年ぶりのmon Sakataが楽しみです。

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「2年ぶりですね mon Sakata展」にあわせ、坂田敏子さんのトークイベントを開催します

「手の力 感覚を立体に」

4月20日(金)18:00~19:30まで 完全予約制 参加費300円(送迎代のみ)
(初日のみShoka:はトークイベントのため18:00にてクローズいたします)

坂田敏子さんのデザインは触感から始まります。
素材を触って、手と目で存分に味わってからその素材がどのような形になるといいのか、どんな風に着たいか、をイメージします。
自分の感覚を頼りにして何かをする事は、回り道のようだけれど実は自分に合った土台がしっかりと作れる確かなステップだと思います。
最初にマニュアルがあるのではなくて、自分で自分の中にある形を探り出してゆく。
こんなふうがいいよ、と提案されてみんなが鵜呑みにしていた様々な型が崩れてゆくことが多くなった今、自分の感覚を大事にし育ててゆく事はとても大切だと感じています。
目に見えるものを作る時にも、方法や仕組みなどの見えないことを作る時、そのどちらにも自分の感覚をONにして取り組むという事はとても大切なことだと思います。

今回田原は、感覚的でとてもユニークな坂田さんからそんな話しを聴いてみたいと思っています。
いつも予想外の反応が返ってくる坂田さんから、どんな応えが返ってくるのかとても楽しみです。

どんなお仕事をされている方でも、とても楽しく参加出来ると思います。

なお今回から駐車場からShoka:までの送迎を業者さんへ頼む事にしました。
代行に押されながらもがんばっている、地元のタクシー屋さんへ依頼しようと思っています。
なのでみなさまから300円ずつを参加費として頂戴する運びとなりました。
どうぞよろしくお願いします。
地元の仕事人も応援したいと思います。

では、Shoka:にてお会いしましょう。

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邂逅vol Ⅷ 2012/4/5

「mon Sakata がうまれる手」

写真・文 田原あゆみ

坂田敏子さんに会うのは、大きな楽しみのひとつ。

自分の考えや経験からは、予想も出来ないような反応や返答が返ってくるときに、人は刺激を受けて自分の枠から抜けることが出来る。
目から鱗が落ちたり、爽快さを感じたり、なるほど!と思ったり、時には心底可笑しくなってくる。

坂田さんと話していると、短い間にそのどれもがやって来て、最後は大笑いで終わる事が多い。

そう、いつも、私の期待を上回るような反応が返ってくるのだ。

「mon Sakataの服は、どのようなプロセスの中で形になってゆくのですか?」

mon Sakataのデザイナーである坂田敏子さんは、まずは素材を手で存分に味わってから立体をイメージしていくという。
糸を指でいじってみたり、織られた状態をなでたり、指でなぞったり、しっかりとその感触を感覚の中にインプットする。
そうして、この素材ならばどのような形がいいだろうかと、イメージを膨らませてゆく。

手の触感を味わう事で、あらゆる感覚が起動して立体のイメージが膨らんでゆくのだろう。
人の手は、触る事を通してたくさんのメッセージを読み取ることが出来る。
その情報は視覚と合わさって、私たちの脳にメッセージを送り、そして形を作り出す作業もしてくれる。

情報を読み取るバーコード以上の役割を果たしつつ、製造までこなしてしまう私たちの手。

私はずっと坂田さんの手の動きを追いかけていた。

そうやってみていると、とても表情豊かに「手」自体が表現をしている。
当たり前の存在になっている手の事を、じっと観察していると、あり得ない位大切なものだと実感が湧いてくる。

形へのイメージが育ってゆくと、今度はそれを立体に起こす人とのやり取りが始まる。

絵を描いたり、イメージに近い画像を探し出して見てもらったり、言葉で説明したりと、自分の中にある形と実際の形を近づけてゆく。

この「手」は、絵を描き、映像を集めるだけではなく、様々な動きを表情豊かに表現するコミュニケーションツールとしても活躍する。

「私はね、寒がりなのよ。だから重ね着が好きなんだけど、ほらね。今日も4枚重ねているのよ。あら、もっとだったかしら? ふふ、この仕事に向いているわね」
と、笑いながら、薄手のコットンのリプセや、コットンウール、ウールのニットの重ね着を見せてくれる。

手の感覚からうまれた服たちは、素材と形が自然に結びついているせいか、着るうちにどんどん肌になじんで柔らかくなってゆく。
その心地の良い感触は手だけではなく、肌全体で楽しめる。

私のクローゼットの中のmon Sakataの綿のカットソーたちも、かなりしんなりと肌になじんで来た。
たたんでいる時には一見くたくたに見えるけれど、着ると形はいいし、とにかく肌触りがいい。
これも、手で味わった素材の感触が元にあって、それに見合う形になっているからなのだろう。

坂田さんの手の感覚はステキだ。

mon Sakata の始まりを象徴する小さなシャツ。
息子さんの彩門さんが、小学校に入学する時にデザインした子ども用のブラウス。
mon は彩門さんの「門=モン」でもあり、フランス語では「私は坂田です」という意味にもなる。

飾らないそのまんまの印象と、ユニークさが坂田さんらしい。

「坂田さんの自由な発想はどこから来るのでしょうか?」

色の組み合わせが楽しめるアームウオーマーは、人気者。
腕に通して日除けや防寒の役割をしてくれるだけじゃなくて、結んで長くすることでマフラーのように首元に色を添える事も出来る。

中央の写真は、金属の繊維が織り込まれている綿のコート。
四角い平面な形を、金属の質感を利用してくしゅくしゅ感を出したり、その人の身体のラインになじんだ着こなしが出来る。

坂田さんがデザインする服や雑貨には、どこか使い手が着こなす時に楽しめる「遊び」という空白の部分、隙間のようなものがあるように思う。
着る人達がその隙間に入って、その人の感覚で自由に遊び、着こなす。
そして面白いのが、変化を楽しめるという事。
昨日着ていたカーディガンを今日はひっくり返したり、逆さまにして着てみる。
カットソーブラウスの重ねを変えたり、袖をつけてみたり外したりと、決してひとつの型にはまる事がない。
完成しない事が楽しい服なのだ。

なるほど、変化し続けることの中に人は自由を感じるのかもしれない。

どうしてそんなに自由な発想が出来るのだろう?

疑問を持って見つめてみると、坂田さんのスペース、空間そのものにも余白があるんだな、と。
それは坂田さんという人柄もそうだ。

ニュートラルな余白、会話の中の間を楽しむゆるさ。

余白を残したような感覚的な遊びが、あちこちに。

服をデザインする時にも、ちゃんと余白があって、意図せず起こった事が入り込むことが出来る。
内側にしまい込むはずのマチの部分が、くるくるとねじれているのを見て「あら、これもいいわね」と、採用されて製品になる。
パンツのフックに使うはずのフックが、ちがうところで活躍したり。

偶然を楽しめる柔らかさがmonSakataの服を自由にしている。

そうそう、忘れられないことがある。
2回目に坂田さんに会ったときのこと。

緊張している私に、

「あの~、沖縄ってどんな形をしているのかしら?・・・・・私知らないのよ沖縄のこと。
沖縄の形、紙に描いてくれる?」

手渡された紙に、妹と一緒になって一生懸命思い出しながら沖縄の形を描いてみた。

多分間違っているだろう、その沖縄の形をみながら、

「そうなのね、沖縄ってこんな形をしているのね・・・ふーん、そうなんだあ・・・・
沖縄にはどんな形の服がいいのかしらねえ・・・」

坂田さんは、長いことその紙の上の沖縄を眺めていた。

その時から、私は坂田さんが大好きになったのでした。
まさしく私にとっての、「思いがけない反応」だったのです。

「2年ぶりですね mon Sakata展」

4月20日(金)~29日(日)
初日には坂田敏子さん在廊予定
12:30~19:00
※初日はトークイベントを開催のため、18:00までの営業となります。

素材を手でしっかりと味わってから作られるmon Sakataの服。
逆さまにしたり、重ねたり、自由な着こなしが自分流に楽しめる。
洗ってくたくたになってからがまた気持ちがいい。
自由な発想、自由な着こなし。
ニットは8年前に買って、一番のお気に入りの麻のニットを
坂田さんがリバイバルで作ってくれました。
本当にいい形です!
ちなみに上の写真のパンツは「gagaパンツ」という名前だそうです。
2年ぶりのmon Sakataが楽しみです。

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「2年ぶりですねmon Sakata展」にあわせ、坂田敏子さんのトークイベントを開催します

「手の力 感覚を立体に」

4月20日(金)18:00~19:30まで 完全予約制
(初日のみShoka:はトークイベントのため18:00にてクローズいたします)

坂田敏子さんのデザインは触感から始まります。
素材を触って、手と目で存分に味わってからその素材がどのような形になるといいのか、どんな風に着たいか、をイメージします。
自分の感覚を頼りにして何かをする事は、回り道のようだけれど実は自分に合った土台がしっかりと作れる確かなステップだと思います。
最初にマニュアルがあるのではなくて、自分で自分の中にある形を探り出してゆく。
こんなふうがいいよ、と提案されてみんなが鵜呑みにしていた様々な型が崩れてゆくことが多くなった今、自分の感覚を大事にし育ててゆく事はとても大切だと感じています。
目に見えるものを作る時にも、方法や仕組みなどの見えないことを作る時、そのどちらにも自分の感覚をONにして取り組むという事はとても大切なことだと思います。

今回田原は、感覚的でとてもユニークな坂田さんからそんな話しを聴いてみたいと思っています。
いつも予想外の反応が返ってくる坂田さんから、どんな応えが返ってくるのかとても楽しみです。

どんなお仕事をされている方でも、とても楽しく参加出来ると思います。

なお今回から駐車場からShoka:までの送迎を業者さんへ頼む事にしました。
代行に押されながらもがんばっている、地元のタクシー屋さんへ依頼しようと思っています。
なのでみなさまから300円ずつを参加費として頂戴する運びとなりました。
どうぞよろしくお願いします。
地元の仕事人も応援したいと思います。

では、Shoka:にてお会いしましょう。

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邂逅vol Ⅶ 2012/3/22

NO BORDER, GOOD SENSE仕事場を訪ねてⅡ「大人の愉しみ」 木工デザイナー三谷龍二

文・写真 田原あゆみ

「NO BORDER , GOOD SENSE」

5月11日(金)から10日間の企画展のタイトル。
木工デザイナーの三谷龍二氏・陶作家の安藤雅信氏・ミナペルホネン チーフデザイナーの皆川明氏の3人のコラボレーションによる初めての企画展。

三谷龍二
職人たちとの共同作業により、普段使いの木の器を作る木工デザイナー。
全国で個展を多数開催する。「クラフトフェアまつもと」「工芸の五月」の発足当初から運営に関わっている。

ピアスの金属が冷えて耳が痛くなるほど、しんしんと冷え込む松本の1月。
松本はぐるりと山に囲まれた、小さな町。
町のどの道からも、くっきりとした山並みが見える。
町のサイズが心地がよくて、魅力的なお店がまた行きたいな、と思わせる位の件数あるのもいい。
散歩が似合う町だ。

この日は「NO BORDER, GOOD SENSE」の打ち合わせと、取材のために木工デザイナーである三谷さんの工房と、2011年にオープンした三谷さん主催のギャラリー「10センチ」を訪問した。

10センチはこれはまた小さなお店で、店主である三谷さんをはじめとしてもの作りをしている仲間達との企画展を年に何度か開催している。
企画展の内容も「10センチにまつわるもの」「ピクニック」など、遊び心をくすぐるものばかり。

三谷さんには、向き合う相手の緊張をほぐしてくれるような柔らかさがある。
気負わない、とても自然な空気感が伝わってくる。
静かなのだけれど、まるで遊びの延長のような感覚で楽しそうに仕事をしているように見える。

10センチ 4月12日(木)~18日(水)
「ノコリ ノ アツマリ」 ミナ ペルホネン

ギャルリ百草  4月21日(土)~5月6日(日)
作りの回生Ⅱ ミナペルホネン +百草 安藤雅信+ミナペルホネン+安藤明子コラボレーション企画展

Shoka: 5月11日(金)~20日(日)
「NO BORDER, GOOD SENSE」
陶作家 安藤雅信 + ミナペルホネン チーフデザイナー皆川明 + 木工デザイナー 三谷龍二 企画展

関連する作家たちの企画展が、それぞれが主催するギャラリーでこの春に開催される。
その3箇所でスタンプラリーをするのはどうだろうかという案が、その前日に皆川さんから出たことを伝えると、こんな感じが良いね、とさらさらと絵を描き始めた。

線を描きながら、その線がなぞらえている向こうにあるもの、
どのようなものになるのか、その内容や、空気感や、関わる人達と出来ること、そんな景色を紙の上で探っているようにみえる。

「感じていることを形にする」
思考や、湧き上がってくる情報たち、線を描きながらそれらが静まって、直感で一つになる瞬間を待っている静かな儀式。
三谷さんの日常風景の片鱗。

そうやって感覚をスケッチしながら、ふと顔を上げると「ジャバラになっていると良いね。ほらこれは先日届いた百草からのKIMAWASHIのDMなんだけど、こんな感じで」と。
私にも三谷さんの頭の中が平面から立体になって見えてきた。

そのことをメールで皆川さんや安藤さんに伝えると、「いいですね、それでいきましょう」と。
とんとんとん、と進んでゆく。

なんて受け取り上手な人達なんだろう。
なんて作るということに素直なんだろう。
信頼していて、迷いがないのだ。

だからこそ、普段使いのシンプルで美しい道具が生まれてくるのだろうな、と腑に落ちてゆく

三谷さんが淹れてくれたお茶が入っていたのは、漆で仕上げた木のカップ。
木のぬくもりがすっぽりと手に収まる。
その軽さと、熱くならない木の肌合いのやさしさが嬉しくなる。

その日は10センチはお休みの日。
三谷さんお気に入りの自転車(健在)の看板は出番待ち。

元は古いタバコ屋さんだった物件を改装した10センチ。
私たちはそこをあとにして、山の方へ20分ほど移動して三谷さんの工房へ。

山の麓の小さなりんご畑のとなりにある、同じく小さな工房へ到着。

空気は澄んでいて清々しい。
植物も気温も、人の生活を取り巻く環境は沖縄とは全く違うけれど懐かしいような気持ちになる。

工房へ入ると、そこはとても三谷さんとしっくりと来る空間だった。
暖かくて、手に自然に馴染むラインと質感が感じられる。
尖ったところがまるでない。

そう、三谷さんの器のように。

仕事場は持ち主そのものが表れる場だ。
その人が自分の求めているものを形にする空間。
その人の動線が見えてくるような道具の置き方と、それらが納まった様子。
そこに座って、仕事をしている様子が容易に浮かんでくるような空間。

仕事をする場所と、ゆっくりと思索する場所が自然な形で溶け合っているのがとても三谷さんらしいと感じる。

ここは愉しむ為の空間なのだろう。

誰かとお茶を飲んだり、語り合ったり、ご飯を食べたり、思索し、感覚を使っていいと思うものを作る、誰かが使うことに思いを馳せてみる。

そんな、人が楽しく時間を過ごすことが出来る要素がぎゅっと詰まった空間。

棚には、三谷さんが作った小さな10センチが。

小さいのに、中で色んなことが起こっているような気にさせる。

三谷さん作の器たちは工房で使っているもの。
オイルフィニッシュの木の器や、白漆をかけた大皿、お歯黒染めの黒漆の皿など。
この皿たちを使って、たくさんの人が様々な料理をいただきながら楽しい時間を過ごした様子が浮かんでくる。

そしてこの器たちは沖縄までやってくることになっている。

愉しみが人を繋げてゆく。
東京・松本・岐阜・沖縄と、距離に関係なく人は愉しみを共有することが出来る。

3人の大人達が自分の境界線を越えて、自由にもの作りをする今回の企画展は、3人だけでは終わらない。
参加する私たちも、その愉しみを共有し、日常の中でさらに広げてゆくことが出来る。

日常を楽しく過ごしている人から生まれる、感覚には境界がない。

今回は、三谷さんの仕事場があまりにやさしくて、静かに楽しさが広がってくるようなたたずまいが感じられて、写真を削ることがなかなかできなかった。

この感じはなんなんだろう?
軽やかな小春日和の散歩道。
小川のほとりのピクニック。

まるで三谷さんはピクニックを楽しんでいるかの様に暮らしているんじゃないだろうか。

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「NO BORDER , GOOD SENSE」
2012/05/11(fir)~20(sun)
12:30~19:00

木工デザイナー 三谷龍二 + 陶作家 安藤雅信 + ミナペルホネン チーフデザイナー 皆川明
コラボレーション企画展

Shoka:

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Shoka:の次回の企画展
「2年ぶりですね mon Sakata展」

4月20日(金)~29日(日)
初日には坂田敏子さん在廊予定
12:30~19:00

素材を手でしっかりと味わって、「この素材ならどんな風な形が良いかなあ」と服作りがスタートする、mon Sakataの服。
逆さまにしたり、重ねたり、自由な着こなしが自分流に楽しめる。
2年前に買った田原のパンツは、クローゼットで休む暇がないくらい着ています。
洗ってくたくたになってからがまた気持ちがいい。
自由な発想、自由な着こなし。
2年ぶりのmon Sakataが楽しみです。

 

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邂逅vol Ⅵ 2012/3/8

 漆と再生の物語

文と写真 田原あゆみ

3月3日の企画展初日に行われた赤木さんのお話会は、50名を超える人が集まってShoka:は熱気で一杯。
赤木さんのトークは場を和ませる軽やかさがあり、お茶目な冗談にみんなどっと笑ったかと思うと、生きるという本質が語られた時にはしんとした感動が広がってゆく、そんなふくよかな時間を参加者全員で過ごしました。

赤木さんから聞いた数々の印象的な漆にまつわる話たち。

<職人たちの共作である>
大手の工場を別にすると、ギャラリーで展示される陶器や木工は一人の作家や職人が作ることがほとんど。
しかし多くの漆器は、何人かの職人の手を経て出来上がってゆく。

下地の木のうつわを作る木地職人
漆を塗る塗師
漆を塗る過程で乾いた漆を研ぐ研ぎ師

そうして出来上がった漆器に絵を入れる職人を蒔絵師
沈金をする職人など、様々な技術を持つ職人がそれぞれの仕事をして漆器は完成してゆくのだ。

弟子入りすると、師匠と弟子は実の親子より深い絆で結ばれるのだという。
弟子は時に滅私して師匠の仕事に自分を明け渡すことが要求される。
そこで学ぶことは、自分自身の独力で学んで得ることよりも、より深い気づきを得られることがあるのだと赤木さんは語る。
核家族化が進んだ現代の中で失われつつある、人と関わって絆を深めてゆく側面が、輪島の職人の世界には残っているのだ。

徒弟制度や漆器を共同で作り上げてゆくことの中にある、誰かとともに結果を探し求めるということの大変さと面白さ、相手の美意識と、こちらの美意識のちょうど真ん中に行き着いた時、思いがけない良いものが出来ることがあるという。聞いていると何だかとてもうらやましくなる。私たち人間は実はこのような人との深い交流を求めているのではないだろうかと感じた。


(写真は、欅(ケヤキ)の木を向こう側が透けるほど薄くひいた木地に、漆で綿の布を貼付けてから、さらに漆を重ね塗りした大皿と椀。木地職人の技術の高さに驚くようなうつわ。驚くほど軽い。漆の肌はまるで真珠のような有機的な光を放つ。)

<自分の道を歩くということ>
赤木さんは編集の仕事をしていた時代に、角偉三郎氏の個展をみて衝撃を受け、それがきっかけとなって職人になることを決めた。
27歳の時のことだ。
10代から修業を始めるのが当たり前のような職人の世界で、遅いスタートを切りながらも、人よりたくさん塗ろうと決意し、輪島塗下地職人・岡本進師匠に弟子入りした4年間、お礼奉公1年を経て、32才で独立。
それまでの間に、様々な師と出会いいろんなことを学ぶことが出来たのだという。
お酒の飲み方から・漆というもの・職人の世界の決まり事 etc・・・

独立すると、自分が美しいと思うものを作ろうと決心するにいたり、和紙を使った独自の肌合いを持つ日常の中の漆器を作り始める。初個展で注目を浴び、ドイツ国立美術館「日本の現代塗り物 十二人」に選ばれ海外でも高評価を受ける。

何かに導かれるような、出会いにめぐまれている赤木さんの職人への道。
赤木さんは、自分の歩く道には、自分に必要なことが既に準備されているのだと言う。

「みんなそうなんです。それぞれの人の道に、その人に必要なこと、必要なものがちゃんとある。それに気づけるかどうか、ただそれだけなんです」

「なぜこのタイミングで、この人と出会ったのだろう」

「どうしてこんなことが起こっているんだろう」

そうやって出会いや起こっていることを味わうと、その出来事の自分なりの意味がわかってくるのだと。

<漆と再生の物語>
赤木さんの話の中で特に印象に残ったことがある。
それは、漆とは「再生と生命の可能性を秘めている」ということ。

赤木さんの椀を使っている人に聞くと、漆のお椀が時に楕円になったり、丸い形に戻ったりすることがあるという。
漆という物質はとても不思議な物質で、固まるとガラスと同じくらいの強度を持つ。
けれども、その下地の木地は呼吸をすることが出来て、形が変化する余裕があり、漆は固いにも関わらず木の動きにあわせてついてゆくことが出来るそうなのだ。

そして漆器は塗り直しをすることによって何度も蘇り、かなりの年月使うことが出来る。
私たち人間よりずっと長生きなのだ。
漆器の一番古いものは、日本の遺跡から発掘された物で、縄文時代の物だそう。
なんと9000年前の日本固有の漆を塗った物であることが分かっている。

私が使い、娘が使い、きっといつか娘の子どもやその子どもたちが使ってくれるかもしれない漆器。

欠けても割れても、漆の接着作用で修復出来、はげても塗り直すことで再生する。
消費する時代から、大切に受け継がれて行く時代、リサイクル=再生の時代に漆はとても合っているのだと思う。

東北の震災の後、去年の6月後半、赤木さんは以前から予定に入っていた仙台での個展を予定通り開催したそうです。
始める前には、様々なものを失った人達にとって今は漆どころではないだろうと、誰も来ないかもしれないことを覚悟していたといいます。

ふたを開けてみると、その個展にはたくさんの方が来られて、多くの方々が買って行かれたのだそうです。
それは、様々なものを失った人達が、本当にいいものをもう一度使ってみたい、以前生活の中で使うと元気の出たあのうつわをもう一度使ってみたい、と感じたからだそう。

訪れた方達は、
「ものをもう一度持つのならばずっと受け継がれてゆくものをもちたい」
「日常の中で漆を使ったり、眺めているともう一度生活を再生したいと、希望が持てるんです」

と、語られ、赤木さんもその言葉から漆という素材に可能性や希望を感じたのだそうです。

私が毎日の様に使っている楡のパスタ皿。
この日はアボカドを切って盛りつけてみました。

娘はこの黒い漆器を受け継ぎたい皿NO1に選んだ。
それは、漆のぬくもりと、人肌に近い感触についつい手が伸びてしまうから。
うちでは毎日の様にこの皿を使っています。

こちらは銀杏の木の大皿。
やはり家で二番目に活躍している漆器です。

よく使ったので、去年薄くなった漆を塗り直してもらいました。
宗像堂のパン、バナナコクルレを載せて。

4ヶ月の不在の間は、本当に寂しかったけれど、塗り直してもらって蘇ったうつわを手にした時には本当に感動しました。
赤木さんのところでは、無償で塗り直しや修理をしてくれます。
それは漆の再生する特質や、好きなものを大事に受け継いでゆくことを伝えたいから。


こちらも柔らかい肌合いの銀杏のお皿。
黒い器のしっとりとした肌合いと、白い柔らかな光がいくらをより生き生きと引き立てます。
ごっくん。

Shoka:では私たちが生活の中で、美しいと感じるもの、楽しさやよろこび、人生をより楽しく生きてゆくための知恵ージンブンー、笑い、笑顔、微笑みが広がってゆくきっかけになるものとことを、お伝えしてゆきます。

まるで生きているような漆の世界。

3月11日(日)まで。

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塗師 赤木明登「漆のうつわ」展

2012年3月3日(土)~11(日)まで 12:30~19:00

Shoka:
住所:沖縄市比屋根6-13-6
電話:098-932-0791
HPとブログ:http://shoka-wind.com

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