邂逅vol Ⅴ 2012/2/23

塗師 赤木明登「座る場所」

文 田原あゆみ

一体どれだけの人が、「私は居るべきところに居るのだ」と感じることが出来ているのだろうか。

誰もが自分にぴったりの場所を探しあぐねている。
内なる感覚が、自分を取り囲む風景と合致するところ。
自分のまん中から、「そうだ、ここだ」と言えるところを。

6年前に沖縄で初めて赤木明登氏の個展を開催した時、私はその仕事の奥深さを全く理解していなかったと思う。

その個展の数年前に私は初めて赤木さんのうつわを使ってご飯を食べたことがあった。
良い形、だと思った。
傷つきやすくて、扱いにくいと思っていた漆器へのイメージとは違ううつわだった。

その時の使った感覚を手と目が覚えていて、その感覚の延長線で展示会を開催した。

あれから6年。
私はほぼ毎日のようにその時に購入した漆器を使っている。
楡の木地に黒漆のパスタ皿2枚と、銀杏に黒漆の真ん中がそりあがった少し大きめの皿。

数あるお気に入りの器たちが入った、食器棚の扉を開く。
たくさんあるのに、なぜか手が伸びてその器を今日もまた手にしてしまう。

松の実・カリフラワー・ほうれん草のクリームパスタを盛りつけて。
ある時には、田芋を薄めに切ってカリカリに焼いたのに塩をふりかけて。
また、ある時にはカボチャと卵のサラダを。

「手入れが大変」
「傷つきやすいので、行事の時に棚から出して使う特別な物」
そう思い込んでいた漆器。

しかし作り手の意図によっては、こんなにも日常使いに向いているものになるのだ。
それは使ってみてわかった事。

実際、工芸の世界は最近まで大きく分けると二分されていた様に思う。
ひとつは、日常使いの利便性を満たしたものたち。
もうひとつは工芸の技術と美しさを追求した、非日常の中で生きているものたち。

赤木明登氏の仕事は、その二つの交差するところにあると感じる。
日常使いの器の中に「美」をもたらすという事。
暮らしの営みの中に在る「美」を簡潔な形の中に表すという点で、氏の仕事は二分されていたものをひとつにしたという事も出来るだろう。

赤木明登氏が現在のスタイルを確立するきっかけになったひとつに、輪島の山の廃屋で偶然見つけた幕末の漆の飯椀との出会いがある。
当時の人々の暮らしぶりが伝わってくるような野太さがあり、おおらかさが伝わってくる形。
それを美しいと感じた。
それは、その時代に生きた使い手の暮らしぶりと道具との間に一致感があったことと、当時の暮らしそのままの素朴さがその椀に表れていたから。

その時の飯椀を原型に、現代の生活の中に溶け込む形を見いだして、現在の氏の「飯椀」は生まれたのだという。


私がその形を見てみたいといったら、赤木さんがわざわざ雪の中で撮ってくれた写真です。

その時のエピソードや、氏の現在の仕事を確立するまでの背景がこの本の中に詰まっています。

文芸春秋出版   赤木明登著

「僕はただひたすらに
漆へと向かっていった
何が僕を
駆り立てたのかさえ
わからなかった
辿り辿って、往き着いた漆職人・輪島の世界は
蒼々たる森林のごとく
恐ろしいほど奥深く
厳しく、同時に温かく豊かな場所だったのだ」

赤木明登
<同本背表紙より抜粋>

修業時代のさまざまな体験や、輪島の人々との交流、その中で一人の人間が、自分の居るべきところに座すまでを書き上げた本。
様々なものの作り手にも、同じく、多くの使い手にも読んでもらいたい本です。

漆の赤は生き生きとした艶の中に、生命感と艶を感じる。
今度は赤い漆器も使ってみたい。

私は専門家でも美術評論家でもないが、暮らしの中のある瞬間に私たちを喜びへと解放してくれるものがある事を知っている。
何気ないいつもの食卓で、何千回と繰り返して来たいつもの行為の中で不意にそれはやってくる。

何かに心うたれて、その瞬間に自分自身が結集する。
普段ばらばらに起動している五感と、意識が一体化するような感覚。
一体化しているのに、広がってゆくような感覚。

この時の状態を「しあわせ」というのかもしれない。
そしてそのきっかけとなるものが存在する。
それを総称すると、「うつくしいもの」という言葉になるのではないだろうか。

そして赤木明登氏のうつわを使い、その背景を知った今。
本当に「うつくしいもの」とは、自分の居るべきところに座した人から生まれてくるのだと感じた。

写真
ポートレイト・赤木明登氏作品 雨宮秀也
料理と器 田原あゆみ

塗師 赤木明登「漆のうつわ」

2012年3月3日(土)から11日(日)12:30~19:00まで。

Shoka:
住所:沖縄市比屋根6-13-6
電話:098-932-0791
HPとブログ:http://shoka-wind.com

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※下記のトークイベントは定員に達しましたので、
募集を締め切らせていただきます。
たくさんの方がご応募下さいましたこと、感謝いたします。

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邂逅vol Ⅳ 2012/2/10

NO BORDER ,GOOD SENSE仕事場を訪ねて Ⅰ 「静けさに耳を澄ます」陶作家 安藤雅信

2012/2/10

写真と文 田原あゆみ

「NO BORDER , GOOD SENSE」

5月11日(金)から10日間の企画展のタイトル。
陶作家の安藤雅信氏・木工作家の三谷龍二氏・minä perhonenチーフデザイナーの皆川明氏の3人のコラボレーションによる初めての企画展。

「SENSE-感覚」というものは私たちが生きていく上でとても大切な道しるべだ。
それぞれが個性的な表現の世界を確立しているこの3氏には、実は共通していることがある。
それは、自分の本質的な感覚に耳を傾けてもの作りをして来た結果、とても磨かれた感覚を持っているという事。
そして人は本質に近づけば近づくほど、自由になるのだろう。
そんな人同士が出会うと、時間、住んでいる場所、仕事のジャンル、年齢、それらの制限性が失効してしまうようだ。

磨かれた感覚を持つ人同士は相手に向かってドアが開かれている。
一見制限に見える事柄を創造の種にしながら、共同創造が生まれでる。

どんなものが生まれてくるのか。
とても、とても楽しみだ。

底冷えのする1月の半ば、
「NO BORDER , GOOD SENSE」の打ち合わせのため、岐阜の多治見にある安藤雅信さんの工房を訪ねた。

仕事という字は「仕える」と「事」から成っている。
様々な視点があるだろうが、「自分自身の本質的な声に仕える事を通して社会に関わる事」だと私は捉えている。

内面の声に耳を傾けながらそこに在る美しい形を彫り出してゆく。
安藤さんの仕事場は、必然的に静けさで充ちている。

安藤さんの仕事場は、その作品とよく似ている。
道具のひとつひとつ、その並べ方、張り紙の文字、照明の明るさや細部に到るまで一貫するものを感じた。
すべてが安藤雅信というひとつの絵のようだ。

どこをみても簡素で美しい。
本来仕事場というところは、神聖な場所なのだとしみじみと感じた。

「一番しあわせな場所」

と、安藤さんが語った場所は、作品の設計とデザインをするための小さな部屋。

必要なものだけが、あるべき場所に収まっている。

そっと感覚に耳を傾けて自分の中の形を彫り出してゆく。
聴こえてくるものを捉えるための静かな場所だ。

型を起こした後に、さらにその中に潜んでいる美しいラインを見いだす事は、安藤さんにとって至福の作業。

子供の頃、町の外れにあった工場の景色。
その工場にアートが注がれるとこんな景色に成るんだなと感じる。

無機質なようでいて、とてもやさしく懐が深い。
有機的なもの、人や、料理や、その表情がより生き生きと映える様に引き立ててくれる

無駄なラインが削ぎ落とされた美しさ。
この神聖さが漂ううつわに、皆川さんが絵付けをするという。

正直、よほどでなければ筆がいれられないように思う。
普段情熱的な分だけ、文章を書く時には押さえ気味で書くのだが、どんなものが生まれているのかを想像すると胸が躍る。

仕事場の景色はまさしく安藤さんそのもの。
自分に問いかけ、その答えに耳を澄ます。
静けさの中で感覚が冴え渡ってくるような、そんな空気感で充ちている仕事場でした。

先週末には皆川さんがこの仕事場を訪れて、絵付けをされたそうです。
私たちがその作品に会えるのは、初夏の風が吹く頃。

今からとても楽しみです。

「NO BORDER , GOOD SENSE」

2012年5月11日(金)~5月20日(日)
3氏によるトークイベントも開催予定。
詳細は4月に掲載いたします。

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邂逅vol Ⅲ 2012/12/29

「美は暮らしの中に」

写真と文 田原あゆみ

2011年を振り返る。
この一年は私にとって、自分がやりたかった事をどんどん表現して行った年だった様に思う。
今まで折り曲げていた手足を心も一緒にぐーんと伸ばしていったような感じ。

自然児だった小さな頃から、小さな虫の完璧さに感動したり、沖縄の白い砂の中の無限の形や色たちに圧倒されたり、海の無限の色に引き込まれたりと、自然界はなんて美しいもので溢れているのだろう、と感じてきました。

なので過度に装飾的なものや、ものを使って自我を表現しているように感じられるものよりも、「自分の中の自然」を表現しているものに惹かれます。
たとえそのものが、悪戦苦闘の末生まれでたものであっても、すっと溢れるように誕生したものであっても、「自然」を感じさせるものには芯があって、持続する絶え間ない美しさがあらわれているものです。

私にとっての美しさとは、触れる人の心を静かに解き放つものです。
そして、暮らしの中から至福への入り口となりうるもの。

2011年、巷で言われている事とは反対に、私にとっては希望に溢れた本質的に豊かな生活へとたどる道が大きく開かれた事を感じています。

大量に作って大量のゴミを生み出すものたち
誰かの犠牲の上に成り立って製産される廉価なものたち
その循環も確かにあるけれど、

自分の中の自然に耳を傾けて、そこへ手を伸ばして微笑んでいる
やりがいや、つながりや、本当にいいものを生み出そうという循環の中に立っている人達も確かにいます。
出会うと嬉しくなる、手を伸ばして使ってみたくなる
旅に一緒に行きたくなるようなものや、たくさある中からなぜかいつも使ってしまうもの
そのように美しいものたちがある。

衣・食・住
日常の暮らしの中にこそ美しいものはあって欲しい。

それを美しいと感じる心とともに。

2011はたくさんの笑顔に触れた一年でした。
友人たちと、今年出会ったすべての人と出来事に感謝いたします。

2012年
自分にとっての最高にぐんと手をのばして選び取る、そんな事の連続に立っていたいと思います。

Shoka:の2012年仕事始め

ganga 手仕事のやさしい布たち

2012年1月27日(金)~2月5日(日)

26日(木)夕方より布使いのワークショップを行います。
詳細は決定次第掲載いたします。

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邂逅vol Ⅱ 2011/12/15

「わたし」の幸せな仕事

写真と文 田原あゆみ

人は意外な事に心を奪われる。
思ってもいなかったようなことが起きると、強烈に興味をそそられる。
そして出来なかった事が出来るようになる体験は、数ある喜びの中でも大きい。

minä perhonenのチーフテキスタイルデザイナーである皆川明氏に、この仕事を選んだきっかけや動機について訪ねてみた。

「一人の人間が何かをやり続けた時にどうなってゆくのだろう、という事に興味があった。出来る事をやるのは出来るという事を積み上げるだけ。それはつまらない。
うまく出来ない事をやり続けるプロセスの中にこそ出来てゆくという体験があるし、意味があると感じる。
仕事は何でもよかった」

と。

意外な返答に、どんどん惹き付けられてゆく。

出来なかった事をその先を見据えながら続ける事で、出来るようになってゆく。
そのプロセスの中で、自分も仕事も成長してゆく。

そうすると、次の世界が見えて来て、その先を目標にする。
そうやって続けた30年先、40年先に待っている景色を思うと心が躍る。

100年先に思いを馳せながら、積み重ねられて行く仕事。
その中で自分が受け持つ30年はどうしようか?と考える。
そうするとやる事が見えてくる。

自分がいつかバトンを渡す、その次世代の見ているであろう景色に思いを馳せて、心が躍る。

皆川氏のことばを反芻しながら、私もその未来を感じ、その未来の輝きを発見する。

minä perhonenの仕事場では、部門の責任者はいるが仕事に垣根はないという。
テキスタイルデザイナーの一人が映像を撮ったり、インターナショナル営業担当者がディスプレイをしたり企画を練ったり、何でもやるのだそう。

皆川氏の実践が作った空気だ。

そんな仕事場だからこそ、活気があり、喜びが溢れている。
働いている人達も空間も生き生きと輝いていて、幸せな気持ちになる。

そこからうまれてくる、minä perhonenの服たちは喜びに染まっている。

それは私たちにも伝染する。

成長したい、学びたいという欲求を強く持つのが人間だという。
自分を「出来る事」から様々な活動の中に解放する。

手探りで、自分の中の答えを見いだし続ける。

プロセスの中に喜びを見いだしながら、進行してゆく。

湧き上がってくるものに形を与えてみる。

未来を、形の中に解放してみる。

Shoka:のうつわの中に、minä perhonenの世界がどんどん注がれてきました。

その世界に、一人でも多くの人が触れて欲しいと感じています。

2011年12月16日(金)~25日(日)
Shoka:
12:30~19:00

ミナ ペルホネンの
大人服・子ども服・雑貨

minä perhonen

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邂逅vol Ⅰ 「思い出」の記事たち

Shoka:の店舗をクローズしてからあっという間に四ヶ月。

私もずいぶん休ませてもらいました。新しいことを始める前に、今までやってきたことをおさらいしたいと思うようになりました。

カレンド沖縄というWeBマガジンに連載していた記事を掘り起こして再発信して行こうと思います。過去記事ですので誤解のなきようお気をつけください。

 

2011年12月1日「minä perhonen私の中の特別に会う」

詩と、ことばと、かたちとわたし。

去年の暮れに友人の結婚式で、チーフデザイナーである皆川明さんと同席したのがきっかけで私はミナ ペルホネンを知った。

スピーチをした皆川さんの穏やかなたたずまいや、彼の話すことばが、水紋のように胸に広がっては染み込んでいった。

静かに、誠実に、ことばを紡ぎだしてゆく。

「この人は詩人なんだ」

この確信は私の中にぴたりと納まった。

ほどなくミナ ペルホネンの本を入手。

「皆川明の旅のかけら」

「ミナ ペルホネン の 織り minä perhonen 1 textile」

「ミナ ペルホネン の プリント minä perhonen 3 print」

私は常々、日常の服は自分を表す親しい友人のようなものだと感じている。
しかしその服達の市場での命は軽いし短い。
店頭に出て、半年以下で価格が半額になってしまったりする。
また流行という名の下に、あっという間に飽きられたり、タンスの隅に追いやられてしまう。

服の世界に関わって来てずっと感じていたジレンマだった。
本質的な生活につながる服とものを通して、丁寧に楽しく暮らすことを伝えたい。
その思いと現実が食い違っていたからだ。

ミナ ペルホネンは100年経った後にも、輝きと生命力を持つ継続的なブランドであることを目指している。
セールでその価値をおとしめないし、お直しも誠意を持って対応している。

そして16年経った今も、100年先を見て自分たちの仕事を「進行中」と言う。
こんな風に服づくりをしている人と会社があることに、驚き、感動した。

                            forest parade

この刺繍の形やタッチを見ていると、森と風が作る様々な音が聴こえてくるよう。

テキスタイルのタイトルを見た時に、よりいっそう心が広がったような気持ちになった。

ミナ ペルホネンのテキスタイルからは様々なメッセージが溢れてくる。
傘越しに聴こえてくる雨音と、自分のハナウタ。
雨のにおいと、帰り道の風と身体を濡らすしずくたち。
地べたの水たまりに、浮かんでは消える雨が描いた模様。

あるいは、耳を澄ますと聴こえてくる春の気配。
コーヒーを入れる音。
晴れた日の、外を眺めながらの仕事とインクのにじみ。

そしてその世界には、自然からの便りに耳を澄ましている様な暮らしからの視点がある。
人の暮らしとその営みと、自然が楽しくまじり合っているような世界だ。

そんな景色と空気で溢れているテキスタイルの服を着ることが出来るのはしあわせだな、と感じる。

服を着る「わたし」、
生活の道具をつかう「わたし」、
暮らしている「わたし」、
その「わたし」と暮らしは、自然から祝福を受けている。

そんな、普段のしあわせをそっと包むような服と暮らしの道具達。
新しいけれど懐かしいもの達。

日常を生きている「わたし」の特別に、会いにいらしてください。

2011年12月16日(金)~25日(日)
Shoka:
12:30~19:00

ミナ ペルホネンの
大人服・子ども服・雑貨

minä perhonen
http://www.mina-perhonen.jp

 

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